Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「悪い報告は早くあげてね」と言ったらパワハラ扱いされました。

昨年末、営業部ミーティングにおける僕の「悪い報告は早くあげてください」という発言が、とある部下の人から「それパワハラになりますよ」と指摘されて心が死にました。相談に乗ってもらった上役からも「部下に嫌な思いをさせたらハラスメント。報告は早くと相手の意に反して強制してイヤな気持ちにさせたらパワハラ。我々の時代とは変わったんだよ」と言われて気持ちに彼岸花が咲きました。彼がパワハラを強いハラスメントと勘違いしていることだけが救いでした…。

なぜ悪い報告ほど早くしなければならないのか。一般的にいわれる理由は、早めの報告によって早期の対応が可能となり被害を抑えられ、結果的に報告者を守ることに繋がる、という美しいもの。だが、世の中は汚い。「早く報告すれば失敗は帳消しになりますか」とアホなことを言ってくる部下もいれば、部下からの「悪い報告があります」という言葉を耳にするだけで気持ちが勃起するバカ上司もいる。帳消しも勃起もありえない。

個人的には「早く報告したほうが早く解放されていいじゃん」と思うので、悪い報告を抱え込んで事態を悪化させ、立場を失う人を見るたびに不思議でならない。悪い報告が遅れてしまうのは、恥ずかしいからだ。みずから己の恥部を晒し、すすんで上司からの叱責を受けにいく。崖に向かって歩いていくようなものだ。イヤだ。気が進まない。

「早めに報告すれば絶対に叱らない」と宣言していた聖人上司でさえ、報告が核心に近づくにつれ「君!」「チミさー!」「お前さーふざけんなよー!」「ビズリーチ!(誰かこいつの代わりを探して)」とヒートアップしていく、この世は人情紙風船。「悪い報告は早くしたほうがいい」と心でわかっていても無理すぎる。きっつー。カラダは拒否する。内容が悪ければ悪いほど、上司の怒りは大きくなるため、早く報告しなければならぬという気持ちはさらに萎えてしまう。

はっきりいって、普通に仕事をしているだけでパワハラの疑いをかけられるのは心外である。「早く報告してね」というたびに「そういうつもりはありません」と弁明するのもイヤだ。悪い内容の話はする方もされる方もイヤなもの。だったら、悪い報告がしやすい仕組み、悪い報告が悪いとされない天下泰平の会社をつくるしかないと僕は考え、報告の中身と報告という行為を別に分ける評価システムの概案をつくることにした。

たとえば「こうした案件であんな失敗をして失注しました」という悪い報告があったとする。このとき「あんな失敗」についてはマイナスの評価をするしかないが、いち早く報告をしたことはプラス評価するのだ。報告の内容に関係なく、問題発生から早ければ早いほどプラスになるのなら、悪い報告をするハードルは低くなるのではないか、と考えたのだ。部長クラス以上が出席する会議で提案して、導入が決まった。

社長は、しょうがないか…といったん賛成してくれたけれども、あまり乗り気ではない様子で「そういうやり方もいいが、部下に悪い報告をしていると意識させないよう心をコントロールすればいいのではないか」などと無茶なことを言い始めた。メンタリストの本の読みすぎだろう。はやく目を覚ましてもらいたい。

そこから会議の旗色が一変。社長に同調して中途で入社した僕をよく思っていない各部署の長たちが「もし、そのやり方を採用して、悪い報告を早くしなければいけないと部下たちが強要されていると感じたらハラスメントになるぞ」「報告した失敗自体もプラス評価しなきゃダメだ」などとアホなことを言い始めた。

そして、悪い報告を早くするよう部下に強要するのは令和の時代に合わないよね、という意見でまとまり会議終了。最初に相談した上役から、会議の意見を取り入れた案を早く出してくれ、と命じられた。「難しいです。皆さんの意見を取り入れると、イヤな報告は遅くなってもいい、早く報告してくれれば失敗の責任はありません、遅くなっても責任は問いません、こんなふうになりますよ」と言ったら、上役から「ふざけているのか!」と叱責された。お前がいうな。「会議を混乱させた責任は重い。早く改案を早く出せ。すぐに出せ。今日中に出せ」と大変な重圧をかけられて僕は大変イヤな気分になり、以来、マジで血圧も異常な数値を示しているので、そろそろ労基に駆け込んでパワハラを訴えようかと思っている。(所要時間22分)