Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

会社員時代の所業が呪いとなって無職の僕に襲いかかってきている。

ご無沙汰しております。現在、僕は箱職人の義父のもとで、お茶煎れ、菓子の買い出し、ペンキ塗り、犬の散歩、詰将棋、恋ダンスの練習、ファミコン版魔界村の攻略、平日スノーボード…といった箱の技術承継と関係のないことに追われる忙しくも充実した日々を無為に過ごしている。義父が箱つくりのイロハを教えようとしないのは「職が見つからないから職人に…」という浅はかな僕の考えを見透かしているからだと思う。職人の意地というやつだ。今、僕は無職。サラリーマン時代、僕は「無職は無意味、無価値」と口癖のように言っていた。その言葉は自分自身への呪いの言葉となってはねかえってきている。時計の針を戻せるのなら、あの頃に戻って「未来の自分に呪いをかけないで」と伝えたい。自分が無職になった今だから言える。言い訳や自己保身ではない。僕は間違っていた。無職は決して無意味や無意味なんかじゃない。いわば準備段階。さなぎ状態。僕のように比較的健康な肉体、そこそこの職業能力、歪んだ性格を持ちながら、職に就かずに昼間から酒を飲んでブラブラしているのは、無意味・無価値に見えるかもしれない。だが、それは違う。そこそこ健康な心身を持ちながら、理由も目的も信念もなく無職をやっている人間は、無意味や無価値などではなく、ただただ有害である。国を食い潰し滅ぼさんとする害悪の準備段階である。害悪のさなぎである。偏見や思い込みではない。自分自身がその立場に身を落として経験してわかった事実だ。僕のような理由なき怠け者無職に対する生活保護は一刻も早く打ち切り、彼の国への送金を禁じているように親御様からの送金を禁じるべきだ。権利ばかり主張して義務を果たさない、害悪の無職には、皆様の尊い血税で作られた公園のベンチに座ることも、はたまた、カタギの皆様が汗水垂らして維持をしている電気・ガス・水道を利用してブログを書く権利などないのだ。その一方で、凡庸な若者や極端に楽観的な人がうらやましいと思う機会も増えた。さしたる能力や実績もなく、凡庸な夢だけで無職を生きていられるし、人生を振り返り自分本来の可能性や人生の意味を考えたりとくだらないことで時間をつぶせる。エクセレント。普通レベルの人間はそうはいかない。通常、己の人生を振り返るのにはせいぜい10分もあれば十分だからだ。それに、そろそろ無意味に意味や価値を見出すようなくだらねえゲームはやめにしていただきたいものだ。自分の価値や可能性を信じるのは大変結構なことだが、評価というものは基本的に他人からなされるもの。路肩に転がっている石ころが自分で宝石レベルの値札をつけているほど悲惨なショーはないのだ。きっつー。ああ、一刻も早く、この無職地獄から脱出したい。再就職がかなわぬのなら箱作りに残りの人生をかけたい。しかし、朝から魔界村をやっているボンクラに箱の未来は任せられない。義父がそう考えるのも無理のないこと。僕に職人としての未来があるのかないのか、ファジーな状態、もやもやした気持ちを抱えて生きていくのは地獄なので、義父に僕を後継者にするつもりがあるのか問いただしてみた。義父の答えは想定外であった。「我が流派は江戸時代から続いているだけで歴史的価値はなく、技術的に特別優れているわけでもない。唯一のセールスポイントは跡取りがいないため間もなく断絶という日本人が好む悲壮感、絶望感のみ。今風にいえばプレミア感。もし跡取りがいたらそのプレミア感がなくなってしまうだろう?」切実な理由がそこにはあった。こうして箱職人への道も閉ざされたのである。これも過去の所業が呪いとなって返ってきたのだろうか。しかし諦めたらそこでゲームは終わり。僕は諦めない。今日も、求職活動を本格化させよう、事業を起こそうと決意して弾丸のように自宅を飛び出した。そこまではよかったのだが、吹きすさぶ冬の風はすさまじく、コンビニで買ったカップ酒をちびちびやって体を温めながら、海岸でひとり、凍えそうなカモメ見つめ泣いていました。このまま飲んだくれてアル中ハイマーになってしまえば楽なのかもしれない。波が砂に書いた「再就職」の字を消してどこかにいってしまうように、僕の経歴からこの無職時代も消してくれればいいのだけれど、現実社会がそんなに甘くないことを20年サラリーマンをやってきた僕は良く知っている。夫婦滅亡まであと1週間。(所要時間20分)