Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

超久しぶりに父と再会した。

「プロダクトは消費されることが一番幸せなんだ」父がよく使っていた言葉だ。「地図に残る仕事」ほどキャッチーではないにせよ、ほとんど口癖のように言っていたものだから、僕の心に刷り込まれたようにずっとあり続けている。先日、父が書いたいくつかの論文を見つけた。40年前に「価値工学(VE)」について書かれた論文で、誰かがネット上にアーカイブしてくれたものらしい。工業デザイナーだった父は、スケッチや水彩画といった仕事に近いものだけではなく色々なことを僕に教えてくれた。サイモン&ガーファンクル、カーティス・メイフィールド、西部劇や戦争映画。それからバスキア。ピアノも学ばせてくれた。もう少しアカデミックなことを教えてくれていたら僕も大成したのではないかと恨み節のひとつでも言いたいところだ。しかし、サイモン&ガーファンクルの『いとしのセシリア』が流れていたあの書斎で、価値工学の論文をいくつも書いていたとは…自分の知らない父の姿に驚いてしまう。僕は価値工学がどんなものなのか、よく知らない。サービスや製品の価値を最大限にする理論といったところだろうか。ただ「プロダクトは消費されることが一番幸せ」と言っていた父の言葉の源流を突き止められた気はする。父が亡くなった初夏、僕はよく、老夫婦を見かけては父と母の訪れなかった未来の姿を重ねたものだけれども、最近は重ねることもなくなってしまった。長い時間が流れてしまったから、とひとくちにいうのは容易いけれども、その長い時間を生きてきた母と僕の想像力で補完した年老いた父とを並べることは、なんだか母と母の生きてきた時間に失礼で、不敬罪に値するような気がしたからだ。父が死んだ理由はわからないままだ。永遠にわからないままでいい。価値工学についての論文を書きながら己の価値を過少評価してしまったとしたら何という皮肉だろうか。僕は思う。いってみれば人間は誰もがプロダクトで、消費されることが喜びなのだ。プロダクトは誰かに使われ消化されることが本質であって、プロダクト自身が寿命を定めるものではないはずだ。そういう意味では父はプロダクトを産む側の人間としては合格だったかもしれないが、プロダクトとして失格だった。実際、父が書いて遺したいくつかの論文は、そう多くはないだろうが、それでも何人かの人の役に立っていて、その様子は僕に、年に数えるほどしか船舶が通らない岬にある灯台の灯りを想わせる。生前はまさかこんな形で自分の書いたものが、世界のどこからでも、四六時中いつでも、読まれるような状態に置かれるとは思っていなかっただろうけれど。僕は営業という仕事をやってきたので、インスタントな、数字にあらわれる種類の仕事を否定しない。ただ、仕事というのは、インスタントに評価されるものばかりではないこともよくわかっているつもりだ。「地図に残る仕事」というコピーがあるけれども、そこには自分の手で地図に記す仕事だけではなく、たとえば宝物のように地図には載っていないけれども、他人に発見されて他者の手で地図に記される種類の仕事も含まれるのだと僕は思う。父の論文のように。叶わない夢やどうにもならない欲望、不自由な肉体を抱えながら、いってみれば消費されながら生きていくことに、虚しさを感じて逃げてきたけれども、今はそれほど悪くないような気がしてきている。今も時折「プロダクトは消費されることが一番幸せなんだ」という父の言葉を思い出す。だが、最初にその言葉を聞いたときの情景はまったく思い出せない。きっと、その言葉が今も生きていて、思い出す必要がないからだろう。(所要時間18分)

20年間引きこもりしている友人に会って思わず絶句した。

場違いすぎて自分がエイリアンに思えてくるような若い女性と子供のペアばかりの平日昼間のスーパーマーケットで懐かしい顔を見かけた。20年間実家に引きこもり続けているF。Fは僕と同じ歳なので現在43~4才。僕とFは小中高と同じ学校に通っていたけれど、同じ部活に所属したことはなく、数回にわたるロシアンルーレットじみたクラス替えを経ても《奇跡的に》一度も同じクラスになったことがない。誰にでもあると思うけれども、親友とは少し違う、一定の距離を置いて付き合っているような、ある種の緊張感漂う友人関係だった。唯一の共通項は子供の頃からピアノを弾いていたこと。一度だけ、どういう経緯でそんなことになったのか覚えていないのだが、高三の秋の放課後に音楽室に置いてあった埃の被ったピアノで、たまたま楽譜のあった「くるみ割り人形」を連弾したのは覚えていて、それはメタリカやガンズ&ローゼスで灰色に彩られた僕の高校生活のなかで、ショートケーキの苺のような、ささやかでスペシャルな思い出になっている。Fは大学から新卒で入った会社、確か教材を扱う出版社だったと記憶しているけれども、そこで心身を壊して入社初年度で退職し、以来現在まで20年間実家にひきこもっている。僕はその話をずいぶんあとになってから知ったのだけど、そのときは、ただの甘えじゃないか、と思った。「働かなくても生きていけるなんて羨ましい」「出来るなら僕も働きたくない」。日々外回り営業で走り回っていた僕には家にいるだけのFが、どう理由をつけても戦っているようには見えなかったからだ。夏を思わせる暑い午後のスーパーマーケット。向かい会う僕らは立派な中年男。過ごしてきた場所こそ違えど時間だけは平等に流れていた。「やあ」「おお」。簡単に挨拶を交わしたあとFは溜まっていたものを吐き出すような勢いで話をはじめた。「あいつはどこに就職した?」「奴は何をしている?」「大学院に進んだ彼はどうしてる?」「お前は卒業できたのか?」Fの口を突いて出てくる名前は、記憶の彼方に飛んでいったもの、久しく聞くものばかりだった。引きこもり続けたFにとって20年前はつい昨日の出来事だった。違う。同窓会で思い出話をするときのクラスメイトとFでは表情も口調もまったく違うものだった。センチメンタルも笑いもなく、ただただ、真剣そのもの。20年前の世界にしがみつくように、正確に記憶し続けることは、Fにとっての戦いなのだ。僕にはFの姿が南方で終戦後何十年も戦い続けた兵隊の姿がダブって見えた。勝ち組とか負け組とかそういうつまらない言い方に代表されるように、最近、世の中、見た目の結果ばかりを気にしているような気がしてならない。僕はときどき思う。それは正解かもしれないけど、正しいことなのだろうか。乱暴な言い方をするなら、結果や勝敗なんつーのは紙一重の差でしかない。突き詰めれば、本人がやりきっていればどうでもよく、他人にどうこう言う権利などないのだ。実際、僕は20年会社で働いてきたけれど、この手に残ったのはささやかな貯金と取るに足りない経験、替わりのきく技術だけだ。たまたま僕は戦いをうまくこなしてきただけにすぎない。そして僕は、昔話に戸惑うばかりの僕を心配してFがかけてくれた言葉に言葉を失ってしまう。あのときと同じ言葉だったのだ。高校三年の秋のあの日。連弾で弾いた「くるみ割り人形」。結局、僕が途中でふざけてお色気番組「11PM」のオープニング音楽、ダバダバダバダってやつね、あれに展開して尻すぼみに終わってしまったのだけど、そのときもFはこう言ったのだ。「大丈夫か。お前、進学の悩みでもあるのか?」今日はスーツ姿の僕を心配して「昼間からこんなとこにいて大丈夫か。お前、仕事で悩みでもあるのか?」僕は世間体を気にする家族の要請でスーツを着ているけれども、Fと同じ、ただの無職だ。正直に今、働いていないんだ、というのはFの気持ちを裏切る気がして「暑いからさー。営業の合間に水を買いに立ち寄っただけ」と嘘をついた。俺みたいになるなよ、と笑うFに、後ろめたさから、適当に相槌を打つことしか僕には出来なかった。僕みたいに適当にやっている人間のことはいいから、自分の心配をしろよー、そんなんだから壊れるんだぞーとダイレクトに言葉に出来たらどれだけ楽だったろう?。人にはそれぞれの戦いがある。その戦いはきわめて個人的で、戦局を一変させてくれる援軍はなく、自分の力だけで戦い抜くしかない。Fは戦っていないように見えるけれどずっと、ずっと戦っている。ご家族以外は誰も知らないFの戦いを僕は忘れないでいようと思う。そして、いつの日かまた、一緒に、尻切れトンボに終わった「くるみ割り人形」を最後まで弾ける日がやってきますように、そう、僕は祈った。(所要時間22分)

辞めた会社の社長から復帰を打診されているのだが、その言葉が刺さりすぎてヤバい。

昨年末めでたく怨恨退職した会社のボスが僕を呼び戻したいと言っているのを人づてに聞いた。ボスとは色々あったけれども実にありがたいことだ。昨今、北朝鮮ミサイル発射、佐々木希さんご結婚等々、世知辛い出来事ばかりで、世の中にはこのような暖かみのある出来事が不足しているのではないか。だからこそこのたびボスからいただいた、心に刺さる言葉の数々を皆さんとシェアしたいと思う。なお、当方絶賛失業中につき、新聞に掲載されているサラリーマン川柳を読むくらいしかやることがない都合上、ところどころフリースタイルで吟じてしまっているがスルーしていただけたら甚だ幸いである。


・「本当は 他の人間 戻したい かなわないから いたしかたなく」→(解説)「第一候補は他にいるけどとりあえず人がいないから奴で仕方ないだろう」などとボスは謙虚なことを仰っているらしい。一般的な人間が外れドラフト一位と言われて喜んで戻ると思っているのだろうか。遠慮なくドラフト一位を指名していただけたらと願うばかりだ。


・「宣伝を 見直してくれ 言われても 無理ゲーすぎる 鍵あるかぎり」→(解説)元同僚から「社長が《広報担当として僕を呼び戻して、公式ホームページやなぜかフォロワーの増えない会社公式ツイッターのテコ入れをさせたい》と口にしているぞー」と聞いて当該公式ツイッターアカウントを確認しにいって、鍵がかかっていたときの絶望を、わたし、絶対忘れない。


・「あいた穴 小さいけれど 歪すぎ」→(解説)「奴が抜けた穴は小さい。極めて小さい。小さすぎる。ザコすぎる。だがそのザコい穴が歪すぎて誰にも埋められないから仕方ないから戻したい。小さい穴を埋めるだけなので待遇もそれなりに小さいが」とボスは仰っておられるらしいが、そんな口説き文句が響く相手がこの宇宙にいると思っているのだろうか。正気か。

 

・「海の家 切り盛りできる あいつなら 頭を下げる 価値はないけど」→(解説)「あいつなら海の家を切り盛りして行き詰まった状況を打破してくれるだろう。頭を下げるつもりはないけど受け入れてもいい」かつて。運営していた海の家の失敗を僕一人に押し付けておいて傲慢なお言葉。呼び戻す側の言葉とは思えない。まったく刺さらない。


・「戻っても 新人たちと 同じ場所 辞めた人間 見せしめのため」 →(解説)ボス曰く「あいつには戻ってきてもらいたいが役職や待遇は低いところからやり直しになる。仕方ないよね。人を憎んで罪を憎まず」。いつでも戻って来られるようにドアをあけてあると豪語するボスの心の広さと器の小ささの対比をあらわした悲しい歌でございます。呼び戻す気あるのか。痴呆か?


・「あいつなら バイトのシフト 埋められる 決まらなければ 苔のむすまで」 →(解説)人不足の飲食業界。依然としてアルバイトも埋まらないような状況で「奴を呼び戻して嫌がらせで埋めさせよう。バイトが決まらないようなら(苔がびっしりと生えるくらい)長い期間穴埋めしてもらおう。それで潰れても、一度辞めた人間だから別にいいだろう」と漏らしているらしいボス。戻す気ないだろ。


・「あやまちを 正せるならば 命がけ 辞めた人間 再教育」→(解説)「私の教育が間違っていた。捲土重来の機会があったら今度は命をかけて辞めていった人間を再教育しアイアイサーしかいえない戦士に洗脳したい」と仰っているらしいが、「むしろ貴兄が精子から教育をやり直したほうがよろしいのでは…」以外に返す言葉が思い当たらない。

 

・「今こそは 部下の失敗 受け入れる 我が失策で 散るぞ悲しき」 →(解説)部下の失敗を受け入れなかった己の未熟さを悔いる歌に見えてしまうのは僕の技量不足。申し訳ない。ボスは「部下の失敗を受け入れておけば会社が潰れるとき自分だけの責任にならなくていいよね」などと都合のよろしいことを相変わらず仰っているらしいです。死ね。


・「壊れない こき使っても 壊れない 無事これ名馬 闇駆け抜ける」→(解説)ボスは「あれだけこき使っても壊れない人間はいない」と僕を評価してくれているらしいけれども、闇のブラック企業ぶりに蹂躙された僕が数年前に身心を壊して休職したことはお忘れなご様子。ずいぶんと都合のいい記憶力でございますね。脳が死んでいるのだろうか。


以上である。もしあなたたちがかつて所属した組織の長たる人物からこのような打診を受けたら警戒してもらいたい。血のかよった人間が発したとは到底思えない酷い言葉ばかりだが、僕の心に刺さったのも事実である。「こんなバカな冷血漢に仕えていたのか…」という取り返しのつかない悔恨がぐさりと心臓に突き刺さったのだ。ちなみにこれらの言葉は元同僚たちから聞いたものである。僕の退職後、会社は相当に厳しい様子で、元同僚たちからも復帰&助力を申し入れられている。「お願いします元部長」「元部長もう一度やりましょう」…そんな言葉に一ミリほど心動いて酒を交わした席で「貴様だけ逃げるなんて許せない」「ズルい」「死なばもろとも」という彼らの薄汚い本音を知ってしまい、一ミリでも心が動いてしまった己を恥じているところでございます。とはいえ、かつて共に戦った仲間たちに「死ね」とまでは言えない。彼らには苔のむすまで死なない程度に苦しんでいただきたい。(所要時間25分)

会社のヤバい兆候をまとめてみた。

昨年末に怨恨退職をした会社が僕が在籍していたときよりも酷い状況に陥っているらしい。元同僚たちも悲惨な目に遭っているようだ。僕に力を貸してくれなかった方々が滅びようとも知ったことではない。笑いをこらえるのに必死、ザマーミロな気分だ。だが、そのような悪態ばかりついていると地獄に堕ちてしまうので良い行いをしてバランスを取りたい。具体的には皆様のために僕が目撃してきたヤバい会社の兆候を列挙する。ひとつでも該当する項目があったら荷物をまとめてもらいたい。さもないと僕みたいに手遅れになるよ。

・ワンマン経営をしていた社長が苦しくなった途端に「社員一人一人が経営者」と言い出す。

・本社若手社員の早期離職率が劇的に改善。→若手社員が全員退職したため

・「労働組合」という法で認められた存在について誰も口にしようとしない。→恐怖政治

・流行りのランチミーティングを突然導入。

・ランチミーティングがクチャラーミーティングにレベルアップ。参加者の多くが口まわりの筋力低下著しい中高年男性のためクチャラーミーティングとなる。「それでですねクチャ。総務部とクチャしてはですクチャね」「クチャクチャ、それだけはクチャも譲れませんよクチャ」クチャクチャ地獄。

・「残業代は全額支払うと執拗に表明」。→「残業代は支払うから欠員分含めて死ぬほど働いてくれ」時給換算される労働者の命。

・朝礼時のラジオ体操が復活。→表向きは社員の健康増進のためとなっているが、上層部が毎朝の訓辞を考えるのがメンド―になったから。

・「ピンチはチャンス」とピンチを招いた社長ご自身が言う。→ツッコミ入れたら即死

・親族経営のくせに実力主義をアッピールしはじめる。「血縁の異常な出世スピードは実力のため」という北朝鮮メソッドを導入。

・苦境により賞与がなくなる。但し役員向けの期末報酬は維持するという一縷の希望だけは残る。→死ね。

・社長ご子息『経営戦略の天才』『面接を受けず入社が決まる天才』通称ジュニアさんが実力でコネ入社。

・ジュニアさんが入社翌日から「NIKEエアジョーダン1」を履いて出社。

・ジュニアさんのために部署経営戦略研究室が新設。

・なぜか会社の組織図に載らない経営戦略研究室(KSK)。
 
・KSKが社員の間で「クソか…」という隠語でささやかれるようになる。

・ジュニアさん入社1ヶ月でエアジョーダンを履いたまま部長待遇(室長)に。

・ジュニアさん逃亡(退職)
→終わりのはじまり。この時点で会社クライシスに気づいた者多数

・毎年のように行われる抜本的組織改革。

・社長直轄のプロジェクトチームが多数設立。→ほとんどが立ち上げミーティングで活動停止。自己満足サイコー。

・社用車がボコボコ 

・「若手」が若くない。→四十代の僕も退職まで若手若手と言われ続けていた。わかってねえ。

・ウェブサイトのコンテンツの多くが建設中

・そもそもウェブサイトがホームページビルダーのテンプレまんま。

・アクセスカウンターあるよ。→最近なくなったらしい。悲しい。

・ウェブサイトの社長の写真が別人。→理由は言えない。

・社長のマラソンを本社スタッフ全員が自由意志で休日返上で応援。なお、声援が大きいと評価アップ。

・海の家をはじめる。→店長候補が逃亡退職したために、僕がひと夏のあいだ店長代理をやらされてました。

・海の家がつぶれる。→やる人がいない。

・「社員の給料をあげてやりたいがあげられない」と言う。あげられない理由は社会情勢と日本の景気。なお、役員報酬は毎年自動的にアップ。

・就業規則の制裁規定が充実

・社長への意見箱設置。→密告者の量産。疑心暗鬼地獄に。

・上層部がベストセラー本のタイトル、内容を訓辞に取り入れはじめる。→「置かれた部署で咲きなさい」「片付けると人生がトキメキマス」スキトキメキトキス。

・「頑張れば頑張った分だけ報います」 →頑張らない分は固定給からも無慈悲にカット宣言

・「死ぬほど働け死ぬまで働けという経営者は失格。私は社員に死んでることすら気づかせない」 →ただの悪魔やん。 

・報酬金制度がエグい

・会社内の本棚が「スピリチュアル」「陰謀論」「浜 矩子先生」「中国は滅びる」系。→スピリチュアルについては某団体出版。関係ないけど清水富美加さんお元気ですかね。

・人材不足解消のために長年働いている人間よりもはるかに好条件の求人を出す。→発覚してモチベーションだだ下がり。

・年休を本人の知らないうちに取得させる。→現在僕はこれで揉めてます。

・流行りに乗じて新社歌をつくる。→そのうちユーチューブ動画をつくると予想。

・社歌の歌詞が無駄にアツい。「いちご~~いちえ~~~のせいし~んで~」→暑苦しさこの上なし。

・上層部が「同一労働同一賃金」をドイツ連邦共和国の制度と誤解していた悲しい事実が発覚。→このときほど社員のあいだに深い絶望が広がったときはない。

・レクリエーションをたびたびレボリューションと良い間違える社長。→もしかしてだけどもしかしてだけどエデュケーションが足りない。

・退職者続出するも社長が社員の辞める理由がまるでわかっていない。→理由:社長。

・社長「社長室のドアは開けてあるのに退職者はなぜ会社や仕事に対する不満を言って来ない」と憤る。→だって、あなたが理由だもの。

・社長「私の代わりに退職理由を聞いてこい」と無理ゲーのクリアを命じるの巻。

・命じられた者が社長と本当の退職理由の板挟みにあい心を病んで休職。

・特に何も手を打たないでいたら本業に行き詰まる。→前年比マイナス・コンティニュー

・会社理念と伝統を理由に旧来のやり方に殉じる。→といえば聞こえはいいが何もしていないだけ。

・ウェブサイト内に「わが社のこだわり」的コンテンツはリンク切れ。

・あっさりと新しいことに挑戦しはじめる。→合言葉は「革新」「前進」「試しに」

・新規事業としてギャル向けのネイルサロンに手を出す。→きっつー。

・サロン向けの立地条件最高の場所ゲットだぜ。→高まる不安。

・会社乗っ取りを危惧した社長がネイルサロン経験者を閣僚に加えるのを拒否。→不安クライマックス。

・ネイルアートを見たことすらない中高年男性ネイルサロン店長が爆誕。→登用理由は闇。毎朝デスクで爪を切っていたからという信じたくない噂あり。

・あえなく閉店。→テコ入れで配りまくったタダ券がダメ押しとなる。

・飛行機出張は原則禁止(理由不明。2011まで)

・大阪出張の際、上司に付き合わされてUSJ同行。

・営業接待弾丸富士登山(毎年から隔年に)。

・婚活マッチングサービスのポスターが休憩室に貼られて大問題になる。

・「今よりも昔の会社の方が良かったとは口が裂けても言えない」と正直に言うベテラン社員。→オールタイムブラックの証拠。

・「こんなとこ入らなきゃ良かった」と失意のまま諦念退職していく数名のベテラン社員。 
 
・全体会議を出張のために欠席せざるをえなかった社員を激しく叱責する一方、当該会議においてだけ社長を褒め称えつつ立派な発言をする幹部を称賛。→北朝鮮メソッド炸裂。マンセー。

・会社のパーティーにド派手なギャルが来訪。→闇その2
 
・「残業は会社として全面的に禁止していると社長自ら表明。→その真意は、所定労働時間外は社員が己の自由意志でやってるから当局は一切関知しないというミッション・インポッシブル的なアレ。陰湿な殺しのライセンス。
 
・社長が飲みの席で「こんな仕事やりたくなかった」と本音を吐露。→じゃあやめてくれ
 
・「私の言うことを聞いて黙ってやれ」から「社員一丸となってこの危機を乗り越えよう」へ華麗なる転身を決めた社長。→もしかして己の責任を全員で分担しようとしてるだけでは…疑惑。
 
・社長の「一丸となって…」という言葉に感銘を受けた一部社員が一丸となって退職届を提出
 
・ほぼ全額、会社負担の社員旅行だけは経営状況が悪くても隔年開催。
 
・役員以外は参加費(2000円)徴収の社員旅行。→素晴らしい!
 
・退職したはずのジュニアさんが社員旅行に参戦。
 
・社員旅行のビンゴ大会、景品は年々豪華に。→こんな旅行に金を使うなら少しでも賞与を…という社員の声は届かない。無情なり。
 
・社長が社員の誰よりも早くポケモンGOをはじめる。
 
・社長、運転手付の車でポケモンの聖地江ノ島に赴きポケモンゲットだぜ!→「まだそんなレベル低いのか?」と社長様に馬鹿にされたおかげで僕はポケゴーから卒業できました。ありがとう社長。

・数年前「うちの社員ども」現在「社員の皆様」→呼び方の変遷で会社がわかる。

以上が僕が経験で学んだ会社のヤバい兆候だ。傾向としては、良いときに手を打たなかったり、状況が悪くなった途端に社員を巻き込み始めたら要注意。では皆さんが楽しい労働者人生を送れるよう草葉の陰、バイト先から祈っております。(所要時間40分)

個人的傑作とは何か/『ゴースト・イン・ザ・シェル』を観て

いい作品とははたして何を指しているのだろうか。映画でも小説でもゲームでも、創作物なら何でもいいのだけれど、それらに触れる際に他人の評価を気にしすぎるのは人生の損失と同義ではないかと僕は思っている。一度きりの人生なのだから、自分の目で見て、耳で聞いて素直にいいと感じたものが良きもの、つまり傑作なのであって、それが、他人から評価されようがされまいが、はたまた酷評されていようが別に構わないではないか。大勢が良いと思っているものが、それほど良いと感じられなかった経験が誰にでもあるのではないか。そんなとき「多くの人が賛美しているのだから…」と自分の感じたものより、他人の言葉を信用してしまうのは、なんだか自分を捻じ曲げているようで、寂しいものに僕には思える。もっと自分らしく生きて欲しい。人の意見に左右されない自分なりの基準を持って欲しいと老婆心で思う次第である。とはいえ、平凡なセンスと、平均的な目と耳と思考能力しか持ち合わせていない一般人に、即座に、自分の頭で考え、自分だけの基準を持とう!というのはどだい無理な話である。皆様には時間をかけて自分なりの基準を作り上げていただき、豊かな人生を送ってもらいたいけれども、皆さんが豊かな人生を送ろうが送れまいが僕にはどうでもいいことなのも、ひとつの事実なのである。こんなことをいっていると、天邪鬼と思われるばかりなので、僕が己の人生をかけて築きあげた基準のひとつをお披露目したい。先日、「ゴースト・イン・ザ・シェル」という日本の漫画「攻殻機動隊」を原作にもつハリウッド映画を観た。無職に降格している僕から「攻殻機動隊」についてあれこれ教わるのは、正社員の皆さんの自尊心を傷つけてしまいかねないので、各自ウィキペディアなどで調べてもらいたい。僕と「攻殻機動隊」の関わりはせいぜい士郎正宗氏による単行本(1)(2)(1.5)を読み、アニメ映画「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」「イノセンス」を劇場、テレビアニメ「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」「〃2ndGIG」「〃SSS」をDVDで鑑賞したくらい、最近製作された新アニメはまったく知らない、その程度なので、とてもディープなファンといえない。そんな僕が観ても、今回の「ゴースト・イン・ザ・シェル」は普通にいい映画だった。既にご覧になった皆さんにとってもいい映画であって欲しいとは思うけれども、そんなことはどうでもいい。ここで冒頭の、いい作品とは何か、というクエスチョンに舞い戻る。僕にとって最高の映画か否かの基準は《鑑賞中、ハラハラドキドキし続けているかかどうか》である。この基準に拠って最高の映画としたのは、『ダイ・ハード』『T2』『青春の殺人者』『青い体験』シリーズ…。聡明な皆様はすでに気づいているだろうが、今回鑑賞した『ゴースト・イン・ザ・シェル』のことを僕は最高の映画ではなく、いい映画と評した。僕にとっていい映画とは何か。それは不眠気味の僕が映画上映時間内の相応の時間を眠って過ごせた作品。その基準に拠るとアニメ版をトレースするような描写が続き冒頭20分程度で眠りに落ちてしまった『ゴースト・イン・ザ・シェル』は非常に眠れるいい映画ということになる。僕の判定基準が正しいとは全く思わない。ただ、バカバカしくてもいいので自分なりのブレない基準を持つことが大事という話なのである。さて、僕が今までの人生で「いい映画」と判定してきた作品を列挙してこの文章の〆とさせていただきたい。『機動警察パトレイバー2』『スカイ・クロラ』『アヴァロン』『ASSAULT GIRLS』愛すべきこれらの作品には、どれも「開始20分以内で深い眠りに落ちた」という共通点以外に、大きな共通点があるのだが、それをここに記載すると戦争になりかねないので控えさせていただく。(所要時間19分)