オタキングにせよ、明治天皇の玄孫にせよ、青年期に異性からモテなかったと思われる人がモテるようになったときのヤバさというのは、遊び人のヤバさよりも厄介なものがある。リミッターが外れたかのような行動。外れたというよりは、モテなかったがゆえに普通の人が身につけていてしかるべきリミッターを知らないのかもしれない。現在、オタキングこと岡田斗司夫さんが大炎上中だ。愛人9人、80人同時交際。先端が乾く暇もないような、火野正平が霞んでしまう無双。羨ましいかぎり。
ピュアなインターネットは裏切りを許さない。こちら側にいるはず、ダメなはずの人間が目立つと「調子に乗りやがって」「勘違い」といって攻撃だ。近親憎悪。それはわからなくもないけれども、ただ、一億総正義のように皆が皆、一様に叩く様子が僕には少し異様に思える。僕も、女の子が、好きだ。なので岡田斗司夫さんがどれだけ女の子が好きかは理解出来るし、僕の射程距離内にやってこなければ無関係だし、嫉妬もしない。いいんじゃね?って感じ。
それどころか、今、僕は今回の愛人騒動を通じて岡田斗司夫さんに感謝している。僕がかつて付き合っていた女性となぜ別れたのか、その理由を身を持って教えてくれたからだ。その女性との別れは僕の人生に少なからず影を落としていた。体臭?性癖?知性の無さ?理由がわからなかったからだ。岡田斗司夫さんが教えてくれた。愛人リストだ。僕は知らなかったが、どうやら愛人リストというものを作成するのは世間的に相当キモいらしい。今回の騒動で岡田斗司夫さんは身を持ってそれを教えてくれた。感謝しかない。
僕は付き合っていた女性と、オープンな付き合いをしたいと望み、彼女に当時作っていた愛人リスト(僕はびんびんリストと呼んでいた)について説明をした。その翌日、電話一本で縁を切られ、ミクシィもアクセス拒否され、現在に至る。そっか、愛人リストが悪かったのか。しかし、愛人リスト作成という同じような性癖を持ちながらも、岡田斗司夫さんは愛人ズで僕はインポテンツ。この格差の理由は明白だ。覚悟の差だ。
岡田斗司夫さんの愛人リストは、氏の著作にあるスマートノートのノウハウを取り入れ、きっちりと行動採点がなされていて、それによって愛人の格付けがなされている。ビジネスライクに、女性を、フィギュアのレアか否かを判定するかのように扱う。女性を格付けして扱う。そこにあるのは割り切りと徹底した覚悟だ。割り切りがないと大量交際は出来ない。尊敬に値する。
それに対し、僕のリストはできるだけ定量的な記述を避け、具体的にいえば、あわよくば再会エッチが出来ますようにという祈りを込めた、全員に対して好き好き大好きと言ってるような中途半端なものであった。対象に対する厳しさと覚悟に欠けていた。わかりやすくいえば、岡田斗司夫さんのような冷たさが僕にはない。
もっとも、覚悟が持てないというのは僕が自分自身にリミッターをかけているとも言え、青年期にデブでもキモでもオタでもなかった僕は知らず知らずのうちに普通人としてのリミッターを備えてしまっていたのだ。あゝ、僕がデブでキモでオタだったなら!(今頃酒池肉林だったのに)
今、岡田斗司夫さんは愛人騒動で大炎上中で、ついには体調を崩したことにして入院してしまった。心配だー。僕は彼に感謝している。その恩を返すのは今しかない。逆襲の切り札は、岡田斗司夫さんが啓蒙していたレコーディングダイエットにある。
食生活や行動を記録していくダイエット手法で減量に成功し当代切ってのモテ男になったと思われているが、僕はそうは思わない。逆だ。セックスというのはマラソンに匹敵するとも言われるほどカロリーを消費する運動。愛人騒動の真実は藪の中だ。ダイエットに成功したのは数多の性交のおかげと開き直るのもありなんじゃないか。
岡田斗司夫さんには性行為を含めたレコーディングダイエット真打を著して欲しい。今のままではオタキングというカリスマは死んでしまう。死を回避するためには、真のレコーディングダイエット、オタキング版カーマ・スートラを世に出して、王の矜持を示すしかない。そのとき民はふたたび王の前にひれ伏すことだろう。頑張れ、オタキング。