Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

どうすればよかったのだろう?施設から学校へ通っていた友人に言われた言葉が忘れられない。

自転車に乗った小学生くらいの男の子2人組が、会社へ向かう僕の脇をすり抜けていった。夏真っ盛りの海に行くのだろう、浮き輪を腕に通して大騒ぎだ。すれ違いざまに見た男の子たちの姿に、僕はかつての自分たちを重ねてしまう。子供の頃の僕自身と、懐かしくて、苦い、あの夏にいるショウちゃんの姿を。僕は、なぜ、あんなことをしてしまったのだろう?と過去の自分に問いかけてもどうにもならないのだけど、問いかけることしか出来ない。

 

ショウちゃんは小学3年~6年まで同じクラスにいた男の子だ。仲間たちと一緒に遊んだ記憶はあるけれど、2人きりで遊ぶような特別仲のいいクラスメイトではなかった。ショウちゃんには両親がいなかった。児童養護施設から小学校へ通っていた。当時は気が付かなったけれど、今思えばそういう環境にいた彼を少し避けるような空気が確実にクラスにはあった。《シセツの子を誘ったらカワイソウだよ》みたいなことをいう友達や、ショウちゃんを映画やプラネタリウムに誘うのを躊躇するクラスメイトを僕は覚えている。クラスで何か問題があると根拠もなくショウちゃんを疑うヤツが必ずいた。僕らの「カワイソウ」の裏には「シセツの子は普通じゃないから」という思い込みがあった。

 

僕はショウちゃんと背丈が同じくらいだったこともあって(チビだった!)、座席でも背の順整列でも近いポジションを与えられており、先生からショウちゃんの相手をするように言われていた。ショウちゃんは大人しかったので僕の方が一方的にあれこれと話すような奇妙な関係だった。今、振り返ってみてもショウちゃんが話している言葉、会話というものをほとんど思い出せない。記憶の中にあるのは僕の声ばかりなのだ。

 

ショウちゃんは勉強がまるで出来なかった。宿題や係の約束事や決められたことも出来なかった。そして遠足や学外活動になると必ず行方不明になった。ショウちゃんが行方不明になるたびに僕らはクラス全員で探し回った。「ショウはシンカンセンなんじゃね?」「あいつシンカンセンだろ!」という声をあげる者に「そんなこと言うな!」と言い返す者も出てきて、クラスが微妙な雰囲気になった。当時、特殊学級というクラスがあって、ハンディのある子はそのクラスで学ぶようになっていた。特殊学級=トッキュー=シンカンセン。無邪気な残酷さが生んだ忌むべき造語だ。確実なことはいえないけれど、ショウちゃんは何らかのハンディを抱えていたのかもしれない。

 

僕も行方不明になったショウちゃんを見つけたことがある。公園のトイレの裏にいて、悪びれたり反省する様子もない、ただヘラヘラしてる彼に虚しくなってしまった。なんで決められたことが出来ないのだろう?こんな簡単なことができないのだろう?まだ子供だった僕には普通のことができないショウちゃんは理解不能な生き物で化け物のように見えた。そしてショウちゃんが何か変なことをやるたびに僕は先生から「なんで目を離したの?」「わからなかったの?」と毎回注意をされるのが本当にイヤで、ショウちゃんに対してというよりは先生に対する不信感から、ショウちゃんが新幹線に乗ってくれるのを僕は望むようになっていた。当たり前だけれど、その希望を僕は口や態度には出さないようにした。必死に隠し通した。

 

僕はいい友人であろうとした。彼が変なことをやりそうなら、ダメだよ!と注意し、事を起こしたら、事態をおさめるように動いた。もちろん草野球も一緒にやったし、サッカーやドッヂボールの際は声をかけた。でも「ショウちゃんとのあいだに友情が芽生えていたか」と誰かにきかれたら「あった」とは言い切れない。先生や周りからショウちゃんのことであれこれ注意されたくないという気持ちが大きかったからだ。もしかしたら、いや間違いなく、クラスのなかで彼のことを一番疎んでいたのは、一番近くにいて、一番面倒を見ている僕だった。それでいて、ショウちゃんは僕のことを一番信頼している、僕に感謝してくれていると信じていた。これだけやってあげているのだから、こんなにも庇っているのだからと。

 

ショウちゃんは勉強が出来なくてヘラヘラしていたけれど、僕のそういう傲慢さを見抜いていた。小学校を卒業して、中学生になった僕らは夏休みに駅前でばったりと会ったのだ。同じ中学校に進学したけれども、違うクラスになっていた僕らにとって久しぶりの対面だった。僕が声をかけると彼は「嘘つき」とだけ言った。穏やかな水面に小さな石つぶてを落としたときのポチャンという音みたいな静かな口調だった。響いた。ショウちゃんは、新幹線と揶揄されていたショウちゃんは僕の欺瞞に気づいていた。そう、彼は僕という人間を見抜いていたのだ。

 

ショウちゃんが今どこで何をしているのか僕は知らない。施設を出て大人になった彼がどのような人生を歩んでいるのだろう?そもそも彼は大人になれたのだろうか。タイトロープみたいな人生をうまく渡れているだろうか。たぶん何度も落ちかかったりしているだろう。だから、どうか、ロープから落ちそうなとき、彼の傍らに救いの手を差し伸べてくれる人がいますように、そう、僕はかつての僕とショウちゃんの姿を重ねた男の子たちの背中に向けて、祈った。「嘘つき」といわれたときの恥ずかしいような逃げ出したいような気持ちは、いつも僕の中に残っていて時折、今日みたいな良く晴れた夏の日になると、咎めるように顔をのぞかせる。それが僕の犯した罪に対する罰なのだろう。(所要時間27分)