Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

50歳男性。半生を振り返ったら酷かった。

僕チン50歳。早生まれなので学年は1973年生(昭和48年生)になる。世代ではイチローと宮沢りえが一番の有名人になるだろうか。

1974年2月神奈川県にて生まれる。以降現在にいたるまで神奈川県で生息。0歳児時点で、駅で見かけた常磐線のみに異常な反応し「この子は0歳にして電車を識別できる!」とされ「神童にちがいない」と親戚内のごく一部で持てはやされる。思えばこれが人生のクライマックスだった。2年後に弟が生まれて両親の愛の9割がそちらに流出。以後約50年間にわたって母親からは「子育てに失敗した」と嫌味を言われ続ける。

1970年代後半。ピアノ教室に通いはじめる。現在まで続いている数少ない趣味・特技となる。デザイナーとして働いていた父の書斎で外人モデルのセクシーな本を見つけて自我が芽生える。幼稚園で胸の大きな先生が好きになる。読み書きには苦労しなかった模様。

1980年代 1980年公立小学校入学。「11PⅯ」「トゥナイト」といった大人の情報番組を知り、クラスメイトの女子に物足りなさを感じる日々を送る。このころ、女子大生という概念を知る。アニメと漫画とプロ野球に夢中になる。あとファミコン。友達と謎の自販機でエロ本を買った。1986年公立中学校入学。女子が多いという理由で吹奏楽部へ入部する。トロンボーンを担当する。自分のものをトロンボーンのように伸ばすことに夢中になった中学3年間を送る。女子大生という概念がリアルなものになる。「11PⅯ」「トゥナイト」に加えて「オールナイトフジ」「男のララバイ」「おとなの絵本」といった教養番組、落合信彦や五島勉の著作に夢中になる。アニメ、漫画、ゲーム、アクション映画、娯楽小説で教養を深める。世の中は好景気。お色気と夜のネオンと景気のいい話ばかり。大人になったら女子大生と毎晩夜遊びをするという期待で自分のトロンボーンを伸ばす日々を過ごす。成績は超優秀。1989年。昭和から平成に変わる。県立高校に入学。女子が多いという理由で吹奏楽部に入学するが同じ思想を持った勇士たちがいたために自分の代だけは男子の方が多くなるという悲劇に遭う。小さな挫折。この頃から挫折が続いていく。深夜のお色気番組を見続ける日々。女子大生に接触するまであと数年という期待だけが生きがいになる。当然授業中は眠気に勝てずあっという間に成績は悪化。進学校の女生徒は落ちこぼれに厳しいという現実を知る。

1990年代。バブルが弾ける。「いきなり不景気!」という感じにはならない(少なくとも周辺では)。深夜のお色気番組は過激の一途。「ギルガメッシュないと」「平成女学園」「姫テレビ」等。週に一度の「クイズタイム小学生」が楽しみだった。ボンクラ友達と成人向けのVHSをシェアする友情関係を構築。あいだ・ももを唯一神と崇め、専門は現役女子大生もの。「ブルマは近未来のうちに滅びるだろう」と予測をして網膜に焼き付けるように凝視しておいた。この予測は的中した。1991年。高校3年。宮沢りえがヘアヌード写真集を突如発売。数週間りえのアンダヘアが頭から離れなくなる。また、受験シーズンに合わせて発売されたスーパーファミコンソフト「ファイナルファンタジー4」「ゼルダの伝説神々のトライフォース」に夢中になりすぎて、ってどれくらい夢中になったかというとセンター試験前夜まで遊んでいたレベルで、当然のようにセンター試験は大失敗、事実上国公立大学への進学の道は閉ざされる。つか、成績は最悪だったのでスクウェアやニンテンドーへ責任転嫁しているだけである。ギルガメッシュ!舌レロレロは入試期間中も一秒たりとも忘れたことはなかった。なお、このときの僕を突き動かしていたのは、東京の大学へ進めば女子大生とお戯れになれる。その一念であった。なお、「ギルガメッシュないと」はあったが、ファイナルファンタジーにギルガメッシュが登場するのはまだ先である。

奇跡的に大学に合格。都内私立大学法学部法律学科へ進学。悲願である女子大生との最接近を果たすことに成功。しかし法律学科のクラスは女学生が少なく、かつ、彼女たちは皆超優秀で僕のような者は相手にされなかった。後日、彼女たちが、東大や慶応大の学生が所属するサークルに入って楽しく過ごしているのを目撃し、東大と慶大への復讐を誓うことになる。「わー!大学生になったぞー!女子大生だー!」と浮かれていられなくなる。父親が急死。朝から晩までアルバイト。深夜のお色気番組を見る気力と体力を奪われる。ボンクラな趣味は出来なくなり、所属していたサークルも脱退。学費と生活費稼ぎ。この頃、アルバイトをしながらレポートを頭の中で書けるようになった。これが今も生きている。経済的精神的な余裕がなくなり、大学生でありながら女子大生とまったく接触しないという理想とはほど遠い大学生活になる。なぜかゼミ長にさせられて多忙のため心と身体が死に、誘われていた卒業旅行を断ることになる。バブル崩壊で景気が悪化。就職戦線が大幅に縮小。僕自身の就職活動も苦戦。そのなかでたまたま読み始めた「島耕作」で出世すれば、女子大生、同僚、部下、飲み屋のお姉ちゃん等々の女性にモテモテになるという夢を抱き、就職活動に力を入れる。某一部上場企業に就職が決まる。そういえば1995年にウインドウズ95が大流行。世の中が変わった。

1990年代後半。96就職。半年間後、希望していない営業部門に異動。以来現在にいたるまで営業職として働き続けることになる。初年度の秋。上司が急死。2000年くらいまでノルマとクソブラックな環境で働き続ける。学費の借金があったため辞めるに辞められず猛烈に働いた。なぜなら当時の営業部は成果を出せばそれが賞与に思い切り反映されたから。大学時代からの生活習慣で不眠になる。煙草は一日ハイライトを二箱。毎晩深酒。飲めなかったが急速に酒に強くなる。この頃、個人的に何をしていたのか覚えていない。返済、仕事、返済、仕事。そんな感じ。女子大生は遠くなりにけり。インターネットのブームに乗ってホームページを立ち上げ日記的なものをネットにアップしたのは1998年くらいか。コンテンツとして日記と掲示板。日記は当時あった日記サービスを利用した。さるさる日記、ライコスダイアリー、大塚日記、それからはてなダイアリー。掲示板はティーカップ。

2000年代。2002年。当時の上司が贈収賄事件を起こす。連帯責任的な意味合いでハードな仕事をさせられたのをきっかけに退職。1999年から2000年にかけて仲の良かった同僚が二人急死。2003年食品業界へ転職。クレイジーな上司の世話をするという日々を送る。2007年課長。2015年部長。30代から40代、憧れの女子大生が年下の遠い存在であることを思い知らされる。女子大生が在籍するキャバクラで心の満たされない日々を送る。キャバクラで「ギルガメッシュ!」と声をあげたり、イジリー岡田の舌レロレロの真似を披露しても「なにそれー知らないー」といわれて悲しかった。2007年くらいから急速にネット上の日記が読まれ始める。10年間自分以外に読者がいなかったので戸惑う。同年、ネットで知り合った女子の仕打ちにより精神的なダメージを負ったことが原因でインポ―になる。2011年現在の奥様と結婚。その結婚パーティーで「先日、長年別居をしていた妻との協議離婚が成立したことをお伝えして、新郎新婦へのお祝いの言葉にかえさせていただきます」などと不吉なスピーチをしたクレイジーな上司が2014年に急死。「死ぬときまで俺は一匹狼よ……」という口癖どおりの孤独死だった。結婚したため女子大生キャバクラへ行けなくなる。私服デー、ワイシャツデーは兵どもの夢のあと。2017年会社にムカついて退職。半年ほど海辺の駐車場の切符きりというクリエイティブなアルバイトに従事。同年秋食品会社に就職。これまでの人生にはないほどの安定した時期を過ごしている。昨年からCPAP治療を開始。現在に至る。

女子大生への憧れは衰えてはいないが、友人や同僚の娘さんが女子大生になったという話を聞くたびに、このままじゃ駄目だと見つめなおす日々を送っている。最近ショックだったのは友達に孫ができたこと。もう、女子大生とか言ってられないな。なんだったんだ僕の50年。返せ50年。女子大生とやりなおしたい50年。半生をテーマに書いてきたが反省になってしまった。まだだ、まだ終わらんよ!ギルガメッシュ!舌レロレロ~!(所要時間40分)