Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

夫婦関係をどう終わらせるのがベターなのか考えました。

11月22日、いい夫婦の日から奥様との関係をどう終わらせるか真剣に考えている。きっかけになったのは仕事中にかかってきた彼女からの一本の電話であった。電話の向こうの彼女は涙声。「チュンちゃんが怪我で死んでしまった」という内容。チュンちゃんという名の知り合いはいない。我が家にはペットもいない。落ち着かせて話を聞くと、実家の庭に怪我でなくなったスズメの亡骸があるどうしよう、というものであった。ここで情のない言葉を吐くと恐ろしい災厄に遭うので、彼女の立場になって、チュンちゃんはさーウチのねー子ではないからねー一般的には燃えるゴミに出すねーそれがイヤなら役所に来てもらって役所から燃えるゴミに出してもらうのがいいんじゃないかなーと思いつく最大限の礼節を尽くして助言した。それが彼女の感情を刺激した。彼女はわーわー声をあげて泣きまくった。泣きまくったあとで彼女は僕に対して「小さな命の墓標ひとつ立てられないから、キミは立たなくなったのではないか」と言った。言ってはならぬことを言いました。僕にとってインポータントなインポーテンツ問題を出してきました。なぜ、縁もゆかりもない他鳥のチュンちゃんのために、そこまで言われなくてはならないのか。納得できない気持ちはあったけれども、事態収束のために僕は仕事をはやめに切り上げ、実家の庭に穴を掘りチュンちゃんを丁寧に葬った。落ちていた石に油性マジックで「チュンちゃん ここに眠る」と書いて墓標にして。

面識のない野鳥の死にここまで取り乱すのだ。もし、僕が死んだら彼女はどれだけ取り乱すだろう。自暴自棄になったりしないだろうか。僕がいなくなってもしっかりひとりで生きていけるだろうか。後追いなんでバカなことをしないだろうか。せっかく死んで自由になれたのに追いかけてこられたらたまったもんではない。そう遠くない話だ。僕は47才なので、平均的な寿命から逆算すれば、残り30年。ストレスフルな人生を送ってきたので、それよりも短いだろう。下手をすれば10年くらいで斃れるかもしれない。僕が死んだとき、残された彼女はどうなるのだろう。心配ではあるが、生きているうちに出来ることをやっておくしかない。お金、不動産、遺せるものを遺してていく。実際的にはそれでいいが、感情的にはどうか。面識のない野鳥の死に取り乱す彼女が、僕という存在を失ったときの悲しみと喪失感と涙の量は想像を絶するものになるだろう。そういえば、何年か前にペットを飼おうとしたときがある。でも、お別れするのが悲しいから、という理由で取りやめてしまった。悲しみの原因を作ることはないよね、と彼女は言ったのだ。実際的な面だけではなく、気持ちや感情のケアを生きているうちにやっておこう。そう思ってチュンちゃんの埋葬のあとで、僕は彼女に「僕が死んだときのことを想像したことあるかい?」と質問した。チュンちゃんへの涙で濡れた目で彼女は「ある」と答えた。「それだけ?」と僕が質問すると、「ソウダネーカナシカッタ」と感想を述べた。棒読みだった。オーケー、人間は感情が高まりすぎると言葉から感情が排除されることがあるからね。

「チュンちゃんの死で号泣したキミだ。僕にもしものことがあったら、耐えられないのではないか。大丈夫か」僕は尋ねた。「全然、大丈夫だよ」と彼女はいった。僕を安心させるためではなく、ガチでなんでもないとでもいうように。彼女にいわせれば、チュンちゃんの死は突発的に自分の生活にあらわれたものでショックだったが、僕の死の場合は、病気であればそれなりにそこそこ心の準備ができるし、たとえ突発的な事故であっても生命保険やエンディングノートで準備ができているから取り乱すことはない、たぶん涙も流さない、とのこと。そういえば生命保険加入させられたわー、エンディングノート書かされたわー、準備万端だわー。きっつー。「だからね」と彼女は切り出して「キミの旅立ちは想定内なので私は取り乱さないよー。安心して行ってね。お逝きなさい」と言い切った。僕に出来ることは「安心したよー。心置きなくいけるよー」と笑顔で言うことしかなかった。どう終わらせるかを考える以前に、すでに終わりまで計画されていたのである。僕はこの状況を「愛は死よりも強く、死の恐怖よりも強い」(ツルゲーノフ)の現代版だと考えるようにしている。(所要時間20分)

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