Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

夫婦別姓より大事なもの

夫婦別姓が議論されている。つい先日も、経済界のボスっぽいおじさんが、夫婦別姓の導入を記者会見で主張していた。国際基準で仕事をする上で必要なのだろう。導入は、既に個人に対して番号が付与されているから、多少ドタバタする位で済むのではないか。社会が混乱する、破壊されるという意見もあるが、それくらいで壊れるような社会は壊れて作り直した方がいい。選択制か強制か、議論を尽くして導入するかどうか決めてもらいたい。他人事のように述べているのは、他人事だからだ。我が家はすでに夫婦別制である(別姓ではない)。

どういう名を名乗るかは、個人の権利の問題だ。選べるようになるのが自然だ。現実社会の一部であるネットやオンラインゲーム上の名前が自由に設定できるように、夫婦どちらかの姓といわず、現実社会も名前を自由に設定できるようにするのが理想だろう。

夫婦は個別に行動する時間がもっとあってよい。僕個人の意見だが、日本の夫婦は一緒にいすぎる。四六時中一緒にいるように見える夫婦も見受けられる。配偶者のことを相方と呼んでるのを見ると脂ギッシュなオッサンに背中から尻をじっとり舐められるような感じがする。「夫婦で笑顔の絶えない家庭を作りたい」なんて言葉を見聞きするが、理想にすぎない。結婚は笑顔の7日間が終われば、苦難と絶望で身を削りながら進んでいく地獄の進軍である。ハードな地獄の進軍では名前などどうでも良くなってくる。事実、我が家は互いを名前で呼ばなくなって久しい。育ちのいい僕は、奥様の名を「さん」付けで呼ぶが、奥様は僕を「ねえ」「あんた」「ちょっと」と親しみを込めて呼ぶ。機嫌がいいときは「キミ」。すでに名前は死んでいる。そのため、名前や別姓などどうでもいいのである。別姓とは、夫婦それぞれが個人としての権利を持つということ。別々の姓を名乗るのはあくまでその一部にすぎない。僕は生来温かみのある人格であったが、このような達観に至ったのは現在の奥様と結婚したからである。僕を戦士にしてくれてありがとう。

 我が家はお互いを尊重した各々独立した生活ができている。結婚当初から寝室は別だ。洗濯物も別。他の夫婦関係に密着した経験はないので想像になってしまうけれど、歯ブラシを共有したり、風呂やトイレを一緒に使ったりすることはない。食事は同じものを食べた方が経済的なので同じものを食べているが、休日の半分くらいは個々に自由に行動する(先日、ひとりで鉄道博物館へ行った。楽しかった)。

互いに趣味を押し付ける事も無い。ときどき奥様から意見や思想を押し付けられる事はあるが、表面上だけ賛成しておけば、内心で「そんなことあるわけねーだろ」と思っていてもオッケー。映画やライブも別々。映画館まで行って、奥様は「永遠の0」僕は「ゼログラビティ」を鑑賞したこともあった。どちらがセンスがあるのかはあえて言わない。奥様のセンスが僕に干渉する事は無いからだ。つい先日も、奥様が映画館でオッペンハイマーで、僕は自宅でオッパ〇ドウガーだった。だが、我が家レベルで夫婦別々の生活を達成していても、夫婦個々の権利が守られているとはいえない。

僕は、夫婦別姓が夫婦各々の権利を守るものなのか懐疑的だ。オッペンハイマー/オッパ〇ドウガーで夫婦間の独立を果たしている先進的な我が家においてでさえ、経済的自立、つまりお小遣い制の廃止は実現していない。別々の姓を名乗ったくらいで経済的自立を勝ち取れるとは思えない。先述のとおり、ハードコアな夫婦関係において名前は失われる。名前よりも大事なのは金である。夫婦間の独立がなされていても、月額19,000円の小遣いでは事実上、何もできない。個人の権利は経済的独立の上に成立するのだ。夫婦別姓の前に強制的夫婦別口座、小遣い制の廃止を真剣に議論していくべきだと僕は考える。なお、小遣い額のアップの交渉は、「君にもっと経済力があれば考慮してもいい」という悪魔の一言で打ち切られてしまった。地獄の行軍はまだはじまったばかりだ。きっつー。(所要時間27分)