Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

恋と革命

 金も外見も才能も人脈もないアルバイトの加藤君44才から、20才年下の中国人美女と結婚すると彼女の写真を見せつけられつつ聞かされたとき、僕が心の中で激しく点滅する危険信号を意図的に見逃したのは、加藤君の凄まじい浮かれっぷりを前にして水を差すのも悪い気がしたからではなく、純粋な彼への嫉妬からであった。


 すなわち、金も外見も才能も人脈も愛車もないアルバイトの加藤君が若く美しいチャイナガールとお付き合いできるというのならば、サラリーマンとして日々奮闘している僕は女子十二楽坊全員とお突き合いできるのが道理ではないか。ところが現実は加藤君だけ。悔しい!という人間の醜い一面のあらわれであった。


 あれから半年。加藤君から飲みに行こうと誘われた。気乗りしなかっので黙殺していたが「割り勘でいい」「折り入って話したいことがある」「二時間だけだから」と執拗に誘ってくる新婚ホヤホヤで精力みなぎる加藤君に根負けし、結局、場末の小汚い中華料理屋で飲むことになった。


 厨房の大将の首がかくかく律動しているのが気になって落ち着かない中華料理屋。中ジョッキ2つつって「乾杯!」「乾杯!」。「どう新婚生活は?」僕が訊ねるとなんということでしょう、加藤君の目に光るものが。目をしばしばさせ、天井を見上げるふりをするなどして必死にこらえる加藤君。

 44才の涙との格闘に思わず僕はつられそうになり、感情が顔に出ないよう換気扇を眺めたり、コップの水でテーブルにコックさんを描いたりなどした。僕は女房から「若い男女グループが乱痴気騒ぎをしたうえ無法運転で崖から転落!」とか「アイドルと結婚したプロスポーツ選手が契約解除!」とかそういう類のニュースに接しているときにすごくイヤな笑顔を浮かべているから気をつけてねと注意されている。


 加藤君は何とか堪えると「離婚す、ることにな、りましたと思、います」と中国的なイントネーションで僕に告げた。それから彼は、彼ら夫婦が国家的政略的な陰謀に巻き込まれてしまったと言った。不遇な人が陰謀論を好むのは往々にしてあるものだ。そしてその陰謀論は聞く価値ゼロ。


 「飲むしかないね加藤君。中ジョッキ二つ。大至急」「そうですね」「そもそも、君のような男が、こうして敢えて厳しい言い方をするのは、君のためだけど、比較的金も未来もナッシングな君がKARAみたいな綺麗な女性と結婚出来たことがそもそもおかしいと思うよ」と意見すると彼は中国的なイントネーションで「純粋、な愛、情に、は金なん、て必要ないん、ですよ。彼、女は金、を求め、てなかった」と反発した。「君に金を求める人なんていないよ」「だ、から純、粋だった、んです。僕、らは」またも加藤君は中国的なイントネーションで答えた。洗脳されてるのだろうか。


 加藤君は中国的なイントネーションで続けた。口の中のシナチクがジューシーで旨かった。「フ、ミコさんは、中国、人知らない。せい、ぜい、韓国、エステしか知らな、いじゃ、ないですか」「そういうのよくないね、加藤君。中ジョッキ追加!」 「いいんですよ」日本人に戻った彼は続けた。「これからも今までのように上を向いて歩いていこうと思います」上を向いて歩いているから階段を踏み外し続けたのではないか。足元を見てほしいものである。僕はともすると口をついて飛び出しそうになる彼を誹謗中傷する言葉を吐き出さないように中ジョッキを傾け、生ビールを飲み続けた。


 「一体全体何があったんだい?」「俺は心を盗まれました。あの国に」「あの女にだろ」「ちがいます…」泥酔した加藤君が次に紡いだ言葉に僕は言葉を失った。「俺の心はやられてしまいましたけど。あの島だけは。あの島だけは守る。大和撫子の誇りをかけて」関係ないよ尖閣諸島。彼ら夫婦の問題だ。個人の不遇の原因を、国家とか政府とか己の手が届かない存在へ転嫁していければ生きることはどれだけ楽だろう。彼の言う「上を見る」とはそういうことなのだろう。44歳。中二病を患うにはあまりにも遅すぎた。


  まったく共感していないのに「一緒に戦いましょう!」「俺たちの尖閣!」と盛り上がる泥酔加藤君。かなわない。中ジョッキ追加! 太宰治は著作で人間は恋と革命のために生まれるとかなんとか甘ったるいことを書いていたことを僕は思い出していた。


 加藤君は酔いつぶれ、僕も酔いがまわってしまい、中華料理屋のテーブルには加藤君が残した塩ラーメンとなぜ彼の結婚が破綻したのかという謎だけが残った。「加藤君いったい何が?」「彼、女は悪、くな、いです」泥酔して意識朦朧となっても元伴侶についての言葉だけは中国的なイントネーション。僕は過ちに気づく。これは洗脳ではない。愛だ。愛は痛みをともなう。そして時に愛は関係ない第三者からはただただ痛々しい。つまらん。酒が不味かった。


 中ジョッキ追加!中ジョッキ追加!とやってるうちに終電の時間を超過しているお茶目な中年二人組。加藤君の部屋に泊めてもらおうと彼を起こす。彼は泊めるのは無理だと諦念の表情でいう。ふざけるな親身に話を聞いてやったのにと叱りつけると「無理です。俺の部屋には…彼女と、彼女の家族と言い張る中国人が8人いて…」。すべてを悟った。悲しい愛の終わりだった。もしかすると加藤君は本当に国家的な陰謀の被害者かもしれない。当面の宿代として彼に貸した三万円はドブに捨てたようなものだと覚悟している。


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