Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「生きにくさ」とは何か。

「生きにくい」「生きづらい」、そういうフレーズをたびたび耳にするようになったのは、いつ頃からだろうか?マスコミや広告代理店の活動の結果なのか、僕のアンテナのそういうフレーズへの感度があがったからなのか、わからない。おそらく両者だろう。

 確かなことは、生きにくい、という言葉に接するたびに、当事者ではなくても言いようのない閉塞感を覚えることだ。もっとも、生きにくさは、平成の世に、突如、出現したわけではなく、ずっと僕らのそばにあった。ただ、文化や生活のレベルが上がるにつれ、その内容が変わってきているだけのこと。たとえば、縄文時代の生きにくさは「今日は鹿が取れなかった。飯どうしよ…」という直接、命にかかわるような生きにくさが主だったが、現代社会のそれは(心身の病気のようないかんともしがたい事情からの生きにくさは別として)他人との関係性において感じるものが主になっている。生きやすくするための社会が高度になればなるほど、他人との関係性で生きにくさを感じてしまう。なんて皮肉なのだろうか。ひょっとしたらツイッターやSNSで生きにくいと呟くだけで、「僕も」「俺も」「私も」とあっという間に拡散、共有され、強固になってしまいがちな現代の方が、縄文時代の人間よりも、生きにくさの厄介レベルは上がっているともいえる。

 能力が劣っているから、見た目が平凡極まりないから、収入が少ないから、恋人がいないから。それら生きにくさの理由は全部、社会や他者との関係、比較で生じるものだ。クソ上司、アホ先輩、厳しすぎる妻、少なすぎるこづかい。自分以外に、多種多様な人間が存在している以上、世の中は生きにくいものなのだ。生きにくさとは「他人に自分を合わせる無理」である。皆、社会の中で生きていくうえで、多かれ少なかれ、自分を殺し、他人に合わせる、無理をしている。たとえば「こうした方がいい」「なぜあれをやらないの」「次はこれが来る!」こんな言葉に従いすぎてはいないか?いいかえれば、生きにくいとは人間であることの証明なのだ。もし、この文章を読んでいる人で生きにくさ生きづらさを感じている人がいたら、こう捉えなおして胸を張ってほしい。人間だから生きにくいのだと。ついつい人に合わせてしまう優しい人間だから、生きにくいのだと。

 もし、生きにくさが耐え難いレベルになったら、一度、人から離れてみるのもありだと僕は思う。いったん捨ててしまえ。山に籠って鹿を追ってウハー。素っ裸で滝にあたってウホー。他人を気にしないで生きてみれば、生きにくさは感じないのではないか。僕は都会生活の方が好きなので御免こうむるが、縄文人に戻るのはひとつの手段としてありだろう。なにがいいたいかというと、鹿狩りの魅力ではなく、とかく現代社会は人との繋がりを大事にしすぎているのではないかということ。繋がり至上主義のアホになっている。繋がりバカ。テクノロジーの進歩で、ライン、ツイッター、フェイスブック、インスタグラム、ハッピーメール、ぎゃるる、などなど、知らない人と繋がるチャンスは増えるばかりだ。繋がりが善意だけで構成されているはずがない。繋がりが増えれば、生きにくさも増える。ちょっとした意見の相違や犯罪まがいのトラブルも生じるだろう。人との繋がりを重視する一方で、孤独は避けるべきものとされすぎている。孤独が忌避される理由、それは人との繋がりは金を生むが、孤独は金になりにくいからではないだろうか。結局のところ、ビジネスになるかどうかなのだ。先ほど、これは無理、と思ったら繋がりを捨てて鹿を追えばいいと提言したのは、思い付きや勘ではなく、そういう背景があることを僕が経験と尋常ならざる観察眼で看過したからである。

 僕は生きにくさを感じない。そのせいでときどき妻から「キミからは人間味を感じない」と言われてしまうこともある。正確にいえば、僕は生きにくさを感じないようにしている。僕は人との付き合いにおいて、きっつーと感じるようになったら、その人を敵にしてしまう。生きにくさは人に合わせる無理。そういった無理をしないように自分を制御しているだけのことだ。おかげさまで敵ばかりで闘争も多く損ばかりしている気もしないでもない。もっとうまいやり方や付き合い方もあるだろうが、不器用な僕は、対象をエネミーにして、自分というものが影響されないようにしている。生きにくさのレベルは人それぞれなので、自分で対処法を見つけていくしかない。ただ、生きにくさを覚えるのが人間として当たり前であること、そしてその本質が人に合わせることによる無理、だとわかれば、付き合い方のヒントにはなるのでないかと僕は思うのだ。

 実は僕も最近イキにくさを感じている。よかった。僕はまだ人間であるらしい。綾瀬はるか様。深田恭子様。長澤まさみ様。冷めたカップラーメン。残り物のトコロテン。苦節40年。人生そのものといっていいほどの長い時間ををかけて体得したスキルをもってこれらを駆使しても、加齢のせいだろうか、全然イケない。僕にいわせれば、僕が目下直面しているイキにくさとの絶望的な戦いに比べれば、この国の皆様が感じている生きにくさなどは取るに足りない敵なのである。気楽に生きにくさと付き合おうぜ!ガンバレ、日本!(所要時間41分)