Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

米山新潟県知事の辞職によせて。

米山新潟県知事と女子大生のけしからん交際発覚からの知事辞職!という一連の流れに際し、ざまあ、と思った心の汚い自分を今は恥じている。それが正義からではなく、嫉妬心や羨望や妬みからの「ざまあ」だったからだ。告白しよう。僕も、女子大生が、好きだ。定年まで働いたあとは、女子大のアルバイト警備員として女子大生を守りたい。それが僕の思い描く理想のセカンドキャリアだ。米山新潟県知事の会見を見て、僕が彼に感じたのは奇妙な純粋さである。そして僕は確信している。女子大生とお近づきになれるか否か、僕と知事との決定的な違いを生んだのは純粋さだと。能力ではない。東大出の医師免許と弁護士免許を所持する天才と、普通自動車免許といかんともしがたいEDを所持する僕とでは能力面では比べるべくもない。僕が知事に勝っているのは猜疑心の強さくらいのものだろう。

だが、女子大生とお近づきになれるか否かという重大な問題において、こうした能力の差は決定的な要因にはならないと僕は思っている。報道によれば知事はハッピーメールという出会い系サービスを利用して女子大生とリアルガチでお会いしてちょめったらしい。それを知ったとき悔しさのあまり僕は血が流れるほど唇を噛んだものだ。僕は手遅れと知りながら、ハッピーメールのアプリダウンロードコーナーを閲覧した。レビュー欄だ。「いいね!」「さいこー!」という利用者の声、声、声。これまでキャバクーラや店舗型風俗店で騙され、高い授業料を強制徴収されてきた僕には、こういう界隈のポジティブな声が、すべて嘘に見えてしまうのだ。全部ウソだ。みんなサクラだって。指名コーナーのお写真では麗しい御尊顔だった女性が、実際には元横綱朝青龍ことドルジさんにクリソツだった過去が僕を懐疑心の塊にしたのだ。あの夜ほどフォトショ加工を憎んだ夜はない。僕がハッピーメールをダウンロードしていても、どうせサクラだ、もしかしたら同性かもしれん、つってメッセージを送らなかったと思う。米山知事はちがった。ピュアな彼は女性陣の「新潟市在住のおじさまの好きの女子大生で~す!英文学を専攻してま~す」的はプロフを信じ、そしてメッセージを送ったのだろう。信じる者は救われるとは真理だったのだ。

1997年、米山知事が司法試験を受けて法曹への階段を上がろうとしているとき、僕はキャバクーラをハシゴしていた。真面目に学業に打ち込んでいれば、多少、世の中に疎くなるのは仕方がない。指名コーナーはドルジばかり、出会い系はサクラばかりという僕にとっての、いや、おそらく世間一般の常識は、世の中におぼこい知事にとっての常識ではなかったのだ。「サイトの向こうには出会いを求める女子大生がいる」そんな僕らにとってのファンタジーを、知事は純粋さで「おじさま好きの女子大生で~す!」をリアルに変えたのだ。先入観を持たず、疑わず、「女性にメッセージを送りますか?」でイエスをポチットできる純粋さ、それだけは尊敬に値する。先入観をもたないこと。これはビジネスにも通じることだ。先日、僕が先入観で儲からないと切り捨てた案件を、競合他社が軌道に乗せたという話をきいた。先入観がチャンスを潰すことがあること、そして純粋に信じることの大事さを知事は僕に教えてくれた。

誤解を恐れずにいえば、おぼこい知事の過ちは女子大生との付き合い方のみだ。女子大生は情熱的で燃えるような禁断の果実である。口にしてはいけない。ましてちょめちょめなど言語道断。近づきすぎてはならぬ。その禁忌を破れば、どれほど純粋な心を持つ者であれ、太陽に近づきすぎて翼を焼かれたイカロスのように墜落しても仕方がない。同じ趣味趣向を持つ者としては捲土重来を祈りたい気持ちも多少はあるが、今のところは、ざまあ、辞職やむなし、としか言えない。こんな心の汚い僕は援助交際もせず真面目に生きていても、永遠に女子大生と巡り合えないだろう。それだけが悲しい。(所要時間18分)