Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「悪気はなかった」で全部許されると思わないでくれ。

トラブルの内容については社外秘なので差し控えさせていただくが致命的なものから些細なものまであらゆるトラブルを定期的に起こす人がいて周りにいる同僚各位が疲弊している。彼の人は「悪気はなかった」と言い訳するが、それが問題をややこしいものにしていた。繰り返されるワルギハナカッターが、周りの怒り爆発のトリガーになっていた。その様子を見ていて「直接、本人に注意すればいいじゃないか」と助言したら、どーぞどーぞ、そこまで言うなら言ってください、と背中を押されて、僕が注意することになってしまった。 

僕はトラブルマンに声をかけて時間をもらい注意した。もう少し慎重にことにあたったほうがよいのではないか、と。「注意はしていますが…ミスのない人はいませんよね?」と彼は反論してきた。「ミスのない人はいない」「じゃ、悪気はないのだからいいじゃないですか」出た!悪気ナッシング。「悪気の有無の話はやめたほうがいいのではないかな」「なぜですか?」「悪気がないと言われ続けると、惰性で言っているだけなんじゃないかと人は思うんだよ」「本当に悪気はないんです」だーかーらー。それがトリガーになっているんだっつーの。僕は言った。「なかったのは悪気ではなく相手への配慮では。悪気はなくて当たり前。もし悪気があってやっていたら君はテロリストじゃないか」トラブルマンは完全に沈黙した。「なかったのは知性と常識」まで言ったら人工呼吸が必要だったかもしれない。

彼のように悪気がないといえば許されると考えている人は多い。だが、悪気の有無をはじめ、人の心はわからない。だから僕らはそれらを結果と行動から推しはかり、推しはかられる。そもそも、悪気がないといえば免責されるという考えは甘えだと僕は思う。「とりあえず悪気がないといって謝るのはヤメなさい」と僕は彼にいった。「確かに部長の言われるとおりですね」彼は納得した様子であった。 

数日後、その納得はちがう意味であったことを思い知らされて僕は死んだ。トラブルマンがまたミスをおかした。〆切勘違いという致命的なミスだ。周りから注意されても「謝っても問題は解決しません。まずはこの問題を解決する方法について皆で話合いましょう」という彼と、フザケンナヨーという雰囲気の周囲とで険悪なムードになっていた。彼は僕の教えたとおり、「悪気はなかった」とは言ってなかった。そして僕が教えたとおり謝るのをヤメていた。ちーがーうーだーろーこのハゲ―!と一喝したくなる気持ちを僕はおさえて、仲裁して、その場をおさめた。

僕はトラブルマンを呼び出して「大の大人に何回も言いたくないけれど、もうすこし周りに配慮してよ」と注文を入れた。「私なりに気をつけているつもりです。私からもいいですか?」「何に対して?」「部長に対してです」なんとー。「聞こうじゃないか」余裕を見せる。「配慮と仰いますが、先日の私に対するテロリスト呼ばわりは言い過ぎではありませんか?少なくとも配慮に欠けていると思います」確かにそうだ。テロリストはバイオレンス。意地の悪い言いかたで、配慮に欠けていると指摘されてもしかたない。反省。猛省。「確かにテロリストという喩えはよくなかった。謝ります」僕は言った。「私はテロリストのように無差別に民衆をキズつけません。被害は一部の社員に絞られますからね」そこかよ…。「それから部長」「何」「部長は悪気はないというなと仰りますが、部長も私を注意するとき必ず《悪気はないけど》と言ってますよ?」嘘…

 数日の自分の発言を振り返った。「もう少し慎重にことにあたったほうがよいのでは。《誤解のないように言っておくけど悪気はないからね》」「君はテロリストじゃないか。わかってると思うけど《悪気があって言っているわけじゃないよ》」「大の大人に何回も言いたくないけれど、もうすこし配慮してよ。《これは悪気があって言っているわけじゃないからね》」「確かにテロリストはよくなかった。謝ります。《この発言も悪気はなかったんだ》」…確かに言っていた。僕らは《悪気はなかった》といえば多少キツいことを言っても許される…そんな症候群を患っている。

「部長も気を付けてくださいね。これは悪気があって言っているんじゃありませんよ。心配からです」とトラブルマンは言った。正論だけど何かムカついた。それは、彼の言葉に、強い復讐心と、悪意の存在しか感じなかったからだ。(所要時間24分)