Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

会社ぶっこわしました

 昨夜。帰路。窓につく雪をワイパーがかきわける音だけが空ろに響く車中の重苦しい沈黙。を破って、ハンドルを握った部長が、雨は夜更けすーぎにー雪へとかわるだーろー、って有名すぎるフレーズを口ずさみ、この歌を知っているか、と尋ねてきた。馬鹿にしているのか。間髪いれず答えようとした僕の「知っています」に、かぶせるように部長曰く、「これはオフコースの「さよなら」だ、出来る営業マンは歌を知っている」。疲れる。呆れる。言葉にできない。それから僕は、さよなら、さよなら、さよならーああーオーゥサイレンナーィ、ウェーホリーナーィ、著作権に抵触しない歌が生まれるさまを目撃した。嫌な予感が、した。


 夜更けどころか夕方から、雪。客先から出るや否や、部長が「お前は雪道運転の経験が不足している。物心ついたときから雪道を走っている俺が代わりに運転してやる。今日は特別だ」といいはるので、らしくないけどまあいいか、眠いし、ってお言葉に甘えて助手席に乗り込んだのだ。「部長の田舎って雪国なんですか、知らなかったです」「何もわかっていないんだな。上司の田舎を知らないヤツに出世の道は閉ざされている…。俺は薩摩隼人だ」。シートベルトがきちんとなされているか確認。「どうだ俺のドライヴィングテクニック」。助手席にいる僕に熱視線を飛ばしながらの右折。「お願いですから前を向いて運転してくれませんか」「死亡率がもっとも高いのは助手席だってよ。HAHAHA!」演技でも縁起でもない、手に負えない。


 なにごともなく会社に到着。駐車場は地下一階。二箇所ある入り口は防犯のためシャッターがおろされている。暗証番号を入力するとロックが解除され入れるようになる仕組み。ヘッドライトに照らされた地下へのスロープは、雪が薄く積もっていて、いかにも、滑りそうであった。坂を下らずに入れる、もうひとつの経路、通称《裏口》を提案したが、なんで仕事をやってきた俺が《裏口》から帰らなきゃいけないんだ…俺はいつでも正攻法だった…、といって聞く耳をもたない。仕事ね。部長が客先に出してしまった年額を月額と勘違いした見積書について謝罪、という楽しい仲間もいて誰でもできる簡単なお仕事です。


 「部長、気をつけてください」「何に気をつけるんだ?」スリップだよ。事故だよ。徐行していけば問題ない、そういって部長は車の鼻先を下り坂に乗り出させた。雪ぐらいでびびりやがって、情けねえ奴だ、陰口になってない陰口が聞こえたが無視していると、あれ、おえ、おうえ、という虚をつかれた部長の声。運転席方面をみると、ちっ、ブレーキがきかねえ、俺もここまでか…、なんつってる。あきらめ、早っ。


 つーっ。ゆっくり滑り落ちていく車、迫りくるシャッター。部長は恐慌して、窓をあけたり、クラクションを鳴らしたり、意味がない行動をしていた。つーっ。ゆっくり滑り落ちていく車、迫り来るシャッター。僕はサイドブレーキをひいた。車、停止せず、つーっ。部長は車検シールとエアバッグの場所を確認していた。仕方ない見捨てよう、部長さらばっ、ドアをあけようとすると、逃がさんぞ、と怒号が飛んでくる。二人であたふたしているうちに時速3キロ(推定)の猛スピードでシャッターに激突。かしょーん。シャッターがストッパーになって車が停止。


 シャッターも車も無傷。よかったねよかったよ。はは、慌てちゃいかんね、ってやっていると突如、部長がアクセルをふみこんだ。バキバキバキ。1500cc前輪駆動が唸りをあげて突き進む。焦げた焼き魚の骨のように折れ曲がっていくシャッター。本気で狂ったか。「部長やめてください!」僕が叫ぶと、呼応するように目を見開いた部長が「逆噴射ー!」と絶叫、今度はギアをバックにいれ勢いよくアクセルを踏み込んだ。空回りするタイヤ。部長は、押してもダメならひきゃあいいんだと絶叫し、バリバリバリ、車を強引にシャッターから引き離した。ボンネットには激しい性行為のあとの背中のように爪跡が。車は、雪で滑りつつ、坂をのぼっていく。


 ひきゃあいいんだ、ひきゃあいいんだ、ひきゃあ、ひきゃあ、ひきゃあ、アクセルを踏むたび、部長は叫んだ。三歩歩いて二歩さがるように車はのろのろと雪の坂道を登った。耳が痛くなるほど澱んだ声で叫んで、胸くそが悪くなるから、せめて周辺には聞こえないように、僕はカーステのスイッチを指で押す。ひきゃあいいんだろ。ひきゃあ。雪を裂く耳障りな声は、僕の孤独を深くしてくれる。ああ、部長の背中、いちどでいい、蹴りとばしたい。


(深夜撮影。底部が大きく湾曲している。レールからも外れたシャッターは完全に沈黙)

 シャッター、大破。被害を最小限に抑えられた、できる営業マンはリスクコントロールにも長けているものだ、俺は悪くない、出るところに出たっていい、うしろめたいところはなにもない、煙草に火を点けながら呟く部長にはまるで反省の色がなかった。今日、うしろめたくない部長は体調不良を理由に会社を休んだ。


 僕は午後、社長と常務から呼び出され事情聴取される。朝、事故報告書を書いていると部長から電話。「凍結した坂道でスリップしたやむをえない事故。俺の運転技術で人的被害が出なかったのが不幸中の幸いだった。や・む・を・え・な・い。そこを強調して報告しておけ」。僕は事実をそのまま社長に報告しようと思っている。