Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

他人の愛人と密会しました


 連休最後の夜のことだ。スノコの上でトランプの七並べに興じていた僕にゴーストが囁いた。《愛人と会いなさい…愛人と会いなさい…》。声が枯れていて咄嗟にわからなかったがゴーストではなく母親の声だった。僕のらくらくホンにははっきり聴き取れる機能がついているのだけど、しっかりしている僕にははっきりいって邪魔な機能、無駄なものまで聴こえてしまう。母の鼻息。母の鼻毛のざわめき。母の背後に流れるカラオケ。ま、ゴーストになられても困るのだが。インポテンツとの戦いで疲弊した僕には葬式を出す経済力も精神力も備わっていないからだ。
 母の話を要約するとこうだ。母には親友がいる→親友には35年連れ添った旦那がいる→その旦那が突然死んだ→死因はわからない→死んだ場所が悪い→【試験に出る】場所愛人のマンション→【過去問】腹上死かもしれない→腹上死の可能性は捨てきれないが親友が狂乱→腹上死としか思えないが親友の狂乱はおさまる→カラオケを歌っているときは平静だった親友が突如狂乱し腹上死会場である愛人マンションに向かっている→母は腹上死現場にいきたくない→狂乱友人が腹上死愛人と遭遇したら大変なことになる→いますぐ愛人マンションにむかって!

 母の電話から十分後。正確にいうと四十二分後。僕は知らない女のマンションへ車を走らせていた。電話から四十五分後。マンションに到着。マンションの前で狂乱おばさんの突進をとめる誰にでも出来る簡単なお仕事です。悪いことをしているわけではないが、物陰気分になり、電信柱に身を隠した。足もとの下水道からは生臭い湯気が噴出していた。


 湯気でぐしゃぐしゃになっているうちに、狂乱したおばさんを決死に食い止める己の未来予想図に絶望しはじめていた。なぜ他人の快楽のために僕俺私拙者小生が肉塊の突進をくいとめる奮闘をしなければならないのか。電信柱の兄弟のように陰になっている僕の前を二人乗りをしたバイクが通り過ぎ、マンションの先にある日本家屋前で止まった。後ろに乗っていた幸薄そうな馬面女を落とすとバイクは走り去っていった。曲がり角でブレーキランプ五回点滅。ア・イ・シ・テ・ルのサイン!ロマンティック!


 ってアホか。こちらは愛人だよ。愛人。恋より愛のほうが強いっつーの。恋なんか食べれないしつまんねーよ。だいたい待つのは性に合わないんだ。未来予想図書き換え!僕はマンションのエントランスに向かって歩きインターフォンのボタンを押した。僕は「愛人」が好きだ。「愛人」って言葉のもつ肉欲的なエロさが潔い感じがして僕は好きだ。ほじくりあいっつうの?そんな感じの直線的直感的なエロ。そういうエロの塊に遭遇することによって、インポが治るかもしれないと僕は考えたのだ。女の声がした。腹上死させる女の声だ。亡くなった男性の知り合いと名乗ってから僕は言った。「ここにいてはたいへんに危篤的に危険です。私と来てください」


 ラブホテルの前を制限速度オーバーで通過し、焼き肉屋に入った。子供のころから落ち着きがない、人の話を最後まできかない、といわれていたが迂闊であった。目の前にはウチの母と同年代のおばはんがいた。マンションから愛人が出てくるまでは、勝手に沢尻エリカや黒木瞳を想定し、腹上死のときの体位はどんなものであったか、確率でいうと正常位かな、いやいや体位的には騎乗位ですかね、駅弁だと男の心臓がとまったときに怪我しますよね、いやあその高度なテクニックで僕の、あのその、インポの治療をしてみませんか、はは、僕はスーツを脱ぐのは得意なんですよ、なんて美しい会話を夢想していたのだが、一寸先は闇、現実は酷。僕は、目の前にいるおばはんと腹上死が頭のなかで離れず、おばはんを見るたびに、この人が…と吐き気をもよおした。


 焼肉屋に入ったのも失敗であった。腹上死=おばはんという図式がより強固になってしまった。おばはんのトングを握る手を見ては、あの手ですりこぎみたいにと想像し、この人が…と吐き気。肉がじゅるじゅる焼ける音がするたびに、この人が…と吐き気。迂闊だ。僕は駄目だっておばはんから逃げるように下を向けば小皿。その小皿にとったホルモンが二枚重なった御姿も女性器のようでございまして、この人が…と吐き気。僕は本当に駄目だ。3年ほど昔だろうか。当時僕の右手あるいは右足の恋人、詩的表現だとオナペットであった大塚愛が歌を通じて、焼肉屋に入ると私のお股の桃色グランドキャニオンも甘口のタレでじゅるじゅるのタンホイザー行進曲を奏でてしまうのって警告してくれていたというのに。


 「愛していたの…」気がつくと愛人は泣いていた。漫画のようにぼろぼろと涙の粒をこぼして泣いていた。涙の粒と油の珠が琥珀色のライトを浴びてテーブルのうえに小さな星座を結んでいた。ぼろぼろと泣きながら、かぼちゃ、ピーマンを鉄網に置いて焼いていった。会話は切れた。焼き焦げたカルビが炭になり金網から落ちていった。そこに音はなかった。僕はかぼちゃを取って口に運んだ。少しかじるとやけにしょっぱかった。愛人はまだぼろぼろと泣いていた。涙と鼻水がぼろぼろと垂れていた。僕はかぼちゃを吐き出し、以降何も食べなかった。


 愛人家族が通夜にやってきてトラブルになるかもしれない、そのときはあなたが盾になるのよと母に言われて、旦那の通夜にも顔を出した。僕には、何の盾になるのか、何を守るのかさっぱりわからなかった。インポの僕には人権がないのです。写真の故人は冴えないオッサンだった。この顔で腹上死という燦然たる事実は、僕にいくばくかの希望の星を瞬かせたってことはなくて、僕はまたも、この人が…と吐き気。


 驚いたことに愛人の一族と思われる軍団が勢ぞろいしていた。彼らは堂々としていた。たぶん、旦那はもうひとつの家族をつくっていたのだろう。その様子は家族の自負を感じさせた。それに比べて母の親友のおばさん側は喪主であるのにおばさん以外の親族は疎らで寂しいものがあった。愛人が僕のところに来て、焼肉のお礼を述べたあとに、あの人の子供がほしかった、と付け加えた。僕は返事をしなかった。


 通夜、告別式と何事もなく終わった。告別式への愛人側の参加申し出をおばさんはきっぱりと断ったそうだ。数人の、寂しい告別式だったらしい。僕は告別式には行かなかった。おばさんのささやかな復讐の目撃者になりたくなかったからだ。おばさんは喪主をやり終えると旦那のことは忘れたい、旦那の骨はいらない、といい、骨壷を受け取らなかったそうだ。それから裏切られ続けた旦那が遺した遺産と家で生きていくのは悔しいといったそうだ。そして、子供がいなくてよかった、とも。


 告別式の様子を伝えた母が僕に「こういっちゃなんだけど、あの旦那死んでよかったかもしれない」と言った。「救急車に通報して命をつないでいたら終わらない不幸のはじまりじゃない」僕は返事が出来なかった。じゃあ悪いけどよろしく、といいお土産を残して母は帰っていった。


 今、僕は鎌倉の古い家で知らない男の骨壷と暮らしている。って絶対いろいろおかしい。