Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

20年間引きこもっていた友人の社会復帰の厳しさに泣きそうになった。

これらの記事の続きです。

http://delete-all.hatenablog.com/entry/2017/05/22/200000

http://delete-all.hatenablog.com/entry/2017/09/07/203505

先日、新卒入社した会社で心身を壊し、以来20年間引きこもりをしていたFと地元スーパーの総菜コーナーで偶然会った。Fと顔をあわせるのは夏に同じスーパーで会って以来、話をするのは社会復帰を目指して動きはじめたと彼の母親から聞いて電話をかけて以来になる。20年前、Fが引きこもり状態に陥ったと知ってから、ずっと気になってはいた。ただ、自分がFに対して出来ることの少なさから、後ろめたさを覚えつつ、特別なアクションを起こさなかった。今はその時期に会わなくて良かったとさえ思っている。駆け出しの営業マンとして走り回っていた20代の僕は、引きこもり続けるFを「怠け者」と決めつけていただろうから。それでも気になる存在であり続けたのは、小中高と同じ学校に通っていた友人であり「ピアノ」という共通項があったからだ。当時、普通科高校に通っている男子でピアノを弾く人間は絶滅寸前の希少種だった。高3の秋。放課後の音楽室。ピアノ連弾で「くるみ割り人形」を弾いた記憶は、ボンクラとエロとで埋め尽くされた僕の青春のなかで何物にもかえがたい宝物なのだ。アルバイトをはじめると聞いていたので、仕事どう?と声をかけた。日曜午後4時。対峙する僕らはお互い上下ジャージ姿。他人から見れば同じような中年男(43才)。会社員生活の20年と引きこもりの20年では、着ているジャージの色が違うように、違いだけがあって、その時間の価値に上下はない。違う言いかたをするなら、価値は自分で決めてしまえばいい。Fは「ダメだった」と言った。ダメだった。これほど短くて絶望的な言葉があるだろうか。Fは惣菜コーナーでするにはヘビーな話になると思ったのだろう、「飲みながら話すよ」と言った。年末の混雑でチェーン居酒屋は満席で僕らはカウンター席に通された。カウンター席に並んで安酒を飲む上下ジャージの中年男二人組。Fと最後に酒を飲んだのは大学4年時だった。生ビールを飲みながら、彼の話を聞いた。Fは、アルバイト初日から人との接触がストレスに感じられ、何とか3日は持ちこたえたがダメだった、といった。43才/男性。職歴/新卒数か月で退職して以降20年間なし。同僚たちの好奇心からの質問がかなりこたえたらしい。一番キツかったのは「自己責任だね」のひと言。自己責任は、最近随分とカジュアルに使われる言葉になっていて、おそらく、発言主も「ジコセキニンだねー」と軽い感じの発言だったのではないかと思う。僕みたいにテキトーでフザけた人間なら軽くいなせた言葉だが、真面目なFはそれを冗談として流せず真正面から受けてしまったのだろう。「本当にヤバかった頃のことを思い出してしまったよ」と言った。フラッシュバックというやつだろうか。それで逃げ出すように辞めてしまったらしい。「自己責任て言われても…なんか俺、悪いことしたかな?」とFから訊かれた。僕は思わず言葉に詰まってしまった。働かないのは悪いこと。恥。かつて僕もそう思っていたからだ。怠け者。グータラ。ずっとサラリーマンとして働いてきた僕の根本にはそういう思想が間違いなくある。夏にFと会ったとき、自分が失業しているとは言いだせなかったのが何よりの証拠だ。ただその思想は、しがないバイト生活や再就職活動を経て、働かないのはあまりよくないこと、くらいに希薄になっている。「悪くないよ」と僕はいった。何か余計なことを言ってしまいそうな気分を生ビールで流し込んで言った。「悪くない」。僕の言葉は何の役に立たなかった。「実際、もうダメなんだと思う」「自分でも手遅れってわかっているんだ」「どうしたらいいのかわからない」とFは矢継ぎ早に続けた。話を聞きながら、僕は自分とFとの違いを見つけ出そうとしていた。なかった。いや、無理矢理に一点だけ挙げれば、運だ。Fはたまたま入った会社で壊れてしまった。もし、僕がその会社に入っていたら、壊れたのは僕の方だったかもしれない。Fが営業部長だったかもしれない。僕がFでFが僕。結局のところ人生なんて紙一重で、タイトロープなのだ。僕はたまたま落ちなかっただけ。自分では綱渡りのロープから落ちないように努力している自負はあるけれど、風速50メートルの風が吹いたら、どんな名人でも落ちてしまう。無力だ。「お前は何も悪くない」僕はFに繰り返した。それ以上何も言えなかった。ただビールを飲み続けた。心が折れてしまった人に心が折れたことのない人間が何を言えるだろう?突然、Fが「俺にはお前が順調に生きている人間にしか見えない。悩みのないお前には一生俺のことはわからないよ」と言った。自分のことさえ完璧にわからないに、他人のことなどわかるわけがない。アホか。甘ちゃんめ。と言ったら、海にダイブしかねないので僕は慎重に言葉を探して言った。「悩みならあるよ」「何?」「俺、EDなんだ」「………そっか、大変だな」「それだけかよ」、うまくいかないなーと二人で笑った。「もう少し飲むか」「乾杯しよう」という流れになって、中ジョッキを2個頼もうとしたら「すみません。飲み放題ラストオーダーの時間が」と店員に断られてしまった。僕らの人生と同じ。飲みたいけれど飲めないときがある。誰も悪くないのにうまくいかない。こういうのはままあることなのだ。この夜の酒代は僕がもった。Fは、同じ年の人間におごられたくないといって割り勘を主張したけれど、半ば強引に済ませてしまった。貸しただけだからそのうち返せと押し切った。そういうちっぽけなプライドがFの武器であると同時に弱さなのだ。結局、僕は最後までFに「大丈夫」「きっとうまくいく」とは言えなかった。ありもしない、根拠のない希望こそが最も残酷だからだ。もう若くはない僕らに必要なのはある種の覚悟と悪あがきだと僕は思う。逆転満塁サヨナラホームランはもう望めない。高確率で勝利者にはなれないだろう。だがそれがどうした。10対0で負けている9回裏に嫌がらせのシングルヒットを打つことはできる。そんなゲーム上無意味とおもえるシングルヒットでも誰かを勇気付けたり、誰かの人生をかえるきっかけになったり、意味のあるものになりうるのだ。僕は気づいた。居酒屋チェーンのカウンターに並んで座る僕らは、あの頃、音楽室のピアノに並んで「くるみ割り人形」を奏でた二人と何も変わっていないことに。そう、まだ、大丈夫だ。(所要時間32分)