Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

飛ぶ犬


 ぐいぐいと首を締め付けられているような感覚に陥る瞬間がある。そういった瞬間に入るときは一日を無駄に過ごしてしまったときだ。浪費ってやつ。そんな日の夕方は、シャツの襟に走ったヒンヤリとした汗のラインが、絞首刑、或いはスーパースロウなギロチンみたいに思えてくる。ルーチン化した生活が僕をそう思わせる。だから僕は宣告する。さようなら。さようなら。人生をつまらなくするルーチン化クソども。ライフハックとか恋愛マニュアルとかマジクソ。


 いろいろなクソに別れを告げて、僕は奇跡と出会うべきだ。もっともっと。そうだ僕は奇跡を信じている。モーゼの、海を割るような壮大な奇跡ではなく、日常をほんの少し明るくするような光を抱いた奇跡を。出来ればその奇跡が身近でぎりぎり手の届かないところに存在して見守っていて欲しい。たとえば、帰りの夜道の上を突っ走る電線のうえとか、コンビニの冷蔵ショーケース、ビールの陳列の後ろ側とか、女子大生バイトがたどたどしく打つレジスターのキーの表面に記された数字とかに。


 犬の話だ。僕は犬を飼っていた。タローは僕が中学生のときに弟が拾ってきて我が家のメンバーになった。スーパーヒーロー、ウルトラマンタロウから名前を拝借したわりに広島東洋カープの伝説的バッター・ランスがヒットを打つ確率(.207)よりも低い頻度で成功する「お手」と、さおだけ屋の軽トラックから流れる「さおだけソング」に合わせて吼える以外には何も出来ない駄目な奴だった。「タローは本当に何にも出来ないなあ。飯喰って寝るだけじゃん」「兄ちゃんと大して変わんないじゃん」「てめー何言ってんだ」「ワオーン」タローがいる光景は僕の日常の一部、アタリマエになっていった。


 タローは相変わらずのダメ犬で喰って寝るだけだったけれど、僕ら家族は変っていった。父は死んで、母は仕事を始め、大学生になった弟は家を出ていった。僕は会社を辞めて家に戻ってきた。面倒をみてくれていた父や弟がいなくなり、僕が酒を飲んでひきこもっていくさまをタローは犬小屋から、さながら定点観測のように見つめていた。


 家族の節目節目に敏感な不思議な犬で、父の出棺のとき、僕が歯磨き中にくしゃみをしてギックリ腰を引き起こしたとき、弟の子供が生まれたとき、という絶妙なタイミングでエスパー伊藤ばりに首輪を外して脱走を繰り返していた。こうした脱走の数々も、アホ犬なりの感情表現であったのかもしれない。かなり間違っていたけれども。晩年のタローは腰が曲がり足も弱って歩けない状態になった。僕や家族が帰ってきても気づかずにグゴグゴとイビキをかいて眠っていることが多くなり、ある朝眠るようにして旅立っていった。


 ある程度覚悟はしていても実際に「その時」がきてしまうと、体のどこかに穴が空いて気が抜けてしまうような喪失感があるものだ。何日か経ってタローが使っていた鉄皿を片付けているときに母がタローの小屋の前に飾った小さな花を見ていたら、悲しい寂しいといった感情や思い出や家族の歴史やその他カテゴリー不能のものがごちゃごちゃになって胸のなかを駆け巡り僕はその場に立ち尽くしてだらだらと鼻水と涙を流していた。家の前をとおりかかる親子の声。「お母さーん、あの人泣いてるー」「見ちゃ駄目よ」。親子の声が足早に遠ざかっていくなかで僕はタローの奇跡を思い出していた。


 タローが亡くなった朝。ちょうどそのころ数百キロ離れた仙台に住んでいる弟の家で、甥っ子のアンパンマンのおもちゃ(ボタンを押すとボタンに対応した挨拶が流れる仕掛けになっているおもちゃ)が突然動き出して声が流れた。


 「じゃあ、またね!」


 弟は僕からの知らせより前に、そのおもちゃの声でタローが亡くなったと直感したらしい。タローは小さいころ可愛がってもらった弟に最後の挨拶をしていったのだろう。その話を聞いたとき僕は、中学生に戻っていた。中学の学ランを着た僕の目の前で、ハアハア興奮しながら舌を出して弟のランドセルに向かってぴょんと飛んでいくタローの前足をちょんと伸ばした間抜けな姿を思い出していた。あんなふうに最期の最後に力を振り絞って弟のところへ飛んでいったのかもしれない。


 今、僕はタローが見せてくれたような奇跡に出会えると信じて生きている気がする。それはとても小さく儚いものかもしれない。それでも人生を面白いと思わせるには、彩を与えるには十分だ。通勤電車や駅や街路樹や本屋やCDショップ、いろいろなところに第二のタローはいる。ま、タローが死んでから数年経ったけれど、晩年の面倒を看た僕のところに飛んでこなかったことに僕はずっとムカつき続けている。