アルバイト、中ジョッキ、中ジョッキ、アルバイト、中ジョッキ、アルバイト、中ジョッキ、そんなハードな一週間を過ごしていたら「いいかげん君には飽き飽きしました」と妻に言われてしまった。マイッタナー。愛想を尽かされたかもしれん。来月から正社員になる妻、順調にいけば、その扶養家族になる予定の僕である。この甲斐性なしのアルバイト(43)、三行半をつきつけられても仕方ないではないか、むしろ遅すぎたくらいだ、きっつー、と普通なら考えるところだが、妻は空前絶後の超ド級ひねくれ人間。なので額面通りに言葉を受けとることは離婚問題になりかねない。取り扱い注意物件なのである。先日も突然「私の欲しいものがわかりますか?」と訊かれた。定職に就くために努力しなければならない身の上であるのについつい定食屋で生ビールを飲んでしまう自分自身のことすらノーフューチャーで、何を考えているかわからないのに他者のことなどわかるわけがない。それがたとえ寝食を共にしていない妻であってもだ。考える材料も持ち合わせていないので検討することなく「僕は超能力者じゃないからね。わからないよ」と即答。すると妻は「そういうところ…なんだよね…」と僕のスタンスを誉めてくれた。妻が欲しいもの。答えを明かすとハンギョドンのグッズだった。(注)ハンギョドンはこいつ→
ハンギョドンのことを念頭にいれて日常生活を送っている人類がどれだけいるだろうか…。有史以来、僕の聴力が及ぶエリア内で妻の口がハンギョドンと動いたことは一度としてない。ヒントがあってもわかるわけがない。つまり、お利口さんの僕にはなぜこのような非論理的な行動をとるのか理解出来ないけれども、妻は相手が答えらない質問をしていたのである。それくらい妻はミステリアスでひねくれていてワンダーなのだ。さて、一般的に美人は三日で飽きると言われている。ワンダーな妻のいう《君にはいいかげん飽き飽きしました》の《飽き飽き》は、僕のことを美男子と誉め讃えているのである。扶養していただけるうえに顔の造作を誉められるとは。ありがたいことだ。素直に「ありがとう」とお礼を言うと「何を言ってるのですか」と惚ける妻。たまらない。妻は仕事で忙しいにもかかわらず、会社を辞めてから生活が不規則になりがちな僕の体調を心配してくれてもいる。「死ぬまで元気でいてくださいね。介護したくないから」「もし意識がなくなったら1日で外すからね。君が苦しむところ見たくないもん」という妻の思いやりの言葉は重い槍となって僕の胸に突き刺さっている。遺していく家族のために各種保険にも加入させられた。色々思うところはあるけれども、考えすぎないようにすること、そしてあえて考えないようにすることがが生きていくうえで必要なときもあるのだ。これからは絶対に要介護にならないように健康状態には気をつけなければならない。僕らは間もなく結婚から丸六年になる。最近は生ビール(僕)と仕事(妻)で忙しいお互いを気づかって、自ずと必要最低限の言葉しか交わさないようになってきている。「いい距離感を保ちたい」という妻の強い意向によりLINEはお互いに登録していない。メモ帳や連絡用ホワイトボードでやり取りすることも多い。会話の少ない静かなマンション。サウンド・オブ・サイレンス、落ち着いた日々。愛想をつかされるというのは愛を想って尽くされるということではないかと僕は思う。一緒に歳を重ねて共に苦楽を重ねた夫婦は言葉を介せずにわかり会えるようなると聞いたことがある。僕らも一歩一歩、確実に、その足取りは少々おぼつかないかもしれないけれども、その領域に近づいていると僕は信じている。信じているんだ。(所要時間17分)