私事で恐縮であるが、別居していた妻が帰ってきた。嬉しいかぎりである。翳りゆく部屋で、出がらしのほうじ茶のマグカップに手をつけずに妻が「ゴメンね。キミのＥＤをわかってあげられなくて。ごめんね許してなんて言えないよね。ひどすぎるよね」とナウシカのように言うのを僕は体液が吹き出ないように聞いているしかなかった。そう僕はどこに出しても恥ずかしくない立派なインポテンツ。
「周りの人がナニ不自由なく出来ることが出来ないのにね。その辛さで、頭がおかしくなっていたんだよね。でもいいじゃない。立たないのがキミの長所だと考えるんだ！」悲しみのあまり、確かに肉体の長い所の話ですけどねーとは言えませんでした。そう。僕は重圧を感じていた。立たないことではなく立たせてみよう立つまで待とうという周りのホトトギスな空気が重苦しかったのだ。
不妊治療が決定打であった。インポの分際で不妊治療。まるで二階級特進。不妊も何も立たないのだから病院行ってもという後悔あとに立たず妻の勢いに押され僕病院。終始『精子採取』という言葉は僕の頭のなかで回り続けていた。『精子採取』というインポマンにとって高いハードルは「ご主人のご協力が不可欠です」と仰るドクターの心底患者に寄り添うという優しさに同居する有無を言わせぬ態度と、床オナニーを是として四十年生きてきた僕を拒むかのような病院トイレのウェットなタイル床により、クリア不可能な高みに達していた。
無理だ…濡れてしまう…と打ちのめされている僕にドーピングも添え木も辞さないという強権的な妻の姿勢は、愛ゆえとはいえ、辛かった。その辛さゆえ精神がおかしくなり僕は妻実家の洗面台で「ボルジャーノン！」と叫びながら放尿するという暴挙に出て別居に至った…というのが妻の解釈及び事実である。
「愛していればいつかは自然に溜まってきて膨らむもの。そんな考え方が間違っていたのですう」と自分を責めすぎな妻を、僕はフォローするように「そうだね。愛していなくても立つときは立つのが男の性だよ」と言った。ほうじ茶から立ち上る湯気は話の行方を気にする僕を代弁するように弱々しかった。「私は改宗します。劣等感、敗北感、挫折感、虚無感。そういうキミの醜い、醜すぎるものと私も共に戦います」と妻。
どうやって？と訊くと「世の中の殿方を皆さま立たない日陰者と仮定すれば相対的にキミは日陰者じゃなくなります！」妻、机どーん！「なにそれ！なんかダメダメな感じがするよ」「名付けて」「名付けて？」「日本インポ化計画！」「嘘っ」驚くことに妻は筋肉少女帯をまったく知らなかった。偶然の一致。あるのだねこんなこと。けれども日本インポ化計画という名称は、僕に筋少の日本印度化計画にまつわる暗い記憶を思い起こさせた。記憶の奥底から引きずり出されてきた僕と大槻ケンヂは性的な意味で兄弟であったという過去の栄光。それは僕の脆弱性を突きまくり僕しょんぼり、なのである。
閑話休題。妻の日本インポ化計画は、町に打って出てフィールドワーク的に町を闊歩する殿方皆さんもお立ちでないと体感することで自信を回復するという妻曰く「キツツキ戦法以来の画期的な策」であった。山本勘助のキツツキ戦法は失敗したという歴史的教訓はそこにありませんでした。
さあさあ、と促す妻と共に商店街へ。光の射すほうへ。肉屋。皮つきウインナーが肉色に瞬いている。八百屋。若い女性がより大きなものを求めてナスに手を伸ばしている。群がる人々を指して「ほら見て。みんな立たないけれども必死に笑いながら生きていますよ」と妻がいう。そりゃそうだ。呆れながら僕は嬉しかった。妻が妻なりに考えてくれていることが。日本インポ化計画の是非はともかくとしてその気持ちが。
レンタルビデオ屋のアダルトコーナーで若干膨らんでいるオッサンは見なかったことにした。おっさんのほうも黒ニーソを着用した妻に背を向けていた。あれは未来の僕だ。それから、喫茶店、銀行、ハンバーガーチェーンを経て僕らは僕らの部屋に帰った。
妻は言った。立たなくてもいい。肝心なときに薬で立たせればいい。だから立たないことを恥じることはまったくないし、見ての通り、立っていない人が大半なのだよと。人生のごく一部で肉体のごく一部がうまくいかなくても全部がうまくいかないわけじゃないのだと。だから頑張ろうよと。薬もあるのだから一緒に戦おうと。
…ありがたい。今、僕はバイアグラが効かなくなったことをどうやって妻に切り出そうか悩んでいる。もし？もしダメだったら本気で日本をインポにしてやるしか妻の愛に応える術がない。
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恥のススメ ?「社会の窓」を広げよう? (impress QuickBooks)
