Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

かつて交際していた人をSNSで観察し続けたら積年の恨みが消えた。

心の支えにしてきた言葉がある。その言葉は、かつて付き合っていた女性の何気ない賛美のひと言に過ぎないが、その何気なさゆえ、そこに揺るぎない真実が宿っているように思われ、長いあいだ僕の冴えない人生を照らす灯台のような存在となっていた。だが数年前から、その言葉は呪いとなって僕を苦しめている。あれは、本当に、僕のことを指して褒め称えた言葉なのだろうか、何か裏があるのではないか、と。

女性から別れを切り出されてばかりの人生だった。自分から別れを切り出したのは、幼稚園時代まで遡らなければならない。お遊戯会の日、陰気で、辛気臭いミイちゃんのお菓子でベタベタになった手を振り払って以来40年余り。受難の人生であった。今思えば、お付き合いしていた女性の多くは、少々不安定であったり、金銭感覚がクレイジーであったり、人間的に未熟だったりして、今日こそ、今日こそって、こちらから別れを切り出すつもりでいたものの、不安定な人特有の暴発を恐れて躊躇していただけなので、結果的にオッケーではある。だが、捨てようとしていた者に切り捨てられたという意識、屈辱、敗北感が、彼女たちの言葉と共に残され、混ざりあい、長い時間をかけて熟成され呪いの言葉となっていった。

呪いは僕の男性機能を壊滅させた。海綿体が、岸壁で波に揺れる壊死したクラゲのイメージと重なる夢を見て何回泣いただろう?酷い仕打ちをした彼女たちを僕は、絶対に許さない。そんな暖かい気持ちから、通りすぎていった女性たちのその後の人生を夜な夜な観察し続けてきた。彼女たちの動静はフェイスブック、インスタグラム、ブログといった媒体で容易に確認できた。そこに「男の影」が見え隠れすれば、僕よりも人間的魅力と経済力に欠ける人物であるよう祈り、「結婚式の打ち合わせ」とあれば結婚相手の勤務先が倒産するよう祈祷した。「今日は結婚式。超キンチョー」とあれば、双方の浮気相手がサイモンとガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」をバックミュージックに式場へ乱入する地獄絵図を描くよう祈願した。「ママになります」とあれば「重度の育児ノイローゼにならなければいいですね!」とスマホ画面に嫌味を言い、「ママになりました」とあれば平均程度の学力があってまあまあ健康的な子供に育てばいいですねと呪った。春夏秋冬、季節の移り変わり。子育て。初めての離乳食。体調不良。うまくいかなかった公園デビュー。苦労の連続の保育園探し。そんな彼女たちを僕はインターネットの彼方から眺め続けた。失敗しろ、不幸になれ、僕と同じ呪いを受けろ、そう念じながら。だが観察するうちにそれらの呪詛はいつしかエールに変わっていた。頑張れ。負けるな。そんな直球の応援ではなく、「お前の力はそんなものか」「本当のお前を見せてみろ」という歪んだ形のエールだった。

いつしか僕は、ひどい別れ方をした、もう友人になることもなく、おそらく二度と会うこともない彼女たちを赦していた。彼女たちの多くが別れの理由にした僕の攻撃的な性格が緩くなったからなのか、ただ時間が経過したからなのか、それとも僕のことなど忘れて子供をつくり、家を建て、先へ先へと進んでいく彼女たちと、相変わらずの場所で立ち止まったままの自分との距離が、感情で埋め合わせられないほど広がってしまったからなのか、僕にはわからない。理由はわからないけれども、同じ時代を生きる戦友として、頑張ってもらいたいと考えるようになっていた。確実にいえることは僕が彼女たちの熱狂的な支持者であること、そして彼女たちの誰かが残した言葉の呪いが解けて、ふたたび僕にとって大きなものになりつつあることだ。

かつての呪いの言葉、「スゴ~い!内臓の位置が変わっちゃう~!あ~~ダメ~!」、その真意はもう聞けない。だが、言葉を呪いにするのも力にするのも自分次第なのだ。すごく回り道をしたけれど、それを気づかせてくれたと思えば、夜な夜な別れた女性のSNSをチェックするような、生き恥を晒すようなクソ人生も、そこまで悪いものでもなかったように思えてくる。今、僕は彼女たちの綴る日常に「いいね!」を付けられないことを少し寂しく思っている。交わらない人生。だがそれでいい。今度は僕が、自分で、僕自身のサイズを決める。それだけのことなのだから。(所要時間22分)