Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

脱・はてなダイアラー映画百選「フルメタル・ジャケット」スタンリー・キューブリック


 「はてなダイアラー映画百選」、4月に小島アジコ先生(id:orangestar:20100412#1271069519)からまわしていただき、はは、楽勝、以前書いた好きな映画の感想を手直しして公開すればよかろう、PCのマイドキュメント内「朝岡美嶺」フォルダから「フルメタル・ジャケット」テキストファイルを引っ張り出し、修正加筆ってキーを叩き、さあアップしようという段階でルールを確認したら、「百選出することが目的ですので、全く同じ映画を複数の人が挙げることはできません。ようするに早いもの勝ちです」と人情紙風船な記載があったのであっぷあっぷし、弱い自分が百選がまわってきた事実を忘却のかなたにやってしまっていたのですが、きこりさん(id:kikori2660)から、「そろそろいかがでしょうか、もしフミコさんがやられないなら、手を挙げている方にいったんバトンを…」と丁寧なお手紙をいただいたので、僕は華麗にスルーしid:saba2004さんに譲ろうと思う。よろしくおねがいします。とはいえ、せっかく書いたフルメタル・ジャケットについての駄文は掲載しておくので興味あるかたは一読されたし。


 「フルメタル・ジャケット


スタンリー・キューブリック監督によるベトナム戦争映画。前半の新兵訓練の模様を描く前半とベトナムの戦場を描く後半の二部構成。訓練と実戦を通じて若者が殺人マシーンへと成長(?)を遂げていく姿を描いている。公開当時史上最高の戦争映画と賞賛された。>


 「ファミコンウォーズが出るぞ!」「そいつはどえらいシュミレーション!」


 僕らの世代だと、「ファミコン・ウォーズ」のCMで訓練シーンのパロディを使っていたのが有名なこの作品、とにかく前半の訓練シーンでの放送禁止用語連発の台詞が強烈。下品かつ卑猥な言葉の暴力。最新のギャングスタ・ラップなんて吹っ飛ぶ勢いである。前半は強烈な言葉の連発で思考を停止させ殺人マシーンを育成していくシーンと訓練についていけない落伍者「デブ」に対するしごき・いじめシーンが延々と続く。この訓練シーンでの卑猥かつ強烈な言葉があまりに質量ともに過剰すぎてまるでコミックのよう。この過剰さ故に観客もまるで鬼教官に怒鳴られているかのような映像体験が出来るというわけだ。


 史上最高の戦争映画という評価があるようだけれど、後半の戦場のシーンは元ミリオタの僕からみるとかなりお粗末。極端な言い方をすれば主人公ジョーカーの部隊はたった一人のべトコンの少女狙撃兵と戦うだけだ。そのたった一人の少女に翻弄されたうえ、少女の背後から忍び寄って発砲するというしょっぱい戦いぶり。「貴様!それでも軍人か!」戦闘描写は戦争映画の最高峰の一つである「プライベート・ライアン」と比較しようもないほどに細々としている。


 又、同じベトナム戦争を題材にした「プラトーン」が徹底して『ベトナム』を再現しようと努力している映画であるのに対して、ロンドン郊外で撮影された「フルメタル・ジャケット」の『ベトナム』はセット丸出しでベトナムにとても見えない。実際「フルメタル・ジャケット」はベトナム戦争という題材ではなくても成立する映画であると思う。映像の魔術師とも完全主義者とも言われるキューブリックがなぜ?と思わせる後半部ではある。


 なぜか?「フルメタル・ジャケット」は戦争映画ではないからだと思う。


 戦場を描くことを目的としてないと言い換えればどうだろう。通常の戦争映画は戦場を描くことによって戦争という極限状態を表現しようとする。従ってより本物のよりリアルな戦場を再現することに焦点を合わせる作品が多くなる。「プライベート・ライアン」や「プラトーン」「ブラックホーク・ダウン」。


 対して「フルメタル・ジャケット」は戦争ではなく若者たちの変化・変貌を描こうとする作品である。無論、その変化を描くうえでは戦争という極限の状態をリアルに再現する手法もあるだろうが、キューブリックはあえて前半後半部共を超現実的に描くことによって主題を明確にする手法を採っているのである。(周囲の極限状況を再現することによって登場人物たちの変化・変貌を描くという主題が埋没しかねない、もしくは観客に主題が伝わらないことがおうおうにしてよくあるのではないか。)


 つまり、前半の思わず笑ってしまいそうなほどの台詞の連発も後半のあまりにもベトナムにみえない戦場も主題を明確にするための仕掛けというわけだ。


 また、「フルメタル・ジャケット」が前半部と後半部にあたかも別の作品のように分かれているのはキューブリックが物語の結末を二つ見せたかったに他ならない。あまり触れられていないような気がするが前半・後半のラストは酷似している。


 前半部のラストで「デブ」は「鬼教官」を射殺し、後半のそれで「ジョーカー」は「べトコン少女」を射殺する。そして「デブ」は自らの頭も打ち抜き自殺し、「ジョーカー」はミッキー・マウスのテーマを口ずさむ。おかしくなったと思われていた「デブ」と戦場に赴いても正気を保っていた「ジョーカー」が、それぞれの「敵」、しかも丸腰の「敵」をフルメタルジャケットで射殺する。


 同じじゃん。


 結果「デブ」は戦場に赴くことを拒否して訓練の最後において自らの命を絶ち、「ジョーカー」は訓練ではなく戦場において殺人マシーンへと変貌をとげていく。キューブリックにしては洗練されていない描き方ではあるが、同じラストシーンを二度繰り返すことによって二通りの結末を描き出しているのだ。


 「フルメタル・ジャケット」には戦争に対する憎悪などのあらゆる感情も反戦などのテーマもない。淡々と戦争に関わる人間の狂気がキューブリック独自の突き放した視点で描かれるだけだ。これほどまでに戦争を客観的に描ききった映画は他にない。リアルな戦場を描くことなく戦争に赴く人間の狂気を描いたキューブリックはやはり偉大だと思う。これに比べれば、昨夜観た伊藤英明主演海難救助映画第三弾なんて、そそり立つ糞なんだぜベイビー。


何度観てもラストシーンの「ミッキーマウス」の行進は無機的で不気味。僕はなぜか年末に必ず観ることにしている。


 それでは、id:saba2004さんお願いします。