Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ひとつの出会いが、ギブアップ寸前だった僕を『戦える営業マン』へ変えてくれました。

もしあの出会いがなかったら、運が悪かったら、これまで20年以上も、営業という仕事をやってこられなかったと思う。新卒で入った会社で営業部に配属してからの半年ほど、まったく結果が出なかったので、継続的に結果を出せるとはとても想像できなかったのだ。当時はインターネットで情報を集められなかったし、今のように営業スキルを教えてくれるような書籍もなかった(有名経営者の立志伝はあった)。会社の上司や先輩からは、足で稼げ、名刺を配れ、見込み客を増やせるだけ増やせ、と言われただけ。具体的に何をすればいいのか教えられなかった。新人もライバルの1人と見る風土があった。


当時、顔を出していたスナックで、時々見かける初老の男性がいた。彼はいつも一人で静かに飲んでいた。ママからは保険の営業マンだと教えられた。何十年もその道の新規開発営業でやってきた人だと。その頃の僕は、まったく結果が出せずに自信を喪っていた。仲の良かった同期も辞めてしまい、精神的に追い込まれていた。だからその保険屋の初老マンに声をかけて営業のやり方を教わろうと考えたのも、実はヤケクソだった。「業界も年齢も違うし、ちょっとしたヒントを得られればいい…」そんな軽い気持ちだった。実際、彼から教わったのは「仕事を断ること」「客を絞ること」だけだ。だが、シンプルなそれが今でも僕の仕事のベースになっている(アップデートはしている)。

彼は、教えるほどのものはないけど、と笑い、まずは数か月、必死になって見込み客を300人作れ、と言った。正直、僕は失望した。伝説的な方法があると期待していたからだ。足を使って、名刺を配っても光が見えないから困っているのだというのに。そんな僕の内心が見えるかのように、彼は「ただ名刺交換しただけは見込み客じゃないからね」と釘を刺した。彼のいう見込み客は、最低年に数回、電話をすればアポが取れて面談が出来る関係、だった。最初は、そこまでの関係性は築けないからとりあえず100人、仕事の話が出来る客をつくるのを目標とするように言われた。そこまでいったらまた声をかけなさいと。

100人くらいは余裕と思ったが、あらためて自分の集めた名刺を検証してみると、世間話は出来ても商談が出来る人の少なさに驚いてしまった。せいぜい20数人。僕は名刺交換を第一の目的にしていた営業方法を改めた。件数から内容へシフト。会社の先輩のいうことに背いたのだ。スナックで、彼と顔をあわせれば会釈はしたけれど、数か月間、仕事の相談はしなかった。彼は、損害保険と生命保険の営業を30年以上続けていると教えてくれた。もう60になったので引退を考えているとも。

内容に少々不安はあったけれども300人という数が見えたので、彼に相談に乗ってもらった。その時点でも、あいもかわらず結果は出ていなかったので、猫の手も借りたかったのだ。「300の次は500かな」という僕の予想は裏切られる。彼は「300人以上見込み客を増やさなくていい」と言ったのだ。理由をたずねると、「それ以上増やしたらフォローが出来ない」と明かした。よく考えてみな。年250日、300人各3回面談してフォローしていたらそれだけで与えられた時間は終わってしまう。実際は言葉よりもずっと大変だよ。キミの思うように相手は動いてくれないからね。これからはフォローをメインにして、新規開発は300人から抜け落ちた人間を補充へ方針を変えていきなさい。

300の内容のある見込み客を維持して大事に育てれば、結果は必ず出る。300の客を守るために、300以上にならないよう客と仕事を切っていくことが大事だと教えてくれた。そして「それがなかなか難しい。それまでの努力を無にするのは勿体ないし、もしかしたらそろそろ動くかもしれない、わずかな可能性を残した客を切るのは抵抗があるからね。0.1%の可能性だけの見込み客を外さないことで10%の可能性のある見込み客のフォローが疎かになるのは絶対にあってはならない」と笑った。彼は300人から外すのは、他社と契約締結をしたとか、商談に前向きでないとか、そういうマイナス要因が見えたときだけでなく、自分の感覚で「ここはないわ」と感じたときでも構わないと言った。

一度だけ見せてもらった彼のマル秘ノート(普通の大学ノート)には、見込み客名の横にバツや下向きの矢印といったマークがかかれていた。見込み客に対する、言葉に出来ない印象を書き込んだものだった。ん?とアンテナに引っ掛かるものがあったら、いちどノートにマークして、もう一度考えてから外しているらしい。よくよく考えても第一印象が覆ることはなかったそうだ。興味深かったのは、彼が、これは必ず契約出来ると踏んでいた有力な見込み客でも、なんとなく気にいらないという理由で、リストから外していたこと。「営業のいいのは、自分で客を選べるってことよ」その言葉は今でも僕はパクって使わせてもらっている。

彼から教えられた方法を取り入れてから、結果がポツポツと出始めた。見込み客フォローを怠らず、300人リストを入れ替えてアップデートを続けているうちに成約率は上がっていった。ノルマをクリアするようになり、在籍中、社長賞をもらえるまでになった。今でも新規開発営業については彼に教えてもらったことをそのまま続けているだけである。仕事を断ること。見込み客を絞ること。もちろんIT化が進んだので見込み客リストの上限数は300より増やしてはいるけれど、基本的にはやり方は変えていない。

僕がその会社を退職するとき、彼は「見込み客リストは『自分で責任をもってやりきれるリスト』でなければならない」と言った。それが何をさしているのか教えてくれなかったけれど、意図も責任もなくただ人間関係を広げていっても意味はない、と言いたかったのではないかと自分なりに解釈している。お酒を御馳走して、お礼をいうと、やったのはキミだよ、とだけ彼は言った。

あれから20年経った。彼は出身地の北九州に帰ってしまい、今、何をしているのか僕は知らない。80近くになっても近所のスナックで酒を飲んでいるのではないだろうか。彼に教わったことはシンプルだ。だが、シンプルさ故に、時代がかわっても通じる普遍性があるのだろう。いろいろな営業メソッドを見て学んできたけれど、はっきりいって、どれも小手先のテクニックにすぎなかった。あの時、彼に出会えたことに感謝している。もし彼との出会いがなかったら、たぶん、僕はちがう仕事をしているだろう。出会いマジ重要。一ミリでいいから、僕も誰かを良い方向へ変えられたらいい。本当にそう思うよ。(所要時間39分)