「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とはプロ野球の野村克也元監督の言葉である。敗北の原因を追究することの大事さをあらわした言葉だが、どうだろう?最近は敗北や失敗から目を背けるかのごとく、華やかなサクセスばかりが取り上げられてはいないだろうか。ところで我が営業部は直近10年で一年以内離職率9割に迫らんとする素晴らしい職場である。いわば僕は辞めていく同僚を見送ってきた《退職おくりびと》。今回は退職おくりびとの僕が30名の同僚たちが退職時に残した言葉を紹介したい。これらのきっつーな言葉たちから敗北や失敗の本質を見つけていただき役立ててもらいたい。
1.「夏休みが短すぎる」
20代男性。入社一年目に申請取得した夏休み(3日間)が悪天候でつぶれてしまったため、二度目の夏休み取得を試みた彼。当然のことながら会社から許されなかったがその恨み節を退職の間際に。見苦しい。その後/フリーターを経ていかがわしい法人を立ち上げ現在に至る。
2.「今度会うときは…客だ…」
60代男性管理職。通称部長。宇宙一かっこいい退職時の言葉だと思う。その後/退職後個人事業主となり蒲田・大宮・戸越を中心にグローバルなビジネスを展開。2年前、志半ばで斃れて孤独死。南無。
3.「本当にいいんですか?俺、必要悪ですよ?」
20代男性。1と同一人物。退職時の言葉ではなく、フリーター経験を売りに復職を願い出て、断られたときのソウルフルな言葉
4.「学生に戻りたい」
50代男性。退職理由「学業をやり直したい」の人 その後/帰郷 彼が学生に戻れたかどうか知る由もない。興味もない。
5.「死なないで済みました」
40代男性。破格の条件でヘッドハンティングされた裏切り者。その後/知らない。
6.「課長、恨まないでくださいね」
20代男性。退職時は何を言っているかわからなかったが、退職後しばらくして時限爆弾が炸裂。営業部は相当期間、事後処理に追われることになる。その後/知りたくもない。
7.「自己都合でも辞められて本当によかった!」
30代男性。心の底からの歓喜の声。その後/自己都合で退職したはずだが、悪い人にそそのかされ会社都合にしてくれと騒乱を起こすも弊社総務人事特殊部隊にあえなく鎮圧される。現在アルバイトの日々。
8.「悪いこと言いませんから課長も辞めた方がいいですよ」
30代男性。悪いこといいませんからと言うやつがいいことを言ったためしがない。その後/予想通り生活に困窮。飲み屋から金を貸してほしいという内容の電話を受けた。着拒。バイビー。
9.「あの人何なんすか。絶対に送別会に呼ばないでくださいよ」
20代男性。退職時に部長を拒絶。驚くことなかれ、当発言は部長本人の目の前でなされたものである。会社を辞めたら他人。上司はただの老人。そんな現実を突き付けられた悲しい事件だった。その後/女子大生の彼女の卒業を待って結婚。成功者。
10.「やっと辞められる…」
30代男性。厳密にいえば退職時の言葉ではなく、退職後に発見されたメモに書き残されていた遺言。その後/音信不通
11.「ここでのことはずっと忘れません」
40代男性。言葉のとおりに退職後も会社を忘れられなかったらしく、イタズラ電話や門前張り込みを繰り返し、弊社人事総務特殊部隊により鎮圧される。その後/公式には田舎で平和な余生を送っていることになっている。
12.「こんなに嬉しいことはないです」
30代男性。仕事も存在感も地味すぎたが退職時に機動戦士ガンダムのラストシーンに匹敵するほどの名台詞を残す。その後/聞いたはずだが地味すぎて記憶にない。
13.「良かったら使ってください」
20代男性。心身の不調で倒れて出社出来なくなりそのまま退職。これはデスクの中に鉄道模型とともに残してあったメモに書いてあった日本語。その後/彼の大事な鉄道模型Nゲージは会社で保管中。
14.「息子は話したくないと申しております…」
20代男性。上記13の母と名乗る人物からの電話。本物かどうかは不明。その後/母を名乗る人物は息子を支えるためスーパーのレジコーナーで奮闘中。
15.「俺の送別会、本当にないの?」
60代男性。通称部長。故人。自称一匹狼の生き様が災いして同僚全員から忌み嫌われていた男の華やかなラスト・ダンス その後/なぜか僕と二人だけのミニミニ送別会を開催。
以上が、退職おくりびとの僕が後世に残したい魂の言葉たちである。「貴様、課長だったのだろう?部下や同僚が大量に離職しているのに何も手を打たなかったのか」という批判に対しては少し反論させていただきたい。僕はこれら退職者の前で手をこまねいていたわけではない。ただ、指をくわえて見ていただけである。(所要時間21分)