土曜、早朝、電話がなる。早朝や深夜の電話は不幸な知らせが多いので出来ればとりたくない。次は誰の結婚式だ。それとも、飲み代の取立てか。いやんいやん。って駄々こねていれば電話が静かになるわけでもないので、観念し、もしもし、電話をとる。声の主は、大学以来の友人、横田。夏にあったときは、携帯電話の工場で働いていたはずだ。「もう俺はだめだ。田舎に帰ることにした」、横田は言った。部屋の片付けを終え、明後日に発つ、今日会おう、僕の都合に構わず一方的に告げ、電話は切れる。僕の手のなかにある携帯電話も横田が組み立てたものかもしれない。
青森出身の横田とは大学の文芸サークルで出会った。同じ法学部法律学科。入学三ヶ月でそっち方面の才能のなさに気付き脱出路を探った僕とはちがい、横田は成績もそこそこ優秀で、卒業後も就職せずにそっち方面の勉強とアルバイトの生活を続けていた。十数年が経った。司法試験合格の知らせは届いていない。
昨夏にあったときは好調だった。横田は、人妻デリヘルのライターで煙草に火をつけ、次はふとんを売る、布団訪問販売会社に入る。そう言っていた。日本は一人一布団の布団立国だ。掛け布団、敷布団、座布団。布団がない家はない。そこが勝機だ。ドアをあけて布団いかがですかというと、やあ君ちょうど布団を切らしていて困っていたところなんだ、って経緯で簡単に商売がなりたつうえ、身体の不自由な人やお年寄りに感謝される立派な商売なのだ、てな具合にね、イキたいっすね、そういって胸を張った。
待ち合わせの場所に現れた横田はとても疲れているようにみえた。「どうして青森に帰ることにしたのさ。布団はどうなったんだ」「実は年末に身体を壊して仕事を辞めた」。布団商売については終始語らなかった。粗末な食事と寒い部屋で身体を蝕まれ、ある朝、首から肩にかけて猛烈な痛みに襲われたらしい。神経痛。具なしのお好み焼きと出枯らし珈琲の食生活ではやむなしか。「それで続けられなくて仕事を辞めたのか」「そう。自分から辞めた。身体を壊したときに、気持ちが折れてしまって、もうすぐ四十にもなるし、急に不安になってきてさ、決めた。派遣先の携帯電話工場の同僚が最後の日に見送ってくれてさ、感動したなあ」
数年前に一度、僕は聞いたことがある。ここいらで一度就職してみてはどうか、と。そのとき彼は、三十過ぎまでアルバイト生活しかやっていない男を雇う会社はない、試験には受かる、だから就職活動をする気はないし必要もない、強い口調で言い切っていた。僕は横田に公訴時効についての簡単な質問をした。答えられなかった。そのころにはもう、試験勉強をしていなかったと僕はみている。
青森の求人状況、全国と比較しても、芳しくない。そんな状況で戻るのだから、当然、仕事のアテがあるのだろう、仕事が決まっているのを前提に、気楽に、次は何の仕事をするんだ、尋ねると、何にも決まってないと返され、僕、気持ち、どよん。追い討ちをかけるように、「東京のハローワークの活況をみたことがあるか。仕事なんかない。絶望的な状況に俺はもう懲り懲りした。青森に帰れば衣食住は安定する。確かに青森は芳しくない状況だ。予備校だって潰れるくらいだ。新幹線開通?あんな青森市街から離れたところ、無人駅があるだけのようなところに新幹線が来たって何も変らない。産業もない。求人は介護ヘルパーと看護士は若干あるが、身体を壊した俺には無理だ」と言った。
「どうするつもりだ?」「しばらくは実家で休む」「へ?働かないの?」「寒いのは苦手だ。身体にもよくない。親も健在だ」「その後は?」「家庭教師ビジネスを始めるつもりだ」「わかるのか、勉強」「準備はしてある」。そうだよな、もういい大人だもんな、準備くらい当たり前だよな、サインコサイン、水平リーベ僕の船、って安堵していると「中学一年生までを対象に教えようと思う」なんていう。そのあとの年代が重要だろー受験とかあるし。「中学二年以降は教えないのか」「その年代以降の勉学はさっぱりわからん。さっぱ〜りだ」絶望的な気分になった。「客のあてはあるのか?」「ない。でも、俺、携帯つくってたじゃん」。組立だろ。東京郊外にある携帯組立工場のラインを僕は想像して悪い予想をしながら「そうらしいな」。
「東京で携帯開発って経歴をビラに記載すれば青森の人間は純朴だから、携帯をつくっている人なら学問が凄いと思って、仕事はくると思うんだよね」。…。みたくなかった。大学時代。法律をなぜ学んでいるのか、論議になっていたとき、法律を学ぶのは法律を破るためだとうそぶいた僕を、烈火のごとく非難した人間がここまで劣化するのをみたくはなかった。苦々しく、やっとの思いで「そうか」と言うと「軽トラックを買って昼間は赤帽をやろうと画策している。金は親に借りる。昼は赤帽、夜は携帯家庭教師で大逆転だ」なんていい、赤帽のシステムの素晴らしさを語りはじめたので、田舎のご両親が不憫になってきて「あの〜もうちょっと地に足のついたことをしたほうがよろしいのでは…」助言すると、「この世は底なし沼、地面なんてどこにもないよ」って横田は言い返してきた。
横田はつづける。
「車、携帯電話…いろいろなものを東京でつくったなあ、不思議と技術がものになりそうなとき、仕事に興味がでてきたときに、他の場所に移されていくんだよなあ、話ができる同僚が出来たと思うと次の日からいなくなってしまったなあ、手に職とかいわれて、職業訓練も受けたりしたけど、結局、携帯の組み立てが出来るようになっただけだったな」「とりあえず身体を治しなよ」「なあ、ひとつきいていいか?」「うん?」
「どうしてこんなことになっちまったのかな。なんか間違ったこと、俺、したかな」
「わかんねーよ。今、手羽先食べるのに必死だし」誤魔化した僕は言葉を失っていた。人生は選択の連続で、正しい選択を続けられる人間がいたとしたら、それはとても幸運なだけだ。実際は、皆、何度か誤った選択をしている。横田の選択は、うまくいかなかった。でも、誰がそれを正しいとか間違っているとかって言えるんだ?だから胸を張れ。死ぬまで張り続けろ。負けを認めたときが負けだ。持ってない奴が持っている奴に勝つときだって、きっと、ある。
「俺さ、18で東京に出てきてから一度も登ったことないんだ、東京タワー。明日、東京タワーに登って、最後に、東京の街を眺めていこうとおもう」
別れ際、横田はそう言った。最後、じゃねーよ、って声を掛けようとしたとき、横田はもう歩き出していた。身体を壊しているせいか、ひょこひょこ肩の揺れる後ろ姿は、すぐに往来の溢れる人波のなかに消えてしまった。僕は見えなくなった背中に対して心のなかで呟いた。頑張れ頑張れ、と。
日曜。東京は朝からの雨。彼の目に18年過ごした東京の街並みはどう映っただろう。