フジテレビの社員向け説明会が紛糾していた。会社や上層部への不満が爆発したようだ。会社愛の強い人が多いようだ。微笑ましいが、外から見ていると会社や上層部を信用しすぎではなかったの?と心配になる。かつて僕が勤めていた会社がそうだったように、上役の関与した成功体験が大きく、現在の企業の礎になっていると、それが現代に通用しているのかをチェックすることなく、盲信してしまうものだ。「信用するな」ということではなく、「信用しすぎるのもどうなの?」という話だ。
普段から疑いの目を持ち続けることの大切さを、フジテレビのような一流企業に勤めている人なら理屈では分かっているはずだ。だが、人間は実際に経験したことからしか学ばないという面もある。僕は、会社や上層部を信頼・信用しすぎてはいけないということを実体験で学んだ。当時はムカついたけれども、疑いの目を持つことができて、今は感謝している。20数年前、新卒で入社した会社で勤務して数年後、事件に巻き込まれた。僕自身は関与していない、直属の上司たちが起こした事件だ。事件を起こした上司たちは会社のエースと目されていた。事業部を支える大型案件を受注したからだ。その成功体験が眩しかったがゆえ、彼らに対する注意が緩くなってしまったのは否めない。僕もその上司たちを尊敬していた。仕事を教えてもらっただけでなく、ロック好きという共通点があって、1998年の冬に横浜アリーナで催されたエアロスミスのLIVEも一緒に行ったりもした(今、思い出した)。「ナインライブスツアー」だった。
事件発覚は突然だった。経理部と監査部がオフィスにやってきて通常業務を取り上げられた。上司たちが取引先の社長から個人的に金を借りた。返済に窮した彼らは解決策として商品を横流ししていた。横領だ。大きな損害が出た。僕は事件の調査はさせられたが、トップ案件とされたために最終的にどう処理されたのかは知らされていない。トップシークレットというものを初めて知った。事件を起こした上司たちは訴えられることも責任を取ることもなかった。クビになっただけ。部下の僕らが軟禁同様の扱いで事件の全容解明のためにこき使われた。上司たちが取引先から回収した金を、借金返済に回すために増やそうとしてギャンブルにブチこんで溶かしているのを突き止めたときは何ともいえない虚しさに襲われた。俺は何をしているんだ、と。上司たちは発覚前に酒の席で「上の人間の弱みを握っている」と豪語していたので、経営陣と何らかの取引をして、クビだけで済んだのだろう。
会社と経営陣はこの事件を闇に葬った。クソだと思った。会社はコンプライアンスやガバナンスをアッピールしていたけど、こんなもんなんだな、と落胆した。最悪だったのは、説明をせずに葬ったため、会社全体から僕が所属した事業部そのものの事件への関与を疑われたことだ。あいつらもやったんじゃね?と。会社や経営陣というものが、保身と事なかれ主義から正常な判断をしなくなるものだと思い知らされた。それと社員を守らないということも。付き合いきれないので退職した。当時29歳。僕の中で会社というものへの幻想や期待が、木っ端微塵に粉砕された。振り返ってみるといい経験になった。勉強になった。
就職氷河期の正確な時期は知らないが、数十社にアプローチして、ようやく決まった会社だった。かなりの数の学生をふるい落としている会社なのだから、立派にちがいないと思い込んでいた。危なかった。そんな幻想をすっ飛ばしてくれて感謝している。おかげで幻想を持たずに仕事自体と向き合えるようになれた。会社や上司を信用しすぎることがなくなったので、クリアに物事が見られるようになった。特別な才能はない。人並み以上の努力もしていない。そんな僕が今も働き続けられているのは、クリアに見られる目を持っているから、それだけのこと。僕はかつての愚かな上司たちに感謝している。彼らが散々な人生を送ってろくでもない死に方をしていることを祈ってやまない。(所要時間24分)