Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「生産性」という言葉の暴力に対して僕が出来ること。

昨夜、義理の妹が我が家に遊びにきた。「ピサの斜塔見てみたいよねー」っつう世間話から、マイケル・ジャクソンの「スムース・クリミナル」の斜めに身体を傾けるパフォーマンス、それから僕のEDの話になった。僕のED問題は3親等までに共有され、家族の問題となっている。子供もいない。突然、義妹が「熱膨張って使えないかな?」と切りだした。お兄さま、この酷暑パワーをED改善に使えるんじゃなくて??義妹はサイタマ大の理学部出身で、今も現役JDだったらそれだけで僕のタマタマも大になってシュッシュしただろう。僕のアソコは内臓の位置が変わってしまうほど凶悪らしいので、そのイメージと大人の事情をあわせて、ここではドルフ・ラングレンと呼ばせて頂く。完全文系男の僕は詳しくないのだが、義妹の話によると、温度の上昇によって、物体の長さ・体積は膨張するらしい。僕のドルフ・ラングレンを高熱に晒したら、熱膨張により、長さ・堆積が膨張、それによって死んでいる海綿体の血管も拡張され血液が流入するのではないか、と義妹は笑った。それから彼女は、線膨張率、体積膨張率という用語をつかって理屈を僕に説明をしてくれたが、そのときにはすでに僕の頭はドルフ・ラングレンの亀頭と化していて、すべて性的な言い回しに聞こえてしまっていた。

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夜、1人になった僕は、ドルフ・ラングレンが熱膨張する夢をみた。線膨張率。体積膨張率。二つの言葉は僕の中で洗体×膨張×前立腺と淫数分解されていた。完全に目覚めた僕は、エアコンの効いた涼しい部屋から、窓の先にある、熱帯夜、灼熱下のベランダと夜の町を眺めた。夜のニュースは夜間の気温が30度を超えていると叫んでいた。《ドルフ・ラングレンをネツボウチョー》僕は首にまいていた氷枕をドルフ・ラングレンに押し当てた。BIN‐KANな部分は中年になっても変わらない。声が出そうになる。冷たい氷枕をダイレクトにドルフ・ラングレンに当てるとちょっぴりくっつくことを僕ははじめて知った。氷枕を身体から話そうとするとドルフ・ラングレンも商品名「熱すっきりアイスノン」につられて虚空にその身を晒す。それから、窓をドルフ・ラングレンが通過できる程度に開き、そこから冷え冷えのドルフ・ラングレンを世界でいちばん暑い夏へと解き放った。冷却状態から一気に加熱。蘇れ海綿体。だが、ドルフ・ラングレンはダウンしたボクサーのような恰好を崩さなかった。その姿を窓越しに見たときの、あんな悲しみは、もう味わいたくない。なぜ、この行動が妻にバレたのかわからない。監視カメラがあるのか、それとも、世界で熱い夏にドルフ・ラングレンを放ったときに、アへ声が漏れていたのか。今となってはどうでもいいことだ。これが原因で今朝、過去最大級の壮絶な夫婦喧嘩をした。「真夜中に変なことをしないで!」「蘇生手術なんだよ!」「意味わかんないです!」僕たちには子供がいない。そんな僕らは杉田水脈議員からみたら「生産性がない存在」で税金をつかう価値もないのだろう、だが、そのかわりといってはなんだが凄惨性だけは十分にあるので認めてほしい。国会議員の先生からは、ドルフ・ラングレンなんてバカみたいに見えるかもしれない、ネツボーチョーなんて生産性のないくだらない人生に見えるかもしれない、だが、皆、それぞれ、小さいけれど、一生懸命生きている。己の主義主張のために、必死にもがき生きているものを、生産性という名のもとに潰すことは誰であれ絶対に許されないのだよ。(所要時間14分)

僕の絶頂期が終わった。

今の職場で働きはじめてから1年、環境も待遇も良く、営業部長として、皆から「ブチョ~ブチョ~」とバカ殿のようにおだてられつつ、快適に働いてきた。こんな妄想上の新婚生活のような甘い日々が永遠に続けばいいのに…と思っていた。だが、僕の絶頂期は今朝、突然、終わってしまった。今、ボスに事情説明を終えてデスクに帰ってきたところだ。

簡単にいえば、営業成績トップ5にいる3人のきわめて有能な部下(以下「黒い三連星」)が同時に辞めたのだ。きっつー。ボスから営業組織の改革を見込まれて、僕はこの一年で従来のやり方を、ひとつひとつ精査して、廃止したり、修正したりしてきた。多少、抵抗を感じなくもなかったけれど、数字という明確な結果が出ていたので、問題はないとしてきた。数字を追い、数字に追われる営業マンなら、数字が出ていればわかってくれると信じていた。甘かった。黒い三連星は同じ世界に生きていなかった。

彼らは、変化にノーを突きつけ、もし今のやり方を改めなければ辞める、と言ってきた。子供かよ。3人とも僕より年上のベテランなので、いきなりあらわれた年下の上司から今までのやり方をあれこれ指摘されるのが面白くないのはわかる。「俺を踏み台に~」という心境だろう。実際、踏み台にしたのだから仕方ない。僕に出来ることは、せいぜい、踏み台に感謝して、強く蹴り、「跳べ!ガンダム」つって高く飛ぶことしかない。

辞めたいなら辞めればいい。やり方を変えたいなら進言すればいい。なぜ、どっちつかずの行動を取るのだろう?僕は前の会社で散々見てきた。辞めるつもりもないのに「給料を上げてくれなければ、辞めますよ」「自分が辞めたら穴が開いて困りますよね」、「いいんですか?俺、必要悪ですよ?」そういう下手くそなやり取りを。辞めたければ辞めればいい。僕には辞める人間を止める権利はない。そういう手に乗ってしまう性癖もあいにく持ち合わせていない。

「わかった。辞めるのですね。最低限の引き継ぎだけはしっかりお願いします」僕は黒い三連星に言った。「年休の消化等細かいところは総務人事に相談してください」と付け加えると、三連星のリーダー、オルテガ氏が「そういうところが付いていけないのですよ」と言った。いやいやいや、こちらから、辞めろ、辞めてほしいと言ったわけではなく、辞める、と言ったからその希望に沿っただけ、望みどおりになったのだから、むしろ感謝されてもいいくらいなんですが…。まさかとは思いますが、僕があなた方三人の能力や実績を何かと天秤にかけて、やり方を変えたり、反省をするとでも思ったのですか?という意味内容のことは言わせていただいた。

黒い三連星は、独立するのか、同業他社に引き抜かれたのか、今後については口にしなかったが、ウチの顧客を抜くつもり、らしい。ボスに状況説明をした。黒い三連星の退職とそれを容認したこと。そして顧客を持っていかれる可能性について。ボスは「大丈夫なのか?」と気をつかってくれた。大丈夫です、問題ありません、と答えるしかない。優秀な戦力を失う件と顧客を持っていかれる件については、いわゆるスーパー営業マンを否定する戦い方、個ではなくチームで戦う営業部隊をつくってきた自負があるので、申し訳ないが黒い三連星が考えているよりも、損害は出ないと考えている。

ボスの前でも黒い三連星の前でも「残念です…」と言ったのも、お世辞ではない。黒い三連星が、残念な辞め方しか出来ない残念な頭脳しか持っていない方々であったとは、実に残念だ。僕は彼らのことは評価していた。痛い。痛いけれども「古株がいなくなれば、新しいやり方を進めやすくなる」とポジティブな面を見るようにした。黒い三連星も、ボスも、僕がダメージを受けているとみていたようだが、ダメージはゼロ、まったくない。

僕はかつて酷い環境で働いていた。生き抜くために身に付いたのは、精神的なタフネスと無神経である。つまり僕はブラックな環境で身に付いた武器でホワイトな環境で戦っている。今の環境ははっきりいって楽勝すぎるのだ。多少、トラブルがあるくらいで僕にはちょうどいい。楽観はしているが、黒い三連星が去ったあとに何が起きるか見てみよう。いずれにせよ、人が足りなくなるので、しばらくは忙しくなりそうだ。僕に出来ることはノルマを達成しつつ、スタッフに残業をさせない労務管理をすること、そして黒い三連星の《退職ジェット・ストリーム・アタック》を難なく退けること。こうして僕の絶頂期は終わり、安定期がはじまるのだ。(所要時間21分)

あの夏、不完全な僕たちは殴り合うしかなかった。

去年の夏、まだアルバイト生活をしているとき、母から「地元のお祭りの手伝いでもしたらどう?」といわれた。どーせ暇なんだから、人様の役に立ちなさい、もしかしたらそれで仕事が見つかるかもしれないよ、と。地元の祭りは中学時代の友人や顔見知りが仕切っている。母からみれば、僕らは、まだ家に集まってファミコンで遊んでいる中学生グループなのだろう。だが、僕は彼らとのあいだに距離を感じていた。

昭和最後の夏休み(1988年)、中学三年生の僕はテレビゲームばかりしていた。仲間で集まってファミコンの「カイの冒険」をプレイしながら、エロ本を眺めたりジュースを飲んだり馬鹿な話をしたり。そういうくだらない時間の流れに心地よさを感じながら、妙な違和感が沸き起こってきた瞬間、温くなったスプライトを喉に流し込んだ瞬間を今も鮮烈に覚えている。

こいつらとはもう一緒にいられない、という自分がエイリアンになってしまったような感覚。裏切っているような後ろめたさ。それを感じた瞬間が、傍目にはファミコンとコントローラーのように有線で繋がっているようでも、僕が彼らとは違う人生を歩きはじめた分岐点だった。ボンクラな学生生活をしながら、本物のボンクラにはなりきれない自分、要領よくボンクラを演じている自分に嫌気がさしていたのかもしれない。彼らはこの町に死ぬまでいる人間で、自分はこの町から出ていく人間。シンプルにいえばそれが僕の認識だった。僕らは「カイの冒険」に挫折した夏が終わると、誰が言いだしたわけでもなく、自然と別々のグループにわかれて距離を置くようになった。不完全だった僕らは距離を置くことでお互いが傷つかないようにしたのだ。

ファミコンがスーファミになり、プレステの時代になった。大学を卒業して就職するときも、僕は彼らとは距離を置きながらも、彼らと同じ町に住んでいた。神奈川という土地は、東京に進学したり就職する際に、わざわざ出ていかなくても済んでしまうのだ。僕は気持ちは地元から離れているのに、身体と生活は地元に存在している、という状況に陥っていた。

違う人生を歩いている彼らとのランデブーは起こる。はっきりいって、ヤンキー、つーの?ジャージ姿でミニバンを乗り回す彼らを僕は見下していた。彼らのいう「地元愛」は地元から出ていけない奴の言い訳だと居酒屋でたまたま顔を合わした彼らに、酒の勢いではっきり言ってやったこともある。「変わったな」「勉強ばかりしてんなよ」という彼らの声も、「負け犬の遠吠え」と浅はかな僕は聞き流した。

僕は羨ましかったのだ。ホンモノのボンクラで在り続けている彼らが。結局のところ、僕はそのときの風にあわせているだけの風見鶏でしかない。根無し草なのだ。他人や世間が良いという価値観や人生に合わせているだけなのだ。アホでもいい。バカでもいい。自分の足で立ち、世の中を歩いてみたい。その感覚を知らない焦りみたいなものを、そのときの僕は覚え、彼らにぶつけていただけなのだ。彼らだって同じように感じていたと思うが決定的に僕と違うのが、町の外の人間の目を気にしている/気にしていない点だった。彼らとはますます疎遠になった。もう、永久に彼らとは打ち解けあえないと分かったとき、どうでもいいと切り捨てた関係を想って、寂しい気持ちになったのは今も苦い記憶だ。

去年の夏、僕はアルバイト生活の根無し草だった。結局、母の助言は無視して地元の祭りには参加することはなかったけれども、祭りには顔を出した。8月の夕暮れ。屋台がぽつぽつくらいのささやかな祭りだ。金魚の泳ぐビニルプール。その奥にあるミニバンと実行委員と貼り紙された仮設テントに懐かしい顔があった。目が合った僕は手に持っていた缶ビールを掲げた。それでおしまいにしようというサインだったが、彼は出てきた。タンクトップに金ジャラのネックレス姿のひどい姿だ。昔話に花が咲くなんてファンタジーだ。僕らはお互いに「久しぶり」とだけ言って何も言うことはなくなってしまい、「じゃあ」つって別れた。それで充分だった。

映画「スタンド・バイミー」のラストシーンに「私は12歳の頃の友人を二度と持つことはなかった」というリチャード・ドレイファスのモノローグがある。公開当時はピンと来なくて、ただのセンチメンタルだと思っていたけれども、今さら、やっと、意味がわかった。不完全だった頃の僕らの罪を許し、認め、理解し、殴り合えるのは、不完全だった頃に知り合った友人だけなのだ。

僕は、昭和最後の夏を共に過ごした彼らと違う人生を歩んでいる。おそらく、あのときのような関係に戻ることはないが、それでいい。あの夏、僕が感じた違和感を、僕はわりと最近まで自分だけの特別な感覚だと考えていた。それは間違っていて、おそらくカイの冒険を遊んでいた僕ら全員が抱いていたもので、だからこそ僕らはお互いに距離を置くようになったのだろう。僕は彼らよりそれを少しだけはっきりと感じることが出来たにすぎない。

地元の祭りで、かつての仲間たちが、僕の人生の向こう側でいきいきとしている姿を見て、なんだか嬉しくなってしまった。羨ましい、という成分のない純粋な嬉しさってなかなかない。自分とは違う人生にも違う喜びや楽しみがある、そんな当たり前のことにいまさら気付き、嬉しくなるなんておかしい。違いを認めることが人生を楽しむ秘訣なのかもしれない。

ある日、ふと「カイの冒険」が未クリアなままになっているのを思い出した。中古ショップで買ってきて、大袈裟ではなく《血を吐くような》苦労の末クリアした。あれほど皆で目指したクリアだったが特に喜びはなかった。そのとき、僕は、あの昭和最後の夏が、自分の中でもう殴ることのできない完全な過去になっていることを知ったのである。(所要時間26分)

1ヵ月経った。

事件から1ヵ月経った。事件については、被害者と距離が近いこともあって、まだ消化できてはいないけれども、距離の取り方、僕なりの付き合い方は何となくわかってきたので書いてみたい。いろいろな人が背景や原因について語ったり、分析している。だが、「加害者はこう考えて、あの行動を起こしたのではないか」とこちら側の考えた物語に安易に落とし込んでいいものなのだろうか? というのも、加害者はすでにこちら側の想定、物語を超えているからだ。《あれくらいで人を襲うのか》《会ったこともない人を…》そう考えるのが平均的な考え(「常識的」ではない)と思われるが、それを超えているところにいる者をこちらの尺度ではかることなど到底無理だと思うのだ。もちろん、事件の背景や原因について皆で考え、分析し、再発を防ぐことが必要なのはいうまでもない。だが、それは同時に、超えてしまっている者に対しては後手に回らざるをえないことの証明でもあり、それが僕を絶望的な気分にさせるのだ。加害者は犯行のあとにネットに声明を出している。犯行前ではなく、犯行後に。その文章を僕は意識的に避けていてずいぶん後になってから読んだのだけれど、僕の予想していた勝利宣言めいたものではなくて、事後報告で驚いてしまった。わかってもらいたいと言っているような内容と僕は読んだ(わからんけど)。ネット上で意味不明に荒れていた犯人が、こちら側に寄ってきてるようで気味が悪かった。率直にいえばこちらの物語に入ってきてほしくないとさえ思った。結局のところ、わからないものはわからないままなのだろう。犯人が何を考え、行動に至ったか、本人がこれから何を語ったとしても、その真偽なんてわからない。だから、ただ裁判で量刑をさだめて、粛々と刑を執行すればいいと思っている。人を殺めるのは論外で同情の余地はまったくないが、被害者の彼も、そして加害者以外の多くがそうであったように、ネット上での煽りや弄りが、どれだけ人の怒りのポイントを刺激しているのかについて、そして人の感情の沸点の低さについて想像することの難しさと限界を突きつけられたような気がする。僕は20年近く日記みたいなものをネットに流し続けている。そのうちのいくらかはストレス発散の愚痴や怨念によるものだ。だが、実際にストレスや怨念がすっきりしたかといえば、すっきりしたものもあるが、そうならなかったものもある。そして、残念ながら、ならなかったものこそ、総じて重くて深い。ネット人格として、怨念や愚痴を込めた言葉をネットに流しても、リアルな肉体にそれは蓄積している。そしてその純度は高い。これは想像でしかないが、おそらく加害者も僕と同じようにネットに負の感情を垂れ流しながら、知らず知らずのうちに負の感情を蓄積させ、平均的なこちら側の人間の想像の外の存在=モンスターになってしまったにちがいない。つまり、ネットに何らかの感情を垂れ流している種類の僕のような人間は、誰でも、あの加害者、モンスターになりうる、ということ。僕は思うのだ。確かにネットは現実の問題の救済にもなりえるが、現実の問題は現実のなかで、それがどれだけ苦しく消耗するものであれ処理したほうがいいと。その苦労から逃げ続けていることが、誰の中にでもいる、あのモンスターのサナギに栄養を与えることになるのだから…。そんなことを今朝、朝顔に水をやりながら考えたりしていた。(所要時間15分)

組織的な熱中症対策を頑張ってみた。

殺人的な暑さが続いているので、営業部の責任者として対策を打ち出すことにした。営業畑で20年ほど働いてきたけれど熱中症対策については「何とかならないねーの?」とずっと不満に思っていた。というのも、他部署と違って仕事の大部分を個人の裁量に任せている営業部の熱中症対策というと、水分を多く取ろう、休憩を入れよう、という注意をうながすくらいの、それぞれの判断に任せたものでしかなく、組織としての対策はまったくといっていいほどなされていなかったからだ。

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▲「営業中の風景(神奈川県某所)。気温34度日陰なし。もちろん1人。こんなところで熱中症で倒れたら確実に死ぬわ…」

炎天下で判断力が低下している環境で個人に正しい判断を求めるのはなかなかの無理ゲーではないか。実際、熱中症で倒れた同僚の営業マンを何人も見てきた。ましてや今年の夏は記録的な暑さ。各地で死者も出ている。営業職という仕事が個人の裁量に任せる部分が大きくても、組織的に守らなければならないと感じている。

営業活動の禁止

まず「外回り営業は原則禁止」とした。「原則」としたのは必要最低限の面談や打合せは必要だからだ。営業活動を禁止したアホな営業部長を僕は他に知らない。営業部として掲げている目標数値を下げるつもりもない。貯金が活きた。僕が営業部を任されてからいろいろとやり方を変えた結果、4月からの貯金がまあまあ出来たので、ここで少しペースを落としても、問題ないと判断したのだ。この1週間かそこらを無理して働かせて体調を崩されるよりも、休ませて体調を崩すことなく夏を乗り切る方が得策だと計算したのだ。たとえば今15人のメンバーで仕事を進めているが、1人欠けるだけで戦力は6.6%ダウン。仮に2人ダウンすると13.2%の戦力ダウン、これを残りの13人で取り返すのは無理だからだ。他の部署からは「営業しない営業部」と揶揄されそうだけれども…。また、外回り営業する際は訪問先を報告させ、移動する際は必ず連絡を入れるようにさせた。有事の際にすみやかに対応できるようにするためだ。

水分補給を会社負担へ 

「営業活動禁止!」以外の対策としては、仕事中の水分補給にかかった費用はレシートがあれば経費で落とすことを認めた。予想通りだけれど、自分の財布ではなく会社の金で飲めるとなると、通常よりもドリンクを飲むみたいだ(昨日1日だけの実績だが)。人間て意地汚い。きっつー。とはいえ熱中症になって治療費を負担することに比べればコスト的にはたいしたものではないのでよしとしている。責任者としてはアイスコーヒーは認めるけれどコーヒーフロートやコーヒーゼリーはちょっと引っかかるし、ホットドッグは経費で落とすのはちがくね…と思わなくもないけれど、水分補給のため、栄養補給のため、補給するぞ補給するぞ補給するぞとマントラを唱えながら当面は見て見ないふりをするつもりである。調子乗って、雑誌とかを落とそうとしたら、地獄を見せてやるけれど。

保冷剤を支給 

また、先の3連休のあいだに妻とドラックストアで箱買いしておいた、安売りされていた保冷剤と経口補水液オーエスワンを会社のフリーザーで冷やしておき、外回りにでる社員には手渡すようにした。厳しい暑さを少しでも緩和出来たらいい。こういう目に見える対策のほうが「部長、俺たちのこと考えてくれてる感」がすると思ったからやっただけの、いってみればパフォーマンスだが、思いのほか喜んでもらえたのでよかった。

なぜ取り組むのか

営業部という個人の裁量にまかせている部署で出来る組織的な熱中症対策はまだ始めたばかりだ。これからトライ&エラーで皆の意見を取り入れてルール作りを進めていきたい。他に良いアイディアあったら教えてほしい。

 なぜ、僕が組織で熱中症対策をするかというと、自分の居場所を守るためだ。僕は一年前に来たばかりで、いきなり責任者になった。面白く思っていない人間もいるはずだ。友達をつくろう、とか、同僚と感動体験をシェアしたい、みたいな薄気味悪い気持ちは毛頭ない。ただ、仕事で、僕のことを面白くおもっていない人間を納得させたいと考えているだけだ。そのためにはノルマ達成という実績と職場環境の改善は必要不可欠だ。まあ、ウマくサボれって話なんだけど立場的にそれは言えない。ずっと営業として働いてきたので、営業の最前線で働いている現場の人間を守りたいという思いがないわけではないけどね。(所要時間19分)