Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

すべての言葉はクソリプ。または「アンチが湧いた」という自己防衛テクニックについて。

ツイッターなんてもはや面白くも何ともないけれど、「アンチが湧いた」という呟きを見かけたときだけは、今でもちょっと面白い。自尊心、虚栄、弱さ、それらのミックスを見せつけられて、こちらが恥ずかしくなってしまうからだ。「アンチが湧いた」とは「ワタシは人気者。この絶大な人気にともない、アンチというマイナスの副産物が発生するのはしょうがないよね」などとアンチを嘆くポーズを決めつつの、人気アッピールである。

 「人気者にはその人気相応のアンチがあらわれる」

なるほど、然り、と頷いてしまいそうだけれど、はたしてそうだろうか。僕のように自己評価がきわめて低い人間には特に顕著だが、自分に否定的な意見が大量に発生したときに「ワタシは嫌われているのではないか。もうダメだ…」という希死念慮にとららわれてしまう。否定的な意見は、肯定的な意見よりも言葉が強いものになりがちであるし、ヤクザがそうであるように、まともなトークよりもオラ!ワレ!ボケ!ナス!デべソ!といった罵声の方がどうしても目立ってしまう。

僕は食堂のプロデュース的な仕事もしていて、意見箱とアンケート用紙を設置して、後日確認してみると、投じられた意見は否定的な内容のものが多い。圧倒的に。その一方で、リサーチ会社の調査結果や、来客数の増加、リピート率は高評価を示している。つまり否定的な意見の方が言いやすく、美点を具体的にほめるのは難しいものであるみたいだ。SNSでも「いいね!」「ファボ」と肯定・賛同のスタンスのみを示すシステムが多いのは、美点を具体的に示すことが難しいからではないか。人間は汚いもので、褒めるよりも貶すほうが、ハードルは低いらしい。

 そういう、褒めの弱さと貶しの強さがわかっていても、否定的な意見が大量にわいてくると、「嘘、もしかしてワタシ嫌われている…?きっつー」という気持ちになるのが、むしろ、素直な人間の気持ちの動きなのではないか。「アンチが湧いてきましたね…」にはならない。ましてや、SNSで「いいね」数の割に否定的なレスが多かったり、アップした動画に高評価よりも低評価が多くついたりすれば、単純に嫌われているのではないか、ととらえるのが自然だろう。厳しい現実というやつである。きっつー。

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そういう認めたくない現実から心身を守るために否定的な反応が多い状況を「アンチは人気の証拠」と脳内で変換するのは有効な防衛手段だと思う。人気ゆえにアンチが湧くのだと都合よく変換するのである。「僕は人気者なんだ!だからアンチが湧いてくるのだ!」と。それは対処としては完全に正しい。ただ、否定的な意見をアンチにするのはまだしも、自分と異なる意見をアンチ扱いしていると、裸の王様というかカルト化しかねないので注意してもらいたい。

そして自分以外の人間から「人気者はアンチが湧いて大変ですねえ」「アンチなんて気にしなければいいんすよ」とお世辞で言われるのはともかく、自ら「アンチが湧いた」と騒いでいる姿は、認めたくない現実から目を逸らしてる感が強すぎて馬鹿っぽく見えてしまうからこれまた注意していただいた方がよろしいかと。まあ、そんな奇特な人は少ないと思うけれどね。

話は少し変わるが、僕はツイッターを10年以上使っているけれど、自分からブロックをしたことがない。例外は1件だけだ。その方はプライベートな事由でおかしくなられて、無関係な僕に意味不明の言葉を投げかけてきており、僕自身は「なんでこんなこと言うのだろう。おもろー!」と特に反応することなくスルーしていたのだが、その惨状を見かねた知人からのブロックをしてあげてくださいと忠告に応じてブロックしたのである。 もちろんブロックをしない、というのは僕のスタンスであって、各々ムカついたらブロックしていけばいい。ただ、最近は、どこの誰だかわからない人物の発言を気にしすぎではないかと思うときも多い。そもそも他人なのだ。他人が遠くで、悪口や自分にかかわるデマを言っていても、無視するか、粛々と運営に通報したり、法的な措置を取るなどすればいいだけで、いちいち当人に反応しているのは時間の無駄ではないかと僕は思うのだ。

極端な言い方をすれば、すべての言葉はクソリプなのだ。レスの内容がクソならばクソリプなのは当たり前だが、まともなレスであっても、求められていなければクソリプといえばクソリプ。自分が求めている言葉が、求めたとおりに、返ってくることはないのだ。クソリプはクソリプでそれ以上でもそれ以下でもない。対応するだけ無駄なのだ。僕もツイッターでときどきワケのわからない絡み方をされることがある。たとえば、数年前、ヨンダだかトンダだか(忘れた)というアカウントの人に「妻に逃げられ、ブログも読まれなくなってザマあ(w)」みたいなことを言われた。そのとき、なぜ、会ったことも話したこともない人がこのような発言をインターネット上でするのだろう?と不思議でならなかった。現実は、妻に逃げられてもいないし、ブログは当時の数倍も読まれているのに。

僕はこう考えることにした。この方は、頭も見た目もあまりよろしくなくて、仕事もいまいちなうえ住宅ローンの審査に堕ちてしまった怨みを僕にぶつけている可哀想な人なのだ、と。世の中へのヘイトを解消する度胸も力もないからツイッターにぶつけているのだ、と。極端な見方だが、それがザ・クソリプの本質だと僕は考えている。そして、僕は、こういう人に時間を消費するのはもったいないので、心の中のどうでもいいポジションに置くようにしている。もっとも無駄なのは、どうでもいいものごとに対応している時間と手間であって、僕から言わせればツイッターでブロックする手間ですら勿体ない。僕の時間は僕だけの時間であって、どうでもいいポジション人間のために浪費する時間はコンマ1秒もないのだ。まあ、長々と書きましたが僕が言いたいのは、「アンチが湧いてきた」という発言は生温かくスルーし、すべての言葉はクソリプという諦念をもつだけでインターネットは少しだけ楽しく快適になるということだけです。(所要時間28分)