Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

もう一度、昔のカノジョがつくった料理を食べてみたい。

奥様がつくった生姜焼きは美味しかった。二人だけのダイニング。スヌーピーの丸皿に残った豚肉の脂が虹色に揺れて光っている。いつものように「ごちそうさま」を言ったとき、稲妻に打たれたように、僕は、10年前に食べた生姜焼きを思い出した。当時、付き合いのあった女性がつくってくれた生姜焼きだ。その思い出は僕の心に特濃で刻まれているけれど、その生姜焼きの味は薄味だった。「おばあちゃんのために薄い味付けにしているの」と彼女は笑った。

彼女は病身のおばあちゃん(すでに故人だった)の体を気づかって、味付けを薄くしていた。タレはしょうが多めで、口に残らないさっぱり風。豚肉は、軽く焼いて脂を出したあと、さらにお湯を通して脂を流していた。「薄味でしょ。クセが抜けないの。でも体にはいいはずよ」と彼女は言った。最近、「優しい味」という言葉が安売り大バーゲンされているが、本来、優しい味とはあの生姜焼きのような作り手の優しさの入った味をあらわすものだろう。「おばあちゃん、とても嬉しかったと思うよ」と僕が言ったときの、指で目をこする仕草をした彼女の姿を、今でも僕は、まぶたのウラにはっきりとフルカラーで映し出すことが出来る。

奥様はジャンクな料理と味付けが大好きである。唐揚げ、ハンバーガー、豚骨ラーメンの虜。糖と脂質の守護者。茶色の支配者。奥様のつくる料理はジャンク風のとてもはっきりした味付けになるときがある。きっと前世はアメリカ人だったのだろう。胸やけをおぼえることもあるが、とても美味しい。美味しいものを美味しく食べる教の熱狂的信者である奥様がつくる料理は、ひたすらに情熱的で、血液や血管をドロドロにするのを厭わない脂質と糖質と塩分大正義クッキング。最高だ。奥様のつくるジャンクな生姜焼きと、10年前の彼女がつくってくれた優しい生姜焼き。それぞれに良いところがあって、順位をつけることは出来ない。そこにあるのは違いであって差ではない。決して。

私事になるが、長年にわたる不摂生によって、僕の血圧はかなり高くなっている。2020年2月24日は上160下は105を計測。医者からは「適度な運動!それと食事に気を使いなさい」と言われている。僕が夕食当番のときは、極力油を使わず、味付けも薄くしている。奥様にも「少し料理の味付けを薄くしてほしい」とお願いして、「うん。わかった」と快諾されたが、味が変わったように思えない。悪いのは僕だ。きっと、長年の不摂生で舌が馬鹿になっているのだろう。奥様は三大成人病待ったなしの僕を気づかって「万が一のときは生命保険があるよね。成人病でもお金出るよね」と明るく振舞ってくれている。本当に感謝しかない。

それでも、奥様を裏切っている後ろめたさを覚えながら、僕は、脂の浮いた丸皿の前で、十年前の彼女がつくってくれた、あの優しい生姜焼きを思い出してしまう。もう二度と戻れない日々とともに思い出してしまう。今の生活に不満がないわけではないけれども、10年前の優しい生姜焼きから、ずいぶんと遠い場所へ来てしまったと愕然とする。なんだか、信じられない。10年前、僕に優しい生姜焼きを食べさせてくれた彼女は今、僕の奥様になっている。本当にいろいろと信じられないよ。(所要時間18分)