Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

非正規から正社員へステップアップする知人の覚悟が悲壮すぎて絶句した。

地元のスナックで前の会社で同僚だった男と再会した。彼は、ちっぽけな自尊心ゆえだろうか、派遣なのか期間工なのか、詳しいことを語ろうとしないので詳しくは知らないが、退職後は、いわゆる非正規雇用といわれる立場で働いていた。所属部署が違ったので彼の働きぶりや能力は知らない。僕が彼について知っているのは「真面目で言われたことだけはしっかりやるが愚痴っぽくて陰気」というビミョーな非公式評価くらいだ。

その彼が、この春から正社員になるという。前の会社を辞めて、6年に及ぶ時給生活を経て、ようやく訪れた50才の春。「よかったですねー」といいながら、僕は彼を正社員として採用する会社があることに感動していた。実感が伴わず、ともすると幽霊みたいに思えたアベノミクスの効果を、はじめて目の当たりにした気分だった。僕も昨夏まで8か月続いた無職期間で、再就職のつらさをこれでもかと世間から思い知らされた身分だ。40超の平凡な男がそれなりの待遇で再雇用される厳しさはそれなりに知っているという自負がある。だから目の前にいる、あのあのあの、つって、自信なさげでまともに目を合わせられないこの男を正社員として雇用するほど余裕のある企業の実在を信じることが出来なかったのだ。「人違いあるいは何かの手違いでは?」失礼ながらそう思わざるをえなかった。

「年に一度の苦しみから解放される…」「会社の方から契約更新の際に…」「やっと有期雇用から逃げられる…」軽く乾杯をして話を聞いているうちに僕の疑念は現実のものになっていった。もろに無期転換ルールの適用例だった。労働契約法の改正について〜有期労働契約の新しいルールができました〜 |厚生労働省 「本当に正社員なのか」僕は彼に尋ねた。確実に、待遇は今よりも良くなるのか?会社からは正社員という言葉を引き出せているのか?と。彼は胸を張って言った。僕はこのときほど自信に満ち溢れた中年男を見たことがない。そしてこのとき覚えた絶望の深さも滅多にお目にかかれないレベルのものだった。「会社は私を評価してくれていますが、厳しい状況なので給料は現状維持と言われました」。齢50才の男が時給1000円で満足する世界。ここは地獄か。それ評価されていないよと核心を突くと彼は大きな声で「でも契約期間は無期なんです!正社員です!常勤さんと一緒なんですよ」と言った。彼の職場では正社員を常勤さんと呼ぶらしい。常勤さんとそれ以外。常に勤めているのは一緒のはずだ。僕は両者の間にそびえたつ高い壁の存在を感じた。

僕は今まで何で辞めなかったの?と訊いた。彼によれば「法的に有期雇用契約は途中で解除できないと会社から説明されていた」らしい。確かに。労働契約法ではこう定められている。

第十七条  使用者は、期間の定めのある労働契約について、やむを得ない事由がある場合でなければ、その契約期間が満了するまでの間において、労働者を解雇することができない。

 つまり「やむを得ない場合」があれば《使用者から》中途解約が可能とされている。で「やむを得ない場合」に中途解約できる根拠が民法の条文にある。

第六百二十八条  当事者が雇用の期間を定めた場合であっても、やむを得ない事由があるときは、各当事者は、直ちに契約の解除をすることができる。この場合において、その事由が当事者の一方の過失によって生じたものであるときは、相手方に対して損害賠償の責任を負う。

 この条文では労働契約法「各当事者は」されており、「やむを得ない場合は中途解約可能」が使用者と労働者双方に適用されることがわかる。つまり、就業規則等で定められていない場合、労働者からも「やむを得ない事由」がない限りは、有期労働契約と中途解約することはできないのが原則になっている。らしい。これのことであろう。彼は、本当かどうかわからないが、今まで転職するチャンスがあったけれど中途解約が出来ずにズルズル来てしまったと言う。そして契約更新のタイミングには転職チャンスはなく、止むを得ず更新…という感じだったのだろうか。僕からいわせれば、もう少しファイトすれば何とかなったのではないかと思うのだが、悲しいかな、彼はそういう人間ではなかったのだ。

モヤモヤする僕に彼は言った。「そういうわけで私は晴れて春から正社員なんですよ」。時給1000円のどこが正社員なのだろうか。僕の疑問を察した彼は諭すようにこう言った。「あなたは正社員として働いています。確かに私より給料や肩書は上なのかもしれない。だが、あなたより給料の低い人が正社員ではないわけではないですよね。それは待遇と立場の違いであって、正社員かどうかではない。それを前提に、あなたに聞きます。正社員て何ですか?」僕は返答に窮してしまった。正社員、正規雇用と言いながら、いざ、明確な定義を持っていなかった。「強いて言えば契約期間がないのが正社員かな…」僕は誘導尋問に導かれるように答えじゃない答えを口にしていた。「ですよね」彼はドヤ顔で首を縦に振って続けた。「だから私は正社員なんですよ」。

なんだか気の毒で、哀れすぎて、我慢出来ずに「悪い条件で塩漬けされているだけだよ」と僕は言ってしまう。その、僕の心ない言葉に対する彼の答えが悲壮すぎて僕は思わず絶句してしまった。「全部わかっているんですよ。本当は正社員じゃないって。都合よく使われているだけだって。でも、契約期間が無期になったことを正社員になれたと頭の中で変換すれば、生きていける。どんな形であれ、世の中から必要とされていることには変わらないのですから」。この覚悟の言葉を受けて3日経ったけれども、僕はまだ返すべき言葉を見つけられないでいる。(所要時間31分)

物忘れがひどくてきっと明日もトイレ流すのを忘れてしまう。

最近、物忘れが激しい。公衆トイレで社会の窓を閉め忘れ、そこからヤバいものがハロニチワしてたり、外出の際に鍵をかけたかどうか不安になり戻って確認することもしばしばだ。若い頃から記憶力には自信があるし、それは今でも変わらないけれど、記憶の引き出しへのアクセスに支障が出ているみたいだ。

物忘れの基礎知識|ワスノン|小林製薬

このサイトによれば「家族に物忘れがひどい方がいる」と物忘れリスクが高いらしい。ばっちり該当。70を越えている母の物忘れが酷すぎて笑えないレベルだからだ。(以前ここに書いたかもしれないが)母は友人とシニア向けの洋裁事業をやっていて、僕はその運転資金を援助しているのだが、先日も金を渡した翌日に「真顔で貰ってない」と言ってきたりした。驚きよりも寂しさが大きかった。母上、衰えられましたな…。そのとき僕は自分の物忘れのせいにしてやり過ごした。「やべー最近なんか忘れちゃんだよね」。甘いかもしれない。ただ僕は年老いた母が、残りの人生を楽しく過ごしてもらいたいだけなのだ。昨日、用があったので実家に立ち寄った。呼び鈴を鳴らしても反応がなかったので鍵をあけて入ってみると母のスリッパが玄関に並べられていた。外出していた。前日の夜に伝えておいたはずだが、僕の来訪を忘れてしまったらしい。母上。老いられたな…。父が死んで生活のために朝から晩まで葬儀屋で働く、たくましいはずの母の背中が思いのほか細かったことに気づいてしまったあの夕食どき。少しニンジンが硬かったハウスのシチュー。あれは10年前かそれとも20年前だったか、思い出せないが、そのとき胸に去来した何ともいえない寂しさとやりきれなさを思い出してしまう。仏壇に線香をあげて、火が消えるまでの短い時間、台所のシンクにあった食器を洗い、風呂場と洗面所の掃除を済ませた。それから僕は頼まれていたものをダイニングテーブルの上にあるビクター犬の像の下に隠した。鍵をかけて実家を出た。庭を見るとタローが使っていた犬小屋の前を野良猫が横切っているところだった。夜になって母から電話があった。「ありがとうね。一人で暮らしてるとこれだけでも嬉しいよ」意味がわからない。僕はお金を置いてきたのだ。例の仕事で使う金だ。確かに多くはないが、それを「これだけ」とは…。著しく礼を失するのではないか。親の顔が見てみたい。僕は言い返そうとした。しかし僕が何かを言おうとするのを遮るようにして母の口を突いて出てきた言葉に僕は何も言えなくなってしまった。「頼んだ金額より少なくない?残りは今度よろしくね」実は母の忘れっぽさにかこつけて、僕は求められたよりわざと少ない額を置いてきたのだが、母はしっかりしていた。「それとトイレも流し忘れてたわよ」僕は大便を流し忘れてしまったらしい。齢44にして、ちょうど漢字の「回」を一筆書きしたような形の一本クソを年老いた母に咎められる人生。「来るなら前もって教えてよ」もしかして僕が連絡を入れ忘れたのか。怖くて通話履歴を確認出来ない。これらの僕にとって厳しすぎる母の言葉が僕の言葉を奪い去ったのではない。僕が何も言えなくなってしまったのはこれらの厳しすぎる指摘の前に母がこう言ったからだ。「わざと家の灯りを点けっぱなしにしてくれたんでしょ。暗い家に帰ってくるの嫌なんだよね。あんたがこんな気づかいの出来る人間になれて嬉かったよ」物忘れによる消し忘れ。僕はまたやらかしてしまっていたらしい。妻には消し忘れで叱られてばかりだけどこんなやらかした本人が思いもよらない結果をもたらす物忘れなら時々あってもいいかもしれない。物忘れがひどいのは母ではなく僕かもしれない。母は僕が思った以上にしっかりしているけれど、こんなことでありがとうなんていう人じゃなかった。母は確実に老いている。あと何回、母とこういうやり取りをする機会があるだろうか。数えるほどとまではいかなくとも、もうそれほど多くはないだろう。父が亡くなって家がきつかった頃、僕はこんな時間はやく過ぎてしまえと祈っていた。だが、今は、自分の身勝手さを棚上げして、時間が出来るだけ緩やかに流れて欲しいと神様に願っている。(所要時間19分)

 

僕はフリースタイルなブロガーを目指したい。

告白しよう。僕はお金が好きだ。そしてブログでの金儲けに眉をひそめながら、一時期、「ブログ飯」っていうの?フリーランスブロガーっていうの?ブログで生計を立てている人を羨ましく思っていた。自分の言いたいことを言ったり、好きなものを紹介することが仕事になるなんて素敵だし、何よりその自由さに憧れたのだ。会社員であることに囚われすぎているきらいのある僕にとって、彼らの自由さは眩しいものだ。だが、今はそちらへ向かわなくて良かったと思う。僕の観測範囲内の事象からいえば、結局のところ彼らも自由ではないとわかってしまったからだ。好きなことをブログに書いて生計を立てるだけにとどまらず、仮想通貨に手を出してその価値の激しい上下動に一喜一憂している姿は、手足を縛られているようにさえ見えた。ブログのようにやらなくていいものを始めてわざわざ縛られるなんて。それは僕の憧れた自由とは程遠いものだ。囚われているものが会社やしがらみであるか、お金そのものであるか、その違いでしかない。その違いが大きいか小さいか。捉え方の違いでしかない。だが僕は彼らを否定しない。信じている宗教が違うだけだからだ。ありがたいとさえ思う。興味を失いつつある昨今のインターネットにおいて「文章を書くのがとにかく好きで仕方ありません」とアッピールをしていたブロガーが仮想通貨等々に染まり、お金のことばかり書くようになってしまう、その勇姿を応援することは、僕にとって数少ない楽しみになっているからだ。頑張ってほしい。ただ、ブログで生計を立てることは否定しないが、収益やPVといった数値的な目標に掲げることには疑問を感じる。それを公にすることも。往々にして数値が足かせになってしまうことがある。数値は残酷だ。たとえば公にしている収益やPVが数か月連続で下がってしまった場合、人の目が気にしたり、モチベーションを失ったりしてブログをやめてしまったり、その数字を維持するために怪しげな情報商材を宣伝したり、同じような傾向を持つ仲間へ内輪向けのことを書いたりするようになったり…。はたしてそれは自由で外に向かっているべきブログの在るべき姿なのだろうかと首をかしげてしまう。そもそも僕は営業職で日々数字に追われて仕事をしているので、これ以上数字に追われたくない。生産管理のような仕事をしている人は、もっと数値にシビアな世界で生きているので、僕以上にそう思われるのではないか。まあ、数値目標を掲げる人も僕とは違う宗教なのでその世界でうまくやってもらえればいい。今は彼らが、多分、控えめに会社員でも頑張れば稼げるくらいの、悪くいえば夢のない額を収益として発表してくれたことに感謝している。もし、毎月一億稼いでいるといわれたら僕もそちらの世界に行って、違うものに縛られていただろう。怪しげな情報商材屋に間違われないように気を付けてもらいたい。僕はブロガーと呼ばれる人たちには数値でない自分だけの目標を持ってほしいと思う。そしてウチに秘めた目標に向かってもらいたい。他人からの評価なんてどうでもいい。収益を追求していようがいまいが関係なく、何者にも縛られず、フリーなスタイルで、ブログを楽しむことがいちばん大事なのだ。僕もブロガーの端くれとして、フリースタイルな目標を立てた。大人の事情により、先日、冬季オリンピックで熱戦が繰り広げられたスノーボード競技になぞらえていうと、ブログを通じて知り合ったJDに《フロントホックバックスタイルダブルシックスティナイン》を床上でキメるのが僕の目標で、今はそれしかない。(所要時間19分)

20年営業マンとして働いてきた僕が考える仕事上の天敵について

仕事についてネットで語る多くの人たちが「素晴らしい人との何物にも替えがたい出会い」を高らかに歌い上げておられるが、そんなポエムは怒号と叱責と怨念で彩られた地獄のような会社員生活を送ってきた僕の耳には届かない。20年のサラリーマン生活で、ごくわずかの例外を除けば、仕事が出来ない人とばかり遭遇してきた。ピュアに恐ろしく仕事が出来ないとか、要領が悪いとか、スピードが遅いとか、様々な受け入れがたい要素を持った気の毒な人たち。「あらいぐまラスカル」の最終回を見ては毎回涙をこぼしてしまう心優しい僕なので、そのような出来ないマンについても、「仕事が出来ないのはどうしようもないよね」と早々に見切りをつけ、「色々と苦労が多い人生を送ってきて死ぬまで続くのだろうなあ。僕と無関係な場所で頑張ってほしい」とエールを送って自分の中で処理を済ませるようにしている。タフな世界で生き残るために必要なのはある種の諦めなのだ。信じることは大事だが限界がある。そんな僕が宇宙一仕事が出来ない人だと思うのはそういった諦めの対象になるような人たちではない。結論からいえばコンペや選定の結果を伝えないクライアントの担当者である。僕は営業マンだ。結果がすべてだ。コンペやプレゼンの成否。契約を勝ち取れたか、それとも失注なのか。営業マンは最善の努力をした後は神仏に祈りを捧げて結果を待っている。プレゼンが評価され契約に至れば最高だ。失注はそりゃ悔しいけど、すぐに切り替えて次!次!となるのが営業マンという人種なのだ。そんな営業マンに対して期限になっても、あろうことか期限を過ぎても結果を伝えないクライアントの担当者がいる。それも相当数。手ごわい競合他社の営業担当。エベレストよりも高い要求を突き付けてくる顧客。様々な難敵はいるが、結果を伝えない彼らこそが営業マンの天敵である。重症なのは、先述した仕事出来ないマンとは違い、彼らが不自由なく日本語を操り、物事を考えることができ、電話をかけるくらいの能力、つまり平均以上の能力を持っていること。つまり意図的に結果を伝えないのだ。回答期限が過ぎてもイエス・ノーがないので、薄々ダメだったと気づきつつも上層部への報告のためだけに結果を聞くときの、あの、何とも言えない気持ち。「あの~コンペの結果はどうなりましたかね?」「あぁ他社さんに決まりましたよ」想定通り。このような無駄なやりとりをなぜやらなければならないのだろうか。担当者の多くは気弱な事務職。押しの強い営業マンたちに恐れを抱いて言えなかったのだろう。可愛そうに。心中を察して涙が出そうになる。僕は無駄なやり取りのたびに同情していた。そして僕は完全に間違っていた。その後も繰り返された無駄なやり取りの中で、なぜ約束通りに連絡をしてくれないのか聞いてみたところ、クライアントの担当者たちの答えは二つしかなかった。一つは「内定した企業一社にだけ連絡しました。期限内に連絡なければ察しろよバ~カ!」。残りは「失注した営業マンが気の毒だから」。そこに営業マンへの恐れなど微塵もなかった。あるのはクライアント特有の上から目線と傲慢。きっつー。本性を知ってますます彼らが営業マンの天敵と確信した次第である。なぜこのような話をしたかと申し上げますと、今、僕がとあるクライアントからコンペ回答期限を過ぎても連絡がない状態にあるからだ。結果はわかっている。失注だろう。だが奴らの傲慢ぶりは許せない。どう罵ってやろうか?天敵ロックオン。返せ。一瞬でも奴らに同情してしまったあの時間を。僕の涙はアニメのあらいぐまのためだけにあるのだ。(所要時間18分)

私が愛した八重樫(あるいは80年代プロ野球へのラブレター)

プロ野球が好きだ。特に僕が子供だった80年代から90年代初めのプロ野球には思い入れのある選手が多い。僕が好きなのは、タイトルを獲得したレジェンド選手や名選手よりも個性的な選手。インパクトのある見た目。破天荒な打撃・投球フォーム。それから人となり。そういった要素が30年以上経っても僕を魅了し続けている。もしかしたら彼らがいたから、僕の興味の対象はよりレベルの高いメジャーリーグではなく日本のプロ野球で在り続けているのかもしれない。誤解を恐れずにいえば、僕は非科学的なトレーニングに裏打ちされているのかどうかわからない意味不明で豪快な選手が好きなのだ。時代時代でヒイキにしているチームはあったけれども(ロッテ・オリオンズ、ヤクルトスワローズ)、所属チームとは関係なく好きな選手もたくさんいた。キャンプイン直後の今、好きだった選手を何人か挙げてみることにする(敬称略)。なお、この文章は個人的な記憶と思い込みによるものなので少々事実と離れた記載があるかもしれないがあしからず(つーかwikiかなんかで調べて並べたブログ記事なんてクソだと思う)。

ヤクルトスワローズ所属の眼鏡で強打のキャッチャーといえば、イの一番で古田の名前が挙げる人も多いだろうが、僕の中では八重樫。僕がプロ野球を観始めたのは小学生になった1980年くらいからなのだが、見た目眼鏡をかけた中年男の八重樫は、当時の球界スター、たとえば巨人の原のように洗練されたスターとは対極にいた選手だ。アウトサイドの球にバットが届くのかってほどの極端なオープンスタンスから強振するバッティングフォームは、打撃成績とは別の次元で、子供のなかでは大人気。草野球では必ずマネをする奴がひとりか二人はいた。僕もそのひとりで、「ヤエガシ!」って声をあげてモノマネで構えるととりあえず盛り上がった。八重樫のモノマネは、僕が子供の頃に体得した2大無駄スキルのひとつで在り続けている。ちなみにもうひとつはヌンチャクさばきで、風呂上りに全裸でそれを披露して妻がキャーキャー歓声を挙げるのは一時期我が家の日常の一コマだった。八重樫のモノマネ・バッティングは敵味方の注目を集める以外にもう一点利点があった。あの極端なオープンスタンスで己の下手クソすぎるバッティングを隠すことができたのだ。「あ~ヤエガシやってたから打てねえ」「外のションベンカーブに届かねえ」言い訳することができた。まあ、今の僕が言いワケ人間になってしまったのはこれがルーツかも。久しぶりに動画みたら、やっぱり、八重樫はカッコよかった。僕のなかでは毎年30本くらいホームランを打っているを打っていたイメージ。

巨人の西本も好きだった。選手としては同時期のライバル江川の方が好きだったが、西本の投げるシュートは大好きだった。足を大きく上げる豪快なフォームから右打者の内角を、それこそ抉るようなシュートボール。シュートを投げるピッチャーは見てきたけれども、シュートを売り物にしていた投手というのは西本が最後なんじゃないかな。シュートピッチャーといえば、大洋の平松(カミソリシュート)もいたけれど、僕がプロ野球を観はじめたときには選手生活の晩年だったので、シュートといえば西本になってしまう。下にある動画にもあるように、空振りを取るときよりも、足をあげてシュートを投げて内野ゴロを打たせて野手に取らせてアウトにするのが絵になっていた。ガキの草野球ではシュートを投げるヤツは皆無で「今のシュートだろ」「シュートになってない」論争もタマにあった。何もかもが懐かしい思い出だ。久しぶりに動画みるとめちゃくちゃ曲がっているわ。まさに魔球。すげえ。

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80年代巨人といえば呂明賜(ロ・メイシ)の一瞬の輝きも忘れられない。確か怪我のクロマティの代わりで出てきて打ちまくった元祖・アジアの大砲。クラウチングの姿勢から豪快なフルスイングでホームランを量産。当時、外国人といえばアメリカ人選手だったが、親しみのあるアジアンな見た目から豪打を繰り出す呂は中学生の僕らにはとても衝撃的だった。デビュー半月くらいで10本くらいホームランを打ったので余裕でシーズン40本は打つと思っていたが、たしか10数本で打ち止め。鎮火具合も凄まじかったので、そのぶん、あの衝撃的なデビューが今でもまぶしい。このフォームを真似てバット振ってると腰を痛めるので中高年にはおすすめできない。僕は十年ほど前にバッティングセンターでこれをやってひどい目にあいました。

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 まずは下の動画を見て欲しい。左打席で振ったあと右打席まで行っている。「そんなにバランス崩してまで力んでバットを振り切らんでも…」と子供ながらに思いながら見ていたのが広島のランス。バットへの当たらなさと当たったときの破壊力といったらプロ野球史上最強なのではないかな。打率は2割がやっとのホームラン王。使いにくい選手の典型だが、インパクト大だった。よく「バットに当たれば…」と指摘される選手はいるが、ランス以上にその文句が似合う選手は後にも先にもいない。

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二刀流といえば今シーズンからメジャー移籍した大谷が有名だけれど、僕のなかでは南海にいた近田が頭に浮かぶ。なんと左右両投げ。しかも右はアンダースローなのが熱い。「巨人の星」の星が大リーグボール3号で左腕を壊して引退後、「新・巨人の星」で右投手として謎復活した(うろ覚え)のを一人で体現したマンガピッチャー。夜のスポーツニュースで取り上げられて、次の日、学校のボンクラキッズの話題になり、いつ大活躍するのか、どれだけ活躍するのか、一日だけ話題の中心になって、その後、飽きっぽいボンクラに忘れ去られた選手。昭和63年のシーズンはじめの一試合だけ登板して引退したのを知ったのは数年後のことであった。特注の6本指グラブを駆使したスイッチ投法とか夢がありすぎた。いや。夢しかなかった。

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夢。といえば阪神にいた猪俣、通称イノマティのナックルボールも夢しかなかった。快速球が武器の大型左腕で決め球はナックルと聞いて胸が熱くなるのが野球好きのボンクラというもの。しかし夢は夢のまま終わってしまった。とにかくコントロールが悪くて四球を連発していた。僕の記憶では四球しかない。現役引退までナックルが炸裂することはなく終わってしまった。下の動画の11秒くらいで謎の激変化しているボールがもしかしたらナックルボールかもしれない。この球をいつも投げられていたらと思ってしまう。

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強肩といえばライオンズの羽生田。バッティングの印象が皆無でとにかく肩が強かった。僕のなかでは鉄砲肩イコール羽生田。その魅力は下の動画を見ていただければおわかりいただけると思う。

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よくわからない投球フォームの選手が好きだ。サイドスローから150キロ超の速球と変態スライダーを投げていたヤクルトの平本(動画が見つからなかった)や、見事なまでのアーム投法の横浜・小桧山。これだけ肘が伸びたままよくこれだけの速球が投げられるなと感心したものだ。どういうメカニズムなのだろう…。たしか一時期は横浜の大魔神佐々木へつなげるセットアッパーをつとめていた気もする。小桧山はアーム式でしかボールが投げられないボンクラ野球好きのひとつの到達点であった…。夢しかない。

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忍者打法の大洋・市川も思い出の選手だ。忍者打法というと現代を生きる若者たちは凄い打法を想像するかと思うが、実際は、始動したスイングを急止して誤魔化し審判からボール宣告をいただく動作を芸術の域まで高めた、打たないバッティングの極致である。ボンクラ草野球でマネをする者もいたが、みっともない、と理由でいつの間にか誰もマネしなくなったワザである。少年たちはボンクラであっても基本的にはヒーローが好きなのだ。実は八重樫のマネよりも高度な技術が要求される打法である。ちなみに僕は市川の忍者打法は覚えているがヒットを打ったところを見た記憶がない。下のギャグ動画30秒からのカットを見ていただければ百聞は一見にしかずなのである。こんなん笑うわ。

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僕はつば九郎の偉大な先輩ヤー坊&スーちゃんも忘れないよ。

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1時間以内でどれだけ懐い選手を挙げられるかの挑戦はとりあえずここで一旦終わりとする。皆さんのハートには何が残りましたか?まだまだ1パーセントくらいしか語れていないので、また機会があったらパート2を書きたいと思う。ではまた。(所要時間51分)