Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

結婚なんてしなきゃ良かった。

誰が言い出したのか知らない「結婚すれば喜びは2倍、悲しみは半分」というフレーズを僕は結婚前から無責任な嘘と思っていた。浅はかだった。僕の見解は間違っていた。嘘どころか大嘘であった。ゼクシィを読んでいる人には申し訳ないが、結婚することで喜びは半分になる。悲しみは…変わらない、としておこう。こんなふうに正直者の僕が事実をお伝えすると一部既婚者の方々は「そんなことはない。我々夫婦の幸せは2倍どころか3倍になっている」と否定するかもしれない。仕方ない。人間は現実ではなく見たいものを見る生き物なのだから。誤解してもらいたくないが、マイナスの意味ばかりで幸せ半分と言っているのではない。感情の振り幅が減っていることは、言いかえれば、安定しているとも言えるからだ。問題は僕がはそんな安定を望んでいたのかどうかだ。責任。義務。経済的制約。生活のために汗をかいて労働し、汗を流せばファブリーズをかけられる。そしてパーフェクト・セックスレス。確かに僕は衛生的で、安定した生活を手に入れた。それは間違いない。だが、時折、得たものと失ったものとを天秤にかけてしまう自分もいる。「きっつー」。5年間の結婚生活を総括すればその四文字に集約される。億千万のきっつーの堆積、その結果が別居状態である。きっつー。結婚なんてしなきゃよかった。僕は思う。ゲーム機を自由に買えないような生活が果たして人間の生活と言えるだろうかと。何をしても独身者を羨んでしまう。ウンコの残り香を気にしながら、いそいそとトイレから出てくるような、奴隷のような生活はもう嫌だ。昨夜、酒をがぶがぶ飲んだ。「遅くならないように」「飲み過ぎ注意」そんな小うるさいことを言う妻はいない。人間らしい生活を取り戻す。独身に戻る。楽しい酒はいくらでも胃袋に入るもので帰宅したのは深夜一時。もちろん自由な僕はタクシー代をケチらない。誰もいないマンションは静かで暗い。このどこまでも自由な静謐さこそ、僕が望んだものだ。結婚なんてしなきゃ良かった。倒れるように寝て起きると朝食が用意されていた。玉子焼、ほうれん草のお浸し。しじみの味噌汁(インスタント)。コップ一杯の養命酒。本当に、本当に、結婚なんてしなきゃ良かった。自由な独身の君たちが心の底から羨ましい。(所要時間12分)

社会的に弱いことを武器にするのは卑怯じゃね?

私事で大変申し訳ないが先月酔っ払いチャリのカミカゼに遭い全治六週間の怪我を負った。事故を起こしたのは加山雄三似の八十才の年金生活者だ。心優しい僕はなるべく穏便に事を済ませたかったので、加山雄三似に悪人はいないという確固たる事実と相手の誠実な対応を信じて様子を見ていた。しかし、いっこうに謝罪やマネーについての打診がない。そこで「そろそろ謝罪なさった方がよござんすよ」とこちらからわざわざ連絡を入れたのが一週間前。「治療費を払ったら生活が出来ない」「かつかつの年金暮らしなんだ」という相手の言い分はスルーした。それ以来またまた沈黙を守っているので、サラ金、ヤミ金、消費者金融等々、金策に走っているのだろうと慈悲深く見守っていたのだが、突如、先方の代理人を名乗る人が出てきてあれこれとアホなことを言い始めたので、こちらも弁護マンを召喚して戦うことになった。大変遺憾ではあるけれど仕方ない。ちなみに話が決裂したのは「あなたにも年老いた父親がいるでしょう?」「私の父は年老いる前に亡くなっているし、泥酔チャリやる馬鹿と一緒にしないでもらいたい。失敬だ」というやり取りがきっかけであった。かつかつの年金暮らしを理由に支払いが出来ないと主張するけれども、それならばつつましく日陰で暮らしておればいいのに、なぜ昼間から泥酔して自転車にライディングしているのか、まったく理解出来ない。そこそこな豪邸に住んでいるのは確認済みであるし、そもそも謝罪だけなら誠意があれば出来る。おそらく加山雄三似の彼は弱者の皮を被った強者なのだろう。怪我をさせたのは悪いけど社会的弱者なので出来ることはありませんよというわけ。そんな都合のいい考え方が出来るなんて幸せだなぁ。卑怯なのは弱さを盾にこちらの優しさを喚起させこちらから手を引くように誘導していることだ。人の感情を軽んじ弄ぶとは。許さん。鬼となって徹底的にやってやる。しかし悲しい。虚しい。この空虚な気持ちは、老人からむしり取った金でインポ治療と真珠を埋め込み手術を行えば癒されるのだろうか。とにかくこのような事情なのでこの件についてはプロの手続き上いろいろあるので今後この場でお伝えすることは控えさせていただく。追い詰められた加害者が生活苦を理由に僕に対して恨み節を書き遺して、ロープなしのバンジージャンプを行ったり、ホームセンターで買い集めた練炭にチャッカマンしても僕の預かり知らないことなので構わないけれども夢枕に立つのだけは勘弁願いたい。毎晩のように夢枕に立って僕に呪詛を吐くのは一昨年亡くなった上司一人で間に合っている。(所要時間15分)

相対的幸福論のススメ

最近では起業するために速攻退学した大学生、一昔前だとプロいブロガー。彼らがなぜ叩かれ、はたまた炎上したのか、よくよく考えてみると僕自身にも当てはまることばかりで胸が詰まり、精神的にインポになりそうだ。彼らは別におかしいことは言っていない。《自分の人生を楽しみたい》と言っているだけ。人間なら当たり前のことではないか。人生を賭して面白いものをタダで見せてくれるのだから応援するかどうかは生理的にアレでも、少しくらい感謝をするのがスジではないかと僕は思う。なぜ、彼らが叩かれるのかといえば、自分の人生を肯定するために他者の人生を否定するから、その一点に尽きる。大概の人は自分の人生を一言でまとめられるのは好きではないと思われる。会社生活をしたことがない若者に「サラリーマンつまらないよね」と言われたら実際ムカつく。死ねよと思う。本来、選択行為において他人を否定する行為は前提条件ではない。「僕これやります」と宣言すればいい。ではなぜそのような否定をするのか。相手をムカつかせるように一言で言うならば、自分を高めるよりも他人を叩いて凹ませるほうがはるかに楽だから、相対的に幸福になれるからではないだろうか。十段階段を登るよりも他人を十段突き落とす方が楽チン、見た目の効果は同じ。そういう考えが少なからずあるからだと僕は考える。つまり、相対的にハッピーになろうと宣言している人に対して「そのような人生は甘い」と非難することは的外れなのである。炎上とは争点ズレズレの結果にすぎない。最後に僕の立場を表明しておく。他人が別の他人を否定をしようと関係ないし、その別の他人がその選択を「甘ちゃんやん」と否定しようがどうでもいい。大事なのは自分で自分の人生を選び、自分を高めること。それを十分に分かっていながら他人を叩いて相対的に幸せになれればいいとゲスい僕は考えている。楽だし。(所要時間11分)

そういえば20年もレールに沿った人生を送っている。

レールに沿った人生なんてイヤだ、大学なんて無駄だから潔く退学して起業するよ、つって4ヶ月で中退した若者のブログが話題になっていた。僕は他人がどんな人生を送ろうと自分に影響がないかぎりどうでもいい。なので記事に対する反響の大きさに驚いている。なぜ、それほど赤の他人の選択に熱くなれるのか。反響は、世間知らず、勿体無い、といったマイナス評価が多かったように見えた。僕の元大学生に対する評価は少々異なる。僕のそれは「真面目な若者」だ。揶揄ではない。その真面目さが仇になるのではないかと心配しているくらいだ。僕ならレールに沿った人生を放棄したらわざわざ起業して働くなんてことは考えない。真面目すぎる。せっかくドロップアウトするならポケモンGOを使った詐欺を計画したりパチンコで稼いだりすればいいのに。僕はもう働きたくない。今、働いているのは生活のためであって出来ることなら働きたくない。大富豪の家に生まれていれば働かなくとも何不自由なく暮らせたのに、そんな後悔ばかりの人生だ。20年の労働者生活で得たものは確かにあるが失ったものの方が遥かに大きい。もし当該元学生と同じくらいの年齢に戻れるなら間違いなく別の選択をしている。当該元学生に対する世間知らずという評価は世間の厳しさを知らないということだ。だが、世間の厳しさを知る必要なんてあるだろうか。ない。僕も該当するのだが、マゾではないごくごく一般的な人間のほとんどは厳しい、きっつーな選択を避けてイージーに、利口に生きている。イージーで利口な人生を歩んできたはずの大人たちが、なぜ、当該学生の選択を「なんて甘い考えだ」「厳しい未来が待っている」と厳しい人生の先達目線で批判したくなるのだろう。上手い喩えではないが「感動ポルノ」ならぬ「厳しさポルノ」ではないかと僕は思う。イージーな、そして完璧とはいえずとも自分の意思で選択した人生を送ってきた人間が、客観的にはどうあれ、己の意思でイージーな選択をした若者を批判する。実に美しい。もちろん、イージーな人生を送ってきた僕も自分と異なる選択をする若者を厳しい先達目線で批判するのが好きだ。こんなに気持ちいいことはない。ひとつだけ、当該元学生の認識で間違っているのは、レールに沿った人生は決して退屈でも見通し良好なわけでもないということ。それなりにエキサイティングだ。皆、その辛さを知っているから「レールに沿った人生」と一言でまとめられたことに反感を持ってしまったのだ。レールに沿った人生は暗闇の中を走るジェットコースターのようなもので、自分の想像や予想を裏切るアップダウンやカーブの連続。たとえば僕は営業マンだったはずなのに、いつの間にか、事業全体の責任者に祭り上げられ、リストラに奔走する日々を送っている。退屈してる暇はない。レールに沿った人生を否定してドロップアウトする人は当人が考えるよりもずっと多く、特別ではなく、つまりそれもレールに沿った人生にすぎない。当該元学生も僕も同じで、つまらない人生レールの上を死に向かって走る仲間なのだ。彼の健闘と、彼が僕を巻き込むような脱線事故を起こさないことを祈るばかりだ。(所要時間15分)

パートナーと別居中にやっておくべきことはこれ

家庭の経済のほぼ全てを妻に掌握されているので、自由に買い物が出来ない。特に趣味や娯楽への出費は厳しく制限されている。たとえば僕はテレビゲームが好きで任天堂とセガのゲーム機はほとんど持っているのだけど、5年前、結婚してからは、「プレステ4欲しいなぁ」「生活が苦しいからダメです」「えええー!」、「Wii U欲しいなぁ」「いらないよね」「…」、「XboxOne欲しいかも」「ホントにそれ欲しいの?」「ゴメン、そう言われたら欲しくないかも」という建設的な対話を経て泣く泣く諦めてきた。時折疑問に思うのはドール、フィギュア、ぬいぐるみ、城郭模型等々、妻の趣味に関するものが僕の預かり知らないところで増殖し続け生活エリアを圧迫していることだが、それを詮索するほど僕は野暮な男ではない。結婚とは定年までの諦念なのだ。さて、私事で申し訳ないが僕は今、妻と別居中である。つまり僕の経済は自由。妻は近日中に戻ってくると思われる。嬉しいなー。だが、この千載一遇の好機を逃す手はない。

PlayStation 4 Persona5 Starter Limited Pack(CUH-10012)

平成28年9月15日、絶好のタイミングで僕が愛してやまないペルソナシリーズの最新作ペルソナ5と新型プレイステーション4が発売された。サンキュー神様。別居期間中にゲーム機を買い、既成事実を作ってしまえばいいのだ。

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というわけで善は急げ、新型PS4とP5を買ってきた。やったー!神奈川県内某所で量販店の大きな袋と松葉杖に苦戦しながら歩いている中年男を見かけたら、多分、僕。人生の先輩として僕が申し上げたいのはパートナーと別居しているうちにP5とPS4を買っておくこと。パートナーが不在のうちにP5とPS4を買い、ギャルと3Pを愉しんでおくこと。大事なことなので2度言っておく。(所要時間9分)