Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

私の異常な結婚生活 または私は如何にしてウンコを漏らし妻から三行半を突きつけられたか。

 はじめに、月初から体調不良が続いていたことを、言い訳がましく申し上げておく。

 あの日、僕は朝からの微熱と頭痛のため、仕事を休んでいた。師走の夕暮れは早い。豆腐屋のラッパが寂しく鳴り響く薄暗闇の廊下で、突然、僕は、激しい便意に襲われた。瞬間メルトダウン。放射状に飛び散ろうとする物質を閉じ込めておくには、ノーマルの僕の肛門括約筋はあまりにも脆弱だった。性体験の乏しさを悔いた。便所に駆け込む時間的余裕も、廊下に即席の便所を拵える精神的余裕もなかった。機転をきかし、即座にジャージのズボンとブリーフをおろして腰をかがめ、天井を仰いだ。神に祈るように。


 主は来ませリ。ブツは廊下の真ん中に鎮座しておられた。その逞しくも哀しげな姿は、僕に夕闇を背景に宙の月へ首を伸ばす太古の恐竜の影を想わせた。下痢でなかったこと、下着を汚さなかったこと、その二点は不幸中の幸いであった。むせかえるような異臭と、しん、と耳が痛いほどの沈黙に豆腐屋のラッパが消えていった。眼下で露になった男性器が所在無く揺れていた。胸におさめた携帯電話のバイブに揺れていた。


 妻からのメールであった。妻は元コスプレイヤー現歴女西軍派Eカップ26歳。インポという負い目もあり『妻のコスプレ歴女活動に当面は一切関知しないからそのつもりで。性交は…祈る』。そんな条件で今夏僕らは結婚したのだ。文面は【電車に乗った。30分で帰宅する】という内容。妻は僕の通りすぎたあと、ゴミが落ちていないか確認しながら執拗にコロコロで掃除する人物である。僕の匂いが残っていないよう薬品を散布する人物である。もし僕が自宅の廊下で脱糞したと知ったら…離婚もあるかもしれない。


 下腹部からは引き続きうなるような音。二次災害は防がなくてはならない。絶対にだ。僕はサルベージしたウンコを便器に流した。いける。大丈夫だ。トイレには神様がいた。Tシャツとブリーフ。若い女性が彼氏の部屋に泊まるときのような格好で、玄関のドアをあけ、異臭が外へ流れ出るようにした。床を雑巾で拭いた。フローリングの隙間に入りこんだ汚物を雑巾の角で掻きだすように拭いていて、ふいに悲しくなった。ビーバップハイスクールミポリンがヤンキーに髪を切られたときよりも悲しくなった。体を動かすたびに股がカサカサした。努めて明るくしようと、まるまるもりもりみんな食べるよ。口ずさんでみた。余計、悲しくなった。過去もウンコもみんな食べられたらどんなに幸せだろう。


 妻が帰ってきた。ウンコ漏らしはバレてはならない。絶対にだ。Tシャツとブリーフ、かさかさした股間で、僕は、玄関で愛する妻を迎えた。ブツの痕跡は隠した。臭いは流した。ウンコを漏らしたことを悟られないように…って、待て、よく考えろ。ウンコを漏らしても堂々としていればいいのだ。罪を犯したわけじゃない。別の場所、あまりよろしくない場所でしただけなのだ。堂々と。胸をはればいい。沈着冷静に「きょきょきょきょ今日は仕事どどどどどうだった?」と訊くと、妻は怪訝そうな顔をしている。結婚4ヶ月。不機嫌の原因はあれだ。僕はアメリカンに両の手を空に向け肩をすくめて尋ねてみる。「ユー、メンス?」。妻の表情から一切の感情が消えた。


 オマエガヤッタノカ…、機械的な声が妻の口からでてきた。37歳の課長が、廊下でウンコを漏らして股をカサカサにして何が悪いのか。百歩譲って共用スペースでの脱糞が衛生的によろしくないとしても、法的に罪を問われるとは思えないし道徳的にも間違ってない。僕は胸を張って答えた。「突然の便意を抑えられずウンコを漏らしてしまったよ!」。妻が「どこで?」。「廊下の真ん中で」「どれくらい?」「大量に」「どうして」「調子が悪くて」「言葉は?」。謝りたくない。「もう片付けたよ」「言葉は?」「まだ匂うかな」「言葉は」「ウンコ漏らしてごめんなさい」「ちょっとーもー!オヤカタサマー!」。妻が笑うと僕は嬉しい。


 「いつまでウンチを漏らすの?」妻が言った。いつまで。妻の言葉の先に僕は僕らの未来を見た。無責任なことは言えない。「僕はもうアラフォー。これからはゆるくなる一方だからね。僕らはもう、僕がウンコを漏らすことについて、【いつまで】じゃなくて【いつから】を話し合う段階に来ているのかもしれないよ…」。妻の顔が固まる。つらそうだ。やはりメンスなのだ。


 妻のつらいメンスを夫という立場から純粋に共有したいと思い、僕は、墓場まで持っていこうと決めていた秘密、トイレの神様の存在を告白した。「メンスの日に大変申し訳ない。今、僕も、君の生理ナプキンを無断拝借している。共に戦おう」。横漏れも夜も安心とCMでタレントがアッピールしていた生理用ナプキン。「えっ。なんで。わたしの?今も?ナプキンしてるの…?」妻が戸惑う。僕はおどけてみる。「多い日も安心!」両手でピース。妻は何も言わずに出ていった。理由がわからない僕には生理用ナプキンを敷いたまま、その小さな後姿を見守ることしか出来なかった。


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