誤解を恐れながら言えば職人とは雰囲気商売である。雰囲気商売と丁稚奉公身分の僕が言ったら失礼極まりないだろうがこれはれっきとしたハコ職である義父の言葉。義父によれば、職人にとって大事なのは技術とそれを支える精神。次に雰囲気。義父が、時折、手を止め眉間に皺を寄せ溜め息をついたり、突然、虚空を凝視した後に静かに瞼をとじ目頭を抑えながらプルプル震えたりするのはすべて雰囲気を醸し出すポーズらしい。救急車呼ばなくて良かった。義父は「作り出したモノにレア感を出すため、意図的に生産性を上げないようにしているんだよー」と世間に聞かせられないようなことを工房に客が来ているときに大声で仰る。器が違う。
修行と称し、ハコに触れさせることなく、お茶を入れさせたり、お茶菓子を買いに走らせたり、レコチョクをダウンロードさせたりするのも職人っぽい雰囲気をつくり上げる一環なのだろうか。そんな僕の素人考えを義父はきっぱり否定した。「教育体制が整っていないだけ」。つまり後進の育成に非積極的。義父は「後進に効率的に技術を教えないのは職人が職人である自分のカリスマ性を高めるためだ。すぐマスターされたら立場なくなるから。バカだろ?」と自身を貶めるようなことを言う。死期が近いのだろうか。
死ぬ前につって最近の売上について訊ねてみた。さすがハコ職、サラリーマンとは違う。売上は驚くべきものだった。一個。小箱一個。「一日一個!三日で三個」ヤケになって自嘲ソングを歌っている僕に「今年に入ってからな」と笑顔で絶望追加する義父。きっつー。それ求められてなさすぎ。
東京五輪もあって日本の伝統文化はこれまで以上に注目されるだろうから、ネット通販を活用したり、コックケースを開発するなどして海外に販促をすすめたりして、うまく立ち回ればイケるかもと楽観的に考えていたけれど、どうも甘かったみたいだ。ゼロベースどころかマイナスからのスタート。しんどー。
なぜ義父はハコ職人を続けようとするのだろうか。義父ははっきりと口にしないので、「なんで俺の代で…」「ご先祖に恨まれたくない」という普段の言動から推し量るしかないけど、どうやら、自分の代で途絶えさせたらみっともないからのようである(義父は定年まで会社員兼業)。ひとことでいえば僕に負債を負わせたいだけ。金銭的な負債と、断絶させるという精神的な負債を。もう「未来はお前が考えろ。俺は今を生きる」という義父の言葉をポジティブには受け取れない。
(この希望に満ちた文章は20分で書かれた)