Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

if


 昨夜、友人のジョーク、「生きているのがつらい、死にたい」。先日、テレビのニュース、「自殺者が12年連続で3万人を超えた」「長引く不況で経済的要因による自殺が増えている」。こういう話を耳にするたびに僕は、潰されるような息苦しいような気持ちになる。あの日のことを思い出してしまう。痛みとともに。それから、僕は、知っている人、これから知り合う人、知り合わない人、いろいろな人たちにむけて、どうか命を断つようなことはしないでほしい。もういちど考えてみてほしい。周りにいる人のことを。もし孤独なら、好きな食べ物でも面白かったゲームのことでも昔みた夢でもなんでもいい、自分と繋がっているもののことを考えてみてほしい。死なないでほしい。痛みのなかで、僕は祈る。


 18年前の春、父は自殺した。動機はわからなかった。遺書もなかった。前兆もなかった。と思う。そう信じたい。葬儀が終わって落ちついたころ、母が僕に「いいお父さんだったでしょ」と訊いた。答えを求められていないので頷くだけで返事はしなかった。いい親父だった、と迷いなく答えられなかったはずだ。僕のなかにある父との記憶、いろいろな思い出に、父の自殺は暗い影を落とし始めていたから。「親父、いつから考えていたんだ?」


 家族と過ごしているとき、たとえば食事や、僕や弟と遊んでいるときに、父は死について考え、死にとらえられ、死を決めてしまったのではないか、そういえば僕らが笑っていたときに父は笑っていなかった…かもしれない、というふうに記憶は改竄されてしまう。自殺によって。そうであったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。誰にもわからない。けれど、僕はしばらくのあいだ、父との記憶、シーンを取り出し、ひとつひとつ手のひらにおいて指先で確認するように思い出してみることがあった。僕は否定したかったのだ。そんなことはないって。もっとも、その行為は、いつも明確に否定できずに空しさだけが残った。幸せな記憶を疑いながら辿るのはとても悲しい。自殺は、周りにいる人の一部とその人の関わった記憶をも変容させる。影を落してしまう。


 死の前日。誕生日が近くなり免許書き換えの葉書が届いた父が、明日、警察署まで送ってくれないか、といってきた。僕は、メンドクサいなひとりで行けよ、とこたえた。また、昔の有名人は表舞台から姿を消して今こういうことをしている、というテレビ番組をみていた父が、こういう生き方もあるよなあ、とつぶやいたので、僕は、負け犬は嫌いだ、と言い返した。普通の親子間のやりとりのつもりだった。父の死を経て、もっと別の言い方をすればよかった、なんでああいう言い草しかできなかったのだろう、なんて今でも考える。過ぎてしまったことについて、もしも…、ifの物語を紡ぐのは、こうであってほしいという願いだ。祈りだ。語られる人、語る人、双方にとっての。


 僕がいつまでもバカみたいに過去を語るのは、死によって変えられてしまった、影のさしてしまった父との記憶から影を消し去りたいからだ。それが僕の祈り。父との記憶にたいしての。言葉は神で、過去について語るとき、たとえそれが過ぎたもの、終わったものであっても、希望をもたらすことができる。間違いだったのだ。父にとっても、僕ら家族にとっても、あるいは他の人にとっても。あれは。それが事実なのか、僕がつくりあげた想像の産物なのか、正しいのか、間違っているのか、わからないけれど、そう思えるようになれればいい。


 母は父のことを話すとき、いつもぶふーって笑う。屈託なく笑う母をみるたびに僕は、ああしていればよかった、こうしなければよかった、とifの物語を無限に産み出し、父に対する許せない気持ちを抑えられくなる。なんでなんだって。バカバカバカって。ついこないだまでは。遺書めいたものもなく、動機もわからなかったので、ムカついていたのだ。僕は。父の写真をみるのは嫌だ。まだ。僕は。だけど、家庭をもっていてもおかしくない年齢になった僕は、何にも語らずに死んでしまった父の優しさが少しだけわかる気がする。大掃除で出てきた古い写真を見て母が笑う。見ろ見ろ、しつこいので僕も見る。笑う。弟を肩車しながらコマネチを全力できめる若い海パン姿の父。ぜってー死ぬことなんて考えてねーってバカ面。僕は時間をかけて父を許す。これからも僕は父の記憶についてifを語る。まだまだ悲しみや後悔の物語は多いと思うけれど、コテコテのギャグ物語がたくさん生まれてきてほしい。