Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

優しすぎる妻の優しくない現実

元貴乃花夫妻の離婚はショックだった。仕事環境の変化。たびたびの別居。年齢差。僕が直面している問題と少なからず似ているからだ。たとえば、変化についていうと、妻が別居先のご実家から帰還してから2週間、どうも様子がおかしい。別人のように優しいのだ。「今日は風が冷たいから風邪をひかないように」「枕カバーが臭う前に洗いましょう」…そういう慈しみが妻の言葉から感じられるのだ。以前なら、僕が風邪を引いたり、僕の枕カバーが臭い出したりしたら、妻から「バイキンマンにバイバイキーン!」「汚物は消毒!」と罵声を浴びせられ、ファブリーズをかけられていたので、こうした変貌を素直に受け入れるのはなかなか難しい。別居中に、彼女の人生観や言動を変えるような出来事があったのだろうか。想像妊娠。肉親の死。あるいは別の何か。だが、親族の不幸は確認できていないし、「ソーゾー妊娠してる?」と彼女に訊く勇気も僕は持ち合わせていない。そもそも僕の理解が間違っているのかもしれない。別人のように、ではなく、別人かも。一人焼肉から僕が帰ってくれば「食べすぎ注意」と気遣いの言葉をくれるし、たった12桁のマイナンバーを訊いても「わかりません」の一点張りで答えられないし、受けたはずの魔女検定の存在をすっかり忘れているようだし、僕と妻の洗濯物をドラム式洗濯機で一緒に洗っても平然としているし、真夜中に泥酔して米津玄師さんの「フラミンゴ」の物マネ、手足クネクネ、フラフラフラ~ってやっても何も言わないし…、別人としか思えないが、「近い人間が別人になっている」と疑う前に、大人なら、まず己のカプグラ症候群、ソジーの錯覚を疑って、強い意志をもって医師の診察を受けるべきだろう。だが、僕の誕生日を間違って答える妻の姿を見たとき、僕は妻が別の何かと入れ替わっていることを確信した。妻になりすましているのは宇宙人か、あるいは、見た目がそっくりな義理の妹。確かめるにはどうすればいいだろう。義理の妹には着信拒否されている。すごく無粋で荒っぽい手段になるが、僕の自信の源である股間のパオーンを開示すれば、本人かどうか判断できる気はする。いや。無理だ。パオーンは識別ツールとして無効であることを僕はすでに知っている。20年も昔に、ジョン・ウーの「フェイス・オフ」という映画が教えてくれたではないか。「フェイス・オフ」は、FBI捜査官とテロリストが顔を入れ替えるというアホ設定で、FBI捜査官の顔になったテロリストに捜査官の嫁さんが気付かない、つまり、夜の生活、いくら頑張って腰を振っても、股間のパオーンで人間は識別できない、という悲しい現実を僕に教えてくれた…。

つー感じで僕は、目の前にある現実を、妻が何かと入れ替わっているという物語へ、強引に落とし込もうとしている。

なぜか。

いいかえれば、変わってしまったこととは、何かが終わってしまったことでもある。終わってしまったことを、受け入れ、認めるのは、なかなか難しいときもあるのだ。妻は、箱職人の義父のもとで修行している。夏のある日、実家から帰ってきたとき「何か見つけたかもしれません」と妻は言っていた。そのとき、僕は、ふーんそーなんだー、よかったねー、と軽く受け流し、妻も「キミはいつもそんな感じだよね」といってごくありふれた日常の一部に閉じ込めてしまったけれど、今は、あれは流してはいけない、悟りや開眼をあらわす言葉だった気がしてならない。高校生の頃、一緒にメタリカを聴いていたアホが、東大、ハーバードを経て、ハイパーな人生を送っているのを後日知ったときに覚えた、高いステージに上がっていく人間に置いていかれる感。少々汚物扱いされているとはいえ、ほぼ同じ高さの目線で話が出来ていた存在から、どうでもいい存在にランクダウンされる感。そういう感じをごまかし、妻を同じ高さに置いておくために、僕は「妻が別人」説を持ち出し、信じようとしていたのだろう。いってみれば、これは妻の人間的成長を喜べない、僕の矮小な人格の証拠なのだ。きっつー。もう少し時間が経って、新しい世界を見つけて成長していく妻を素直に喜べたら、いい。こうして、自分なりに最近の妻との関係性を総括したつもりだが、優しくなった妻が、告知も前振りも予感めいたものもなく、ニンテンドースイッチを僕のために買ってきてくれたら、これまでのちっぽけな自尊心や拘泥や方針など放棄して、僕は心の底から妻と妻の成長を祝福できるだろう。僕はその程度の人間なのだ。そして、今朝、食卓で耳にした「キミはいつもそんな感じだよね…」という妻の口癖が、前とは違う意味を持っているように今の僕には思える。(所要時間22分)

とあるブロガーたちへの鎮魂歌

「最初は、小銭が稼げればいい、それくらいの軽い気持ちだった。だから、始めたきっかけも忘れてしまった。ある日、僕は自分の身の回りや会社での出来事をただ綴っているだけのブログに広告を貼った。思ったよりカネになった。そのことをブログやツイッターに書くと、スゴい羨ましいと言われた。嬉しかった。より目立つところに、より大きな広告を貼った。もっと大きなカネになった。会社で働くのがバカバカしくなった。ツイッターやブログで収益を発表すると、より多くの人がスゴいと褒めたたえてくれた。超嬉しかった。金額が多くなれば多くなるほど褒めてくれる人は増えた。スゴいスゴいスゴい。勉強やスポーツでもパッとしなかった青春。学校や会社での、うだつのあがらない人生。成功者たちを指を咥えて眺めているだけの時間。アイキャンフライ!そんな今までの僕に別れを告げるときが来たのだ。雑記ブログといういい加減な言葉を免罪符に、いかに広告を見せ、踏んでもらうかに注力した記事を書いた。何を書いたかは覚えていない。その頃には、主要コンテンツは記事でななく、広告へと変わっていたからだ。これもカネになった。スゴいスゴいの声は多くなるばかりで嬉しかった。金融商品や仮想通貨をブログで勧めた。一介の会社員にすぎない僕の勧める投資や金融を信じる人がいるとは想定外だったが、カネになった。「カネになる」「カネを稼いだ」は、内容がなくても、それ自体が、一部の読み手にとってはコンテンツになると気づいた。既存のブログサービスは退会した。《商売気丸出しの怪しげなコンテンツを載せてはならぬ》という規約に抵触していたから、という本音は、《自由なフィールドでブログを武器に戦ってみたい》という綺麗事で隠した。それすらもスゴい流石っすね、と褒められ、カネになった。すでに会社は辞めている。「会社を辞める」がコンテンツになると気づくのに時間は要らなかった。たいして苦しくもない、社畜でもブラックでもない環境下の会社生活であった。だが、あえて会社を仮想敵にすることで、コンテンツを単純化・訴求力あるものにした。これもカネになった。より多くの人がスゴいと褒めてくれた。ブログブログブログ!社畜社畜社畜!ブラックブラックブラック!稼いだ稼いだ稼いだ!ベイビーアイムアブログスター!ブログで稼ぐこと自体がコンテンツなので、僕が僕であるために稼ぎ続けなければならない。カルビが特上カルビになった。行きたくもないが旅に出た。飲んだことのない高い酒を飲んだ。やりたくもないパーティーを開いた。ツイート、ツイート、ツイート。リツイート、リツイート、リツイート。PV、PV、PV!!!ブログを読んでくれる人から直接カネを徴収することにした。クローズな課金制の媒体で、ブログの書き方という内容の薄い記事を書いた。これも売れた。薄いだけの内容が、初心者向けで分かりやすいという感想に謎変換され、褒められた。課金と閉鎖性は魔法だ。読む人と書いてあることが同じでもブログとは違う場所で書くと違うものに見えるのだから。同じような出自のブロガーとお互いのコンテンツを購入し褒め合うことで見た目の売上と宣伝効果を狙った。また、会社を辞めたコンテンツを、特にドラマチックでもなかった退職劇しかない、僕が一人で書き続けるのはしんどいので、有志を集い、自由な言論の場を与えるという名目で記事を書いてもらうことにした。これもカネになった。もはや会社員時代には考えられない額。もうあの頃のしょぼい自分には戻りたくない。ブログで紹介した仮想通貨や金融商品についてはご利用は自己責任という逃げ道をつくってある。読んでくれた人が損をしても僕に罪はない。だいいち、夢にリスクはつきものだろ?そう、僕は夢を売っている。ブログで稼ぐという夢を。この夢は僕だけのものではないのだ。雑記を掲げたブログでは、もうカネのことしか書いていない。それで構わない。カネのことしか書けないのだから。「会社辞めた」も「カネを稼いだ」も全部カネのためなのだから。後戻りは出来ない。今宵もブログ初心者のために、彼らに夢を見させるために、いや僕のカネのために、カネを生み出すブログの書き方を、薄く、小出しにしよう。小金持ちアッピールをツイッターでするのも忘れないようにしないと…、あっ!そろそろ年末なので、ブログ収益とPVの記事を書かなければなるまい。ブロガーと己の夢とカネのために!自由を生きているステキな僕らのために!更新が苦しいときは僕を見てほしい。ブログで人生は変えられるよ!稼いだ稼いだ稼いだ!カネカネカネ!贅沢贅沢贅沢!ベイビーアイムアブログスター!」


こんなブロガーにだけはなりたくないと思いながら、細々とブログを続けている。おかげさまで、ブロガーとしての僕は自由だ。自由に使えるカネが大きくなっても、カネに縛られて自由を失ったら社畜と変わらない、無意味だ。他人を騙さず、己の自由を守りながら、ブログで稼ごうとするなら正攻法でマトモなコンテンツを書き続けるしかないと僕は考えている。(所要時間25分)

元給食営業マンが1食当たり100円台もある特養の厳しすぎる食事を考察してみた。

ネットで給食関連のニュースを眺めていて、給食の営業をやり始めた頃、特別養護老人ホーム(特養)のコンペで「朝食160円」という条件を見て驚いたときのことを思い出した。パンと牛乳ならまだしも、この価格でご飯、汁もの、主菜、副菜、漬物を国産食材を使用して安全で美味しい手作り感のある食事提供を求めてくるのだからたまらない。あれから数年経っているが、ちょっと調べてみたら、当時と特養の食事事情はそれほど変わっていなくてまたまた驚いてしまった。なぜ、朝食160円のような厳しい条件が出てきて、継続しているのか、給食営業マンの視点で原因について考えてみた。

 サービスにかかる利用料 | 介護保険の解説 | 介護事業所・生活関連情報検索「介護サービス情報公表システム」

まず、特養の食事代は介護保険の適用外となっており、原則、自己負担となっている。月額1名41,400円(税別/以後価格はすべて税別とする)。ただし、自己負担額については所得によって軽減されており、たとえば生活保護を受けている人ならば自己負担額は月額9000円となる(41,400円との差額32,400円は補足給付で埋め合わせされる)。

  いずれにせよ特養の食事代は「1人月額41,400円」であることを頭に入れてほしい。これを30日で割って日額にすると(特養の入札では月30日で算出するケースが多い)、「日額1,380円」となる。特養は朝食、昼食、おやつ、夕食の1日4度の食事提供があるがこれを1,380円で原則まかなわなければならない。ちょっと贅沢したときのサラリーマンのランチ1回分程度の価格で。きっつー。だがちょっと待ってほしい。これは食事代の額であって食材費ではない。どういうことかと申しますと、この1,380円は食材費と委託費(加工費)が入った額。超きっつー。

1,380円を780円の食材費と600円の委託費に分けて、780円の食材費を4度の食事に分解してみる。

例)朝食180円 昼食280円 おやつ40円 夕食280円 

どうだろうか。冒頭の「朝食160円」が滅茶苦茶条件が悪いものではないとわかるはずだ。780円(食材)と600円(委託)に分けたのは実際のコンペでそういう設定をする法人が多かったという僕の経験からである。

※実例をあげてみる。神奈川と埼玉の特養の割と最近のコンペの仕様書である。先述の食材費の枠があるため、無作為に検索したがほぼ同様の内容で驚いてしまう。

金井原苑1日680円(朝180昼220おやつ60夕220)

給食業務委託の公告にあたって | 老人ホーム、ショートスティ、デイサービス、訪問介護、訪問看護、ケアプラン作成の金井原苑|川崎市麻生区片平1430|神奈川県

花水木の里1日680円(朝160円昼240円おやつ40円夕240円)

平成30年度給食調理委託業者選定に係るプロポーザル実施の公告 | 社会福祉法人 高栄会

 特養によって食材設定については若干異なる。1,380円にこだわらず高い金額を設定する法人もある(補填しているのか利用者から徴収しているのかは知らない)。誤解してほしくないのは、食材費設定イコール食事の内容が悪いではないということ。ほとんどの施設がこの厳しい枠の中でやれることをやっている。営業で試食をした際、金額をきいて驚くような食事を出しているところもあった。残念ながら酷いところもある。だが、それは現場スタッフの努力に拠る部分が大きい。前提条件として、1日700円程度の食材費で「安全で、美味しく、家庭のような食事」を求めているのが問題なのである。

そして特養は老人ホームなので、常食だけでなく刻み食、ミキサー食、ソフト食、軟菜食といった嚥下能力にあわせた形態で提供しなければならないし、そこにアレルギー対応や治療食も加われるのだ。もし、特養の食事内容や使用食材のクオリティが悪かったとしたら、施設や業者が悪いのではなく、そもそもの条件、法律で定められた食材費の価格設定がおかしいのだ。このように、特養の食事は金額面でかなり苦しいのがお分かり頂けただろうか。

ここまでは食材費にフォーカスしていたが一方の委託費を見てみよう。例として食事代1,380円から食材費780円を引いて1日600円の委託費。定員100人の施設で1ヵ月30日をかけると月額委託費が出る。600×100×30=180万円。特養は年中無休で朝昼夕食事提供となるので、調理師を3名(交替要員1名)、栄養士1名、パートを提供時間帯ごとに3名(うち1名は交替要員)を配置する工程をざっくり作る。調理師3名の給与を30万、25万×2 計80万 栄養士を25万、パートを1,000円×4時間×21日×9名=75.6万 計180万円。直接人件費の合計だけで180万。先ほど算出した月額委託費180万と直接人件費だけで並んでしまうのだ。間接人件費やその他現場経費、利益を確保できない(説明が簡単になるよう直接人件費が180万になるように設定した)。

そこで何が起こるか。まずは労務費の圧縮。社員スタッフの給与を下げ、社員枠をパートにする。それから工程の人数そのものを減らすために、たとえばセントラルキッチンで調理した完全調理品を多用するようになる(湯煎であっためるような商品)。手作り感のある食事とはほど遠くなってしまう。このように委託費からみても特養の食事は厳しいのだ。

ここまでは食事を委託するケースから考えてきたが、自営でやられている施設もある。元給食の営業マンとしていうのもなんだが、自営でしっかり運営が出来るのが、利用者のことを考えればベストだと思う。1380円から利益を抜く必要がなく、全額を食事に投下できるからだ。

ではなぜ施設は業者委託をするのか。それは大きく三つの理由があるからではないか。一つはコスト面。自営だと労務費や食材費がかさんで1380円をオーバーするようなケースがありうるが業務委託費なら一定額で収まる。リスク回避かもしれない。二つ目は労務管理。自営の場合、スタッフが辞めたときに募集・面接・採用の時間と金のコストがかかるが業務委託すれば一切かからない。三つ目は代行保証。食中毒事故等が発生しで、保健所から栄養停止・禁止措置がなされてしまう場合、業務委託にしていれば給食会社が加入している代行保証制度で、制度に加入している他の業者や施設から、ケータリングなどの手段で食事供給がなされるが、単体の施設のみを自営で運営している法人だとこうしたリスクに対応するのが難しいからだ。

また、特養の食事事情は厳しいと述べてきたが、給食会社としてはまだ受託するメリットがある。それを証明するようにコンペになれば何社かは必ず集まる。ひとつは、特養は待機待ちであるようにほぼ満員であり条件が厳しいながらも食事売上が安定していること。飲食の世界でもっとも難しい売上予想のリスクがないのだ。もうひとつは特に大手の給食会社の場合は利益を生むシステムが確立しているから。大手の給食会社は食材と物流を系列子会社に任している。

なるほど当たり前ではないかと思うなかれ、780円分の食材を子会社に発注した時点で、利益が発生しているのだ。たとえば780円食材費設定の施設で食材発注の時点で利益を160円確保しておけば(伝票上は780円の商品)、30日運営で100名の施設ならば48万の利益を生んでいる計算になる。つまり施設現場サイドで利益がゼロであっても食材と物流を含めれば48万円の利益を確保できる。1,380円×30日×100名の施設なら総売上414万円、最低でも48万円(12%)の利益が確保されるなら、現場はきっつーでも、やるだろう。

このように厳しい食事代設定と、低い食材費と労務費のなかで施設や現場に無理をさせているのが特養の食事の現実なのだ。委託給食業界はこうした現場の無理を承知で特養の仕事を受託しているように僕には思えてならない。こうした無理のツケを払うのは実際に食事を食べている利用者のお年寄りたちで、つまり近未来の我々。他人事じゃないのだ。きっつー。(所要時間43分)

「君たちはどう休むか」に絶望した。

11月4日の朝日新聞グローブの特集「君たちはどう休むか」が非常に面白かった。「技術の発達で繋がりやすくなった現代における、持続的に働くための休み方」をテーマに米、独、仏、以の例を列挙していた。特集内ではそれを戦略的休息とも呼んでいる。ボスから就業時間短縮への施策案を宿題にされているので、個人的にもタイムリーであった。

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特集で紹介されていた仕事と生活(休み)についての考え方は大きく分けて2つ。ひとつは仕事と生活を完全に分ける。もうひとつは仕事と生活を融合させる。後者(融合)は「ワーク・ライフ・インテグレーション」と呼ばれ、すでに独の有名スポーツメーカーA社で導入されている、ワークとライフを分けるのは難しいし無理っぽいからいっそのこと分けるのをやめて融合させてしまおうという考え方である。冗談か奇策のようであるが、施策はまともで、社内にジムやスポーツ施設を設置していつでもリフレッシュ出来るようにし、上司同意のうえで勤務時間の振り分け可能とする、月20パーセントは就業場所を自由とする等々、会社内で休めるような体制を築き、仕事に生活(休み)を取り込もうとしている(逆か?)。記事にはないが、おそらくA社は社員のケアがしっかりしているからうまくいっているが、あくまで仕事と生活のコントロールの責任は個人にあるので、額面通り制度にしたら、うまく自分の仕事をコントロール出来ない人にとっては仕事と生活が悪魔合体する、ブラックな無理ゲーになってしまうだろう。ちなみに特集にも「ワークライフインテグレーションは素晴らしい働き方だが私には無理っす」と語る燃え尽き症候群の談話がある。

仕事と生活を完全に分ける例として米のIT企業が紹介されている。オフィス廃止。全社員リモートワーク。結果さえ出せば就業時間は問題にならず休暇も自由!CEO曰く「休みとは仕事を何もせず、会社について考えないこと」。最高すぎる。理想郷。これをウチに導入したい。どのような愛の道を辿ればこのような環境になるのだろうか。ところが愛の道どころか地獄紀行であった。CEOは「どうしたら最も生産的な働き方ができるのか」考えた。そして気づいた。休日という概念をなくして週7日働いて、1日の中で仕事と休みのバランスを取ればいいではないか。ウソーン!日本海軍の月月火水木金金がここに大復活。「1日5時間半に仕事を抑えれば、労働は週40時間以下になるぞ!」と彼は考えた!きっつー!ずっと仕事じゃん、アホちゃいますか、そう、凡人の僕は思ってしまう。だが凡人には天才の発想は理解できないものだ。CEOは実験した。すると、実験してみないとわからないものがあるのだね、実験はわずか2週間で崩壊、結果は「働く時間は減ったのに燃え尽きてしまった」。丸1日休むのと同じようには心身は回復せず筋肉を痛め1週間休むはめになるなど凡人からみてもバカみたいな実験は散々な結果に終わったのである。凡人に見えていても天才には見えないことがあるらしい。だが人間は経験からでしか学べない。このバカバカしい失敗が理想的な環境を実現するのに必要だったのだから決して無駄ではなかった。

僕がボスから与えられている宿題のヒントがここにはある。しかし、いきなりオフィス廃止!リモートワーク!成果さえだせば就業時間廃止で休暇自由!などと提案しても、実現は難しいだろう。なので諸事情を忖度して、いろいろな実験の実施を提案するつもりでいる。先ずは忌々しいオフィスを爆破解体し、理想郷の礎にするのを提案したい。新たな秩序は破壊から生まれると信じている。

休み方について考えるのは大事だ。だが「働くために休む」ではなく「休むために働く」「休むために休む」ことが大切であって、言いかえれば「ドラえもんの『ぐうたらの日』」こそが本来の休みのあり方だろう。「戦略的休息」「生産性をあげるため、持続的に働くための休み方」という考えを出発点にしているかぎり、どれだけ休みについて考えても、僕らが本当に休むことなど絶対に出来ない、「君たちはどう休むか」は、そんな絶望的な宣告をしているような気がしてならないのだ。(所要時間15分)

出ていった妻の憤怒と怨念が凄まじい。

私事だが、壮絶な夫婦大戦の末、先の日曜から妻がご実家へ帰ってしまっている。別居というやつである。喧嘩のキッカケは知人の結婚式。スピーチを頼まれていた僕は、当日の朝、妻を相手に練習をした。普段、そのような弱気は見せないのだが、最近の体調不良、目まい、吐き気、頭痛、鼻血ブー!が、僕を弱気にさせ、人生初のスピーチ練習をさせた。結婚なんてそんなにいいものじゃない、数年経てばわかるよ、という既婚リアルに言及した僕のスピーチを聞き終えた妻は、ひとこと、「クレイジー」と評した。それから、キミはバカなんですか、と。自覚しているが僕は相当に口が悪い。妻は常日頃から一連の僕の発言に不満を持っていて、結婚式スピーチ練習がヒキガネとなり爆発!夫婦大戦が勃発してしまった。で、出て行ってしまった。そして、妻が残していったメモが怖すぎるうえミステリアスだった。実際の映像が残っている。こちらである。

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「先天性なの  後天性なの 」と妻の愛する松浦亜弥の楽曲「ね〜え?」(セクシーなの?キュートなの?)の影響が見られるポップな冒頭から、「やっぱり脳の…」という諦念の締めまで、怨念が詰まっていて、ただただ恐ろしい。画像でもうっすら透けてみえるようにB面もビッシリと僕への怨みライムでギッシリ(トラウマになりそうで読み返すことが出来ない)。こんなに短くて恐ろしいラブレター初めてだが、僕へのポップな応援歌に読めなくもない。それでもやはり僕のスピーチは間違ってなかったと確信した次第である。(所要時間50分)