Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

日本人の美徳を利用するモノ

 あなたは「風が吹くとき」という古いアニメ映画をご存知だろうか。僕が福島原発関連のニュースを見るたび聞くたびに想い出す「風が吹くとき」は核戦争を題材にした作品で、放射能に対する知識のない一組の老夫婦が次第に蝕まれて死んでいく様子が声高に叫ぶわけでもなく淡々としたタッチで描かれていた。当時、僕は中学生で、公民館にパイプ椅子を並べただけの即席映画館で「何もわからないで死んでしまうのはイヤだ」とワリと真剣に思う一方、これは映画、つくりものの世界のはなし、ましてやこの日本でホウシャノウなんてありえない、と他人事のようなとらえかたをしていた。実際、時が経ち、携帯電話やインターネットが普及していき、情報が氾濫する世の中で、あの映画の老夫婦のように何もわからないまま、正確な情報を得られないような事態も、「風が吹くとき」のなか、作り話のなかだけのものだと自然に思うようになっていた。

 でも現実になった。福島原発が震災直後にメルトダウンを起こしていたことが二ヶ月経ってから発表された。メルトダウンが本当に二ヶ月経った今、判明したものなのかどうかはわからない。僕もあなたも、大多数の人たちと同じように原子力や放射能に詳しくない。あの粗末な核シェルターで放射能が防げると信じた老夫婦と同じだ。「メルトダウンには至っていない」という会見を何度も見聞きした。もちろん僕もあなたも情報がすべてでないことも正確でないことも薄々感じてはいた。メルトダウンのような大事に至っているのではないかという疑いながらも、あの「風が吹くとき」を観たときのように、どこかでまさかそんなことが起こるはずがない、起こっていれば然るべき人が情報を世の中に流すだろうと信じていた。でも起こってしまった。いや、起こっていた。


 僕もあなたも少々お行儀が良すぎるのかもしれない。


 大地震に遭っても、原発から放射能が漏れても、耐え忍び、節度ある行動をとるのは日本人の美徳だ。もし他の国ならば国や電力会社に対しておびただしい数の訴訟が起こっていたのではないだろうか。いろいろな考えがあるだろうが、僕はそんな日本人の美徳を誇りに思う。あなたもそうではないだろうか。困難に直面してなお、皆も我慢している…周りもそうだから…と他者をおもい、耐える、そんな日本人の美徳を。


 ただ、福島原発メルトダウンとその発表までの経緯、関係者について、日本人はもっとはっきり怒りを示さなければいけないと思う。大地震に遭っても節度ある行動をする日本人の美徳。僕には、問題の中心にいる人間たちに「おとなしい」日本人の美徳が、うまく利用されてしまっているようにみえる。「このタイミングで発表すれば起こってしまったことには寛容で受容する日本人は仕方ないと思ってくれるんじゃないか」と都合のいいように。原発の問題はおそらくこの先数年、もしかすると数十年もの間、僕とあなたにとっての敵になる。時折、怒りをあらわさなければ、僕らのもつ、日本人の素晴らしい美徳は利用され続けるかもしれない。それはとても悲しいことだ。


 メルトダウン後に改訂された工程が発表された。新たな事実が出てきても、実現までの達成目標は変えないそうだ。果たしてそうなのだろうか。一連の経緯を見てしまうと、実現目標時期は「変更しない」ではなく「変更する必要がなかった」のだと疑ってしまう。つまり最初の工程が出された時点でメルトダウンを知っていたのではないか、と思ってしまう。人を疑うこと。それもまたとても悲しいことだ。


 僕もあなたも日本人の美徳を利用しているものに対して怒らなければいけない。あの映画で老夫婦を襲った死の風が、僕とあなたの住む街の空を吹きぬけないように。