Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

無職は恥だが役に立つ

毎年恒例のクエスチョン。なぜ、一年に一度しか会わない、顔も覚えていない、可愛げもない親戚の子供にお年玉をあげなければならないのだろう?母はギブ&テイク、つまり子供時代に貰っていたのだからあげなければいけないと言う。妻は妻で、子供がいない僕の葬儀を行なってもらうため、つまり未来への投資だから観念するしかないと忠告してくる。貰ったから返せ。死んだら埋めろ。何だか寒々しく、凍死してしまいそうだ。反論させていただくがギブ&テイクは欺瞞である。なぜなら、子供時代のお年玉は言いかえれば大人同士のこづかいのやり取りである。子供のいない僕は終生お年玉をあげる側、ギブ&ギブ、与え続けるしかないのだ。また、僕は自分の死後のことに一切興味がない。僕の死後、地球が割れようが人類が滅びようがどうでもいい。庭いじりの最中に花壇の前で孤独死後はそのまま放置していただき、風葬してもらえればそれで構わないのである。もちろん、僕の遺体を放置すれば法令や条例に引っかかるかもしれないが、引っかかるのは僕ではない。知らぬよ仏。僕に言えることはそれではおのおの抜かりなくくらいのもの。僕にお年玉を捻出させようとする運動の底にあるのは、それなりの年齢・立場にあって子供がいない僕のような人間ならば金銭的な余裕があるに決まっている、搾取しても構わないという、一人勝ちは絶対に許さない平均至上主義とでも言うべき卑しい考え方である。だが、今、僕はただの無職。42歳。それなりの年齢に達しているが社会的立場は無く、収入はゼロ。顔も分からぬガキ共にお年玉をあげる余裕などない。お年玉をあげなくて済む…無職も役に立つことがあるのだ。あなた方はこのような社会的弱者にまでギブ&テイクを求めるのか。恥ずかしくないのか。血は通っているのか。そんな調子で、胸を張っていると、無職の甲斐性なしなのだからせめて人並みにお年玉くらい出せ、子供たちに一生バカ扱いされるぞ、ケチ、年金未納などと関係者一同から追及され、めでたく本年もお年玉をあげることになった。悔しさのあまり、妻に「何がギブ&テイクだよ。ギブ&ギブでギブアップだよ」と愚痴ってみた。そんな僕の愚痴に対して彼女は「ギブ&テイクになってますよ」と平然と仰るので「その心は」とたずねてみたら「テイクダウン取られました」とお答えになられました。やられてるだけやん。きっつー。このように無職は何の役にも立たないのである。早く人間になりたい。(所要時間12分)