Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

20年営業マンとして働いてきた僕が考える仕事上の天敵について

仕事についてネットで語る多くの人たちが「素晴らしい人との何物にも替えがたい出会い」を高らかに歌い上げておられるが、そんなポエムは怒号と叱責と怨念で彩られた地獄のような会社員生活を送ってきた僕の耳には届かない。20年のサラリーマン生活で、ごくわずかの例外を除けば、仕事が出来ない人とばかり遭遇してきた。ピュアに恐ろしく仕事が出来ないとか、要領が悪いとか、スピードが遅いとか、様々な受け入れがたい要素を持った気の毒な人たち。「あらいぐまラスカル」の最終回を見ては毎回涙をこぼしてしまう心優しい僕なので、そのような出来ないマンについても、「仕事が出来ないのはどうしようもないよね」と早々に見切りをつけ、「色々と苦労が多い人生を送ってきて死ぬまで続くのだろうなあ。僕と無関係な場所で頑張ってほしい」とエールを送って自分の中で処理を済ませるようにしている。タフな世界で生き残るために必要なのはある種の諦めなのだ。信じることは大事だが限界がある。そんな僕が宇宙一仕事が出来ない人だと思うのはそういった諦めの対象になるような人たちではない。結論からいえばコンペや選定の結果を伝えないクライアントの担当者である。僕は営業マンだ。結果がすべてだ。コンペやプレゼンの成否。契約を勝ち取れたか、それとも失注なのか。営業マンは最善の努力をした後は神仏に祈りを捧げて結果を待っている。プレゼンが評価され契約に至れば最高だ。失注はそりゃ悔しいけど、すぐに切り替えて次!次!となるのが営業マンという人種なのだ。そんな営業マンに対して期限になっても、あろうことか期限を過ぎても結果を伝えないクライアントの担当者がいる。それも相当数。手ごわい競合他社の営業担当。エベレストよりも高い要求を突き付けてくる顧客。様々な難敵はいるが、結果を伝えない彼らこそが営業マンの天敵である。重症なのは、先述した仕事出来ないマンとは違い、彼らが不自由なく日本語を操り、物事を考えることができ、電話をかけるくらいの能力、つまり平均以上の能力を持っていること。つまり意図的に結果を伝えないのだ。回答期限が過ぎてもイエス・ノーがないので、薄々ダメだったと気づきつつも上層部への報告のためだけに結果を聞くときの、あの、何とも言えない気持ち。「あの~コンペの結果はどうなりましたかね?」「あぁ他社さんに決まりましたよ」想定通り。このような無駄なやりとりをなぜやらなければならないのだろうか。担当者の多くは気弱な事務職。押しの強い営業マンたちに恐れを抱いて言えなかったのだろう。可愛そうに。心中を察して涙が出そうになる。僕は無駄なやり取りのたびに同情していた。そして僕は完全に間違っていた。その後も繰り返された無駄なやり取りの中で、なぜ約束通りに連絡をしてくれないのか聞いてみたところ、クライアントの担当者たちの答えは二つしかなかった。一つは「内定した企業一社にだけ連絡しました。期限内に連絡なければ察しろよバ~カ!」。残りは「失注した営業マンが気の毒だから」。そこに営業マンへの恐れなど微塵もなかった。あるのはクライアント特有の上から目線と傲慢。きっつー。本性を知ってますます彼らが営業マンの天敵と確信した次第である。なぜこのような話をしたかと申し上げますと、今、僕がとあるクライアントからコンペ回答期限を過ぎても連絡がない状態にあるからだ。結果はわかっている。失注だろう。だが奴らの傲慢ぶりは許せない。どう罵ってやろうか?天敵ロックオン。返せ。一瞬でも奴らに同情してしまったあの時間を。僕の涙はアニメのあらいぐまのためだけにあるのだ。(所要時間18分)