Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

元社畜の僕でもドン引きする「ヤバくなったら逃げろ」と若者に助言するパイセンの無責任

学校を卒業して社会人になるときのハードルの高さの正体は先に社会に出ている大人のメンツの大きさではないだろうか。パイセンのメンツを守るために「仕事だから」「それくらいググっとけよ」つって新社会人に無駄な緊張と努力を強い、最悪、ウツ発症。無理もない。働くということ、社会人になるということについて教えられていないのだから。出来るわけがない。教えないのもメンツを守るためだ。メンツが守られているからこそ「お父さん仕事でお疲れなのよ。寝かせておいてあげて」「お父さん寝てるだけだけど偉いんだよねー」という凡庸な母子のやり取りが昭和に頻発したように、ボンクラ社員でも家庭では尊敬の念をもって扱われるのだ。古来より、社会秩序を守るため、いわば先に世に出ただけにすぎないパイセンを守るためだけに、働くことは尊い行為という空気が形成され、維持されてきたのだ。これがメンツだ。今はいくぶん薄くなってきてはいるものの、それでもメンツを保つためにネットなどで「働く意味・意義」について講釈を垂れる人がいる。「社会人になる前に知っておくべき108の知識」を開示する人がいる。偉そうに。働くのは生活のため、それ以上でもそれ以下でもありません、バカみたいにハードルを上げて自分を偉くみせたいですか?山は死にますか?川は死にますか?脳が死んでるんですか?といって僕が笑い飛ばせるのは僕が社会に出て長い中年だからであって、ピュアな若者ほど感化されて大人のメンツを形成するレゴになり、メンツ・レゴランドの一部に堕ちるのだろう。きっつー。働くことは「スゴい!」「尊い!」「偉い!」とハードルを上げておきながら「ヤバくなったら逃げろ」などと人生のパイセンは言う。無責任すぎやしないか。裁判員の目の前で犯罪を隠蔽する犯罪者みたいだ。それでいて「ヤバくなったら逃げろ」とこれまた大人の理解や余裕を見せているのだから、とんだ偽善者である。普通に生きていたら逃げ場所を確保していく余裕はないし、逃げる方法もわからない。教えられていないのだから。大人のメンツを守ることを僕は否定しない。案外そういうくだらねえメンツがあるからこそ世の中は回っている面はあると思う。大事なのは「逃げろ!」と声を上げることではなく、もっと実際的な、逃げられる場所の作り方や逃げる方法を教えることだ。さいわい、僕は誰からも教えられていないけれど己の才覚とラッキーで、他人が作ったハードルを越えることなく、唾をかけながら、人生を逃げ続けられている。その逃げるヒントをこのブログから嗅ぎ取ってもらえれば嬉しい。まあ、とにかく、僕が言いたいのは、働くことに真剣になりすぎるな、テキトーにやれということ。若いうちにしか失敗は出来ないのだから今のうちにたくさん失敗してほしい。僕のように四十を越えてしまうと人生は綱渡りで、結婚、退職、再就職、さまざまな局面での失敗が死に直結する。きっつー。そんな幸薄い人生を送っている僕を一瞬だけ笑わせるために、新社会人の皆様には社会的に抹殺されるような致命的な失敗をやらかしてもらいたいと僕は無責任に思っている。(所要時間16分)

21世紀枠での採用が決まりました。

「希望の仕事が見つかるまでの繋ぎでいいや」という春らしい浮ついた気持ち。求職活動をしているという家族へのアッピール。暇つぶしに冷やかし。酒代。そういう諸々の理由からアルバイトの面接を受けてきた。時給1,000円+歩合給の新規開発営業の仕事の面接である。平時においては他人様から忌避されるような業種、大人の事情でここではSS業と表記させていただくが、そこで薄給のために死神や悪魔やカラスのごとく人の死の周りをクンクンと嗅ぎまわる仕事である。面接会場の本社社屋はSS業らしくモノトーンとストーンな感じで統一され、墓地や寺院のような辛気臭い空気に満ちていて、会社を怨念退職してからの、暗く、つらいことばかりの3ヵ月を僕に思い出させた。通夜のような静かな廊下で面接の順番を待っていると、部屋の中から若者らしい張りのある声が聞こえてきた。「御社の企業理念と可能性に共感し、自分自身のチカラを試したいと思い志望しました!お客様に夢を与えられる存在になれるよう全力で頑張るのでよろしくお願いいたします!」たかがアルバイト。何を食ったらそこまで熱くなれるのだろうか、まったくわからない。ただひとつわかったことは、こんな無意味に熱くなれる若者に無気力の僕が勝てるわけがないということ。勝負する前に負け確定。もともと春に誘われただけの無気力なので、熱い若者の言葉のせいでさらにやる気は減退し、面接では終始「そうですね。別にいいです」「特にないです」という虚無的は態度で応じるような体たらくであった。「志望動機を教えてください」定年間近に見える面接官の声がした。こういう質問に対しては、通常、前に面接を受けた若者のように、御社の理念に共感した、とか、自分の力を試してみたい、とか、御社の一員になってこの地域全体を盛り上げたい、などと薄気味悪い美辞麗句を並べるのがルールである。だが、たかがアルバイトの面接である。金銭的に困窮し、今にも「ほのぼのレイク」で借金を重ねそうな者たちが集うのがアルバイトの面接である。何が理念だ、どこに共感だ。だいたい、43才の中年無職が目を輝かせてそんな夢を語っていたら、どこか壊れているか、ナチュラルボーンドリーマーか、どちらかだろう。そんなウソ八百並べられないよ…と躊躇する僕に「正直に答えてくれればいいですから」と面接官。「それなら」つって、「志望動機はお金です。SS業への興味も一切ありません」と答えた。終わった。はやくお家に帰ろう。そう思いながら。すると面接官は、少々頭に来たのだろうね、イラついたような調で「ウチは現場でお金を扱うことも多い…。お恥ずかしい話ですが過去に金に困ったアルバイトの人がネコババした事件もありました。あなたは大丈夫ですか?」と言ってきた。ただ、正直に金が欲しいと言っただけで、無職というだけで完全に犯罪者予備軍扱い。神に問う。無職は罪なりや?ふざけるな。と思ったけれど相手と同じ土俵に立ちたくなかったので、つとめて冷静に「大丈夫かどうかは自分ではわかりません。ただ、ネコババするような人間に見えてしまうのであれば自分の今までの行いのせいでしょーーね。今日はありがとうございました」と言った。その直後に「あとで正式に通達するけど一応合格」と言われて採用が決まった。相手の言い分を信じるならば、SS業の営業として求めていた人材は、やる気に満ち満ちたヤングではなく、見るからに疲れた、幸薄く、威圧感のない、お客に強い印象を与えない陰のような人物で、その条件に合致したこと。かつ、人の不幸のど真ん中に突っ込んでいくSS業の営業は時に人格否定のようなきっつい言葉をぶつけられるので、そういった事態に遭ったときに自分のルールで切り抜けられる人物に僕が合致したこと、それらを採用の理由として言われた。「他に候補がいないから」とも言われた。褒められているのかバカにされているのかさっぱりわからないので、とりあえず「職が決まったら速攻で辞めますから」とだけ言っておいた。正式に就職戦線に帰還するのは新卒以来20数年ぶり。21世紀となり、採用基準というものが僕の知らないうちに変質したのだろうか。とにかく、こうして僕はいわば21世紀枠での採用が決まったのである。来週から僕は人の死の周りを嗅ぎまわるアルバイト死神になるけれども、今までと変わりないお付き合いをお願いいたします。(所要時間20分)

めでたく空前絶後の試用期間内退職となりました。

営業部門のリーダーというニンジンを目の前にぶら下げられ、研修という名目で社員食堂の時給935円の洗浄パートとして働くこと苦節4週間。先輩おばはんパート、ミーシャの執拗な嫌がらせに耐えられたのは「桜が咲いたらバイバイキーン!」という明るい未来があったからだ。ミーシャはとんでもない悪党で、己の居場所を守るがために、僕が関わった期間だけでアニータ、沼ッチ、杉ちゃん、計3人のシニアを排除していた。1000食に迫らんとする社員食堂の洗浄ブースはまるで戦場のような慌ただしさで、時間内でさばくには信頼関係とコンビネーションが不可欠。にもかかわらずミーシャは故意に食器洗浄機へ大量の食器をランダムに流し込み、受け手を破たんさせ、退職へ追い込むのである。ニンジンが待っている僕は負けるわけにはいかなかった。気合で、ミーシャがランダムに流し続ける食器をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、種類ごとに分別して収納し続けた。まさか『ドクターマリオ』で培った動体視力と対応力がこんな場所で役に立つとはね。おかげで酷い筋肉痛で全身サロンパスだが。僕の排除にしくじったミーシャは、孫を職場に連れてくるという荒業を使った。男性用更衣室兼休憩室に息のかかったガキを配置して、休憩を妨害しようとしたのである。姑息だ。このガキがまた可愛げのないガキで、休憩時間までミーシャの相手をしているようなイヤな気分になった。はやくバイバイキーンしたい。テロリスト・ミーシャをクビにできないのは、深刻な人不足だからである。先ほど、年下マネージャーから、来月以降も洗浄スタッフとして働けないか?という打診を受けた。職業に貴賤なし。面接時に約束した待遇(正社員)にしてくれるなら、営業だろうが、皿洗いだろうが、期間限定ならかまわない。そう答えた。年下マネージャーは「わかってます」と胸を張り「時給5円アップの940円でいかがですか」と答えた。まったくわかっていらっしゃらない。バカなのだろうか?待遇への不満を漏らすと「もちろんそれだけではありません。来月からトレーナーからメンバーへ昇格になります。バッチの色が青になります。1か月での昇格は極めて異例です」といった。本当にバカでした。「人不足を解消したいならまずミーシャをクビにしろよ。今日は孫を連れてきているぞ」と忠告すると「また●●●●に駆け込まれて、本社前でビラをまかれますから」と乗り気でない。「それに」「何?」「彼女には家族はいないはずです」うそーん。じゃああのガキは誰なんだよ。近所のガキを雇ったのか、それとも誘拐してきたのか。ふいに「乳母」という言葉が口をついて出た。脳裏をミーシャの腐ったタクアンのような乳がかすめて、吐きそうになったので、僕らはガキについて考えるのをやめた。通常、パートやアルバイトとして働いているときは時給アップや昇格をするたびにキャリアアップ、社員への道が近づいてくるポジティブな感じ、いわゆるキテる感がするものである。僕の場合はどうだろう。時給アップすればするほど社員から遠ざかっていくようだ。年下マネージャーの言葉の端々に、僕の足元を見やがって、「断りませんよね」「あなたの年齢で希望の待遇で雇ってくれる会社はなかなか見つからないでしょう?」「年度末ならなおさら」みたいなニュアンスが見え隠れするのが、話しているうちに段々ムカついてきて耐え難いものになり、こちらから契約解除を申し入れた。僕の突然の反乱に「急に辞められてもシフトが埋まりません。困ります」と焦る年下マネージャーを無視して話を打ち切った。「たわけ」「お前のような何の取り柄のない中年が前と同待遇で会社勤めが出来ると思うな」「会社勤めは諦めて起業しろ」「ブログをマネタイズしろ」「アドセンス、サイコー」という声が聞こえてきそうだ。口を慎んでいただきたい。厳しいのは百も承知だが僕はまだ会社員を諦めていない。部長時代の賃金を諦めてはいない。だって、地球上に会社は何社あると思っているの?35億?というわけで僕はまた無職。今、僕は居酒屋で生ビールを飲みながら、妻にどのように話を切り出せば良いのか、考え、悩み、頭を抱えているところだ。(所要時間18分)

営業部長から皿洗いパートになった僕が現場のおばちゃんから教わったプロ意識が凄すぎる。

今、僕は社員食堂で時給935円のパートとして働いている。《営業部門の責任者》というニンジンを目の前にぶら下げられ、研修という名目で、慢性的に人手不足の地獄現場に送り込まれたのである。営業としてのプライドはないのか。生粋の社畜め。43歳がっ。そのような批判・指摘を仰る方々は口を慎んでいただきたい。的外れだ。というのも今ここの現場でしか学べない、ライブ感のあるプロ意識に触れる機会は、何物にも替え難い財産であるし、そもそも社員ではないパートタイマーの僕は社畜になりえないのだ。せいぜいパ畜。そんなパーチクの僕が任されている仕事は洗浄コーナー。コンベヤ式の食器洗浄機で1000人分の食器を洗浄し、食器消毒保管庫に収納するという極めてクリエイティブな仕事。そこを取り仕切るおばはん、通称『ミーシャ』から僕はおぞましいまでのプロ意識を叩き込まれている。ところでプロとは何だろうか?その定義はいろいろあるけれど『自分の技術や知識を駆使して己の居場所をつくる』のがプロだと僕は思う。会社員を20年やって部長までなった僕がまさか社員食堂の片隅でパートおばはんからプロ意識を叩きこまれることになるとは…人生とは摩訶不思議だ。食器洗浄の仕事は、下膳された食器から食べ残しを除去し軽く洗ってからコンベヤ式食器洗浄機のコンベヤに食器を置く係と、洗浄が終わった食器群をコンベヤの末端で受けて、翌日使いやすいよう種類ごとにカゴに入れて収納する係、大きく分けて二つに分かれており、双方に阿吽の呼吸とリズム感、そしてキモチのシンクロが求められる。食器を送る側が受ける側の状況を確認せずに許容量以上の食器を送り込んだらコンベヤの末端からウワーッと絶叫があがってホイ労災。ミーシャは30年近くこの仕事を任されているので自ずとリーダーになる。僕が配属された当初、南米おばはんの「アニータ」とシニア人材センターから派遣されてきた「沼ッチ」、そしてミーシャと僕の4人から構成された洗浄チームは、2週間弱が経過した現在、ミーシャと僕の2人しか残っていない。ミーシャの高すぎるプロ意識が周囲の者を駆逐したのである。食器を送る側と受ける側では圧倒的に送る側が優位である。主導権を握れるからだ。ミーシャはその優位なポジションを絶対に譲ろうとしない。居場所を脅かす存在は排除。アニータや沼ッチは、ミーシャが占有する楽ポジションをうかがい、極めて陰湿な方法で抹殺された。ミーシャは受ける側を顧みない。悪いことは重なるものでございましてコンベヤは故障しており最速モードから変更ができない。普通の人間ならば受ける側が収納しやすいように食器の種類ごとに送るものだがミーシャはなぜか殺意をもってバラバラの種類を送り込むのである。想像してほしい。1000食分、主菜皿、小鉢、飯椀、汁椀、カレー皿、丼、プレート、箸、スプーン、フォークがめちゃくちゃに送られてくる様を。断言しよう。ミーシャは『ぷよぷよ』対戦モードの強者だ。アニータも沼ッチもミーシャの食器連鎖攻撃に心を折られて離職へ追い込まれてしまったのだ。「ふざけんなよ。あのおばはん何とかしろよ」と年少のマネジャーに文句をいったら「あの人、以前、注意したら●●●●に駆け込んで問題になったんすよ。結果的に●●●●でも手を焼いて見捨てられたみたいですが」などと不穏なことを言う。きっつー。逃げたい、思ったが、営業責任者のポジションはどうしても諦められず、ミーシャの『ぷよぷよ』食器連鎖攻撃に僕は耐え続けた。するとミーシャは最終奥義職場ボイコットを繰り出してきた。腹痛のために仕事を休んだのである。今日、僕はたった一人、洗浄コーナーという名の戦場で戦った。下膳コーナーのシンクから回収した食器を軽く手洗いしてコンベヤに置き、それからおもむろに走って洗浄機のスイッチをオン、そのままの勢いを維持しつつコンベヤの末端で食器を受け、カゴに入れて収納、それを終えたら下膳コーナーへダッシュ、もちろんスピードを殺さないように洗浄機をオフするのを忘れない。これを3時間、途中ヘルプに来てくれた人もいたけれど、基本的に一人でぶっ通し。妻とセックスレスという都合上、一人でするには慣れている一人上手の僕でもキツくて心が折れそう、正直もうダメだ、って気分になっている。今、僕はあれだけ憎んだ彼女を待ち望んでいる。ミーシャ。明日は来てくれるだろうか、いや、来てくれなければ困る。正社員になるためには、食器の山で死なないためには、悔しいが、ミーシャに頭を下げるしかない。同僚を血祭りにあげてでも自分の居場所を守る、そんな間違ったプロ意識の前に僕らはただひれ伏すしかない。(所要時間21分)

43歳無職からの脱出が想像以上に過酷ですでに心が死にかけてる。

深夜1時、安酒を飲みながら自宅マンションの万年床の上でこの文章を書いている。この文章がアップされる平成29年3月1日午前8時、僕の43歳の肉体は、もう、ここには存在しない。何もかもがイヤになってしまった。さようなら。お別れだ。実は、内定をもらっている会社から、ゴールデンウイーク明けといわず3月からあなたの能力を貸してもらいたい、というありがたい言葉をいただいた。めでたく無職返上と相成ったわけである。ところが全然めでたくなかったのだ。一応、営業の責任者としてヘッド・ハンティングされたはずなのだが、なぜだろう、おかしいなあ、某一流企業の社員食堂でパートスタッフとして働くことになったのである。「主に下膳コーナーで大量の食べ残し、押し寄せる食器類、利用者からの無慈悲なクレーム、それらに対して貴兄の辣腕を振るっていただきたい」と電話の先の声が深刻な雰囲気で言うので、少々オツムの働きが悪い人なのだろう…と同情しつつ、どういうことなのか聞いてみる。判明したのは、人不足が如何ともしがたいレベルに達して猫の手も借りたい状況に陥っているが猫を飼っていないので僕に声を掛けたという世知辛い事実。意地悪で「猫の手でいいならそこらのノラ猫でいいではないか、ノラがいないならあなたが行けばいいではないか」と言ってやると、すでに他の現場に掛け持ちで入っており年が明けてから休みが取れていない、疲れているのに眠れない、と返された。聞かなきゃ良かった。きっつー。ユニフォームもあるし、頻繁に所定時間外労働はあるけれども、老練かつ厄介な仲間もいるので安心して働いてくださいなどと可もなく不可もないことを蚊の泣くような声で言うものだから、余計、気持ちが萎えてしまう。前職と同じ業界なので、何となく中身は想像はできたが、僕が考えていた以上に悲惨な様子が見て取れた。悲惨の中身もよくわかってしまう。「お願いします…」「期間は最短で2か月間ですから…」とお願いベースで話す一方、「断ったら内定はなかったことに…」「このチャンスを失ってもいいんですか?」と恫喝する小生意気なスタンスにますます萎えていく僕の気持ち。賃金の方は出来るかぎり出しますから…と言ってくれたのが救いだったが、僕の望む面接時に約した本採用の賃金は、辞めるはずの人が辞めないせいで今は難しいと言う。ふざけてるのだろうか。もうイヤだ。逃げよう。辞めよう。と思ったけれど、内定が消えたら離婚からの慰謝料というコンボが炸裂して経済的に追い詰められるのは目に見えている。逃げられない。とても。無職以上正社員未満の僕には逃げる場所も権利もないのだ。僕に残された選択肢は、心を殺して食器洗いマシーンになることのみ。死して屍拾うものなし。なお、提示された時給は神奈川県地域別最低賃金に5円プラスした935円。たった935円。そんな金額に束縛されてしまう自分が哀しいけれど、今はこのはした金が繋ぎとめてくれるものについて考えることにする。(所要時間15分)