Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

食品業界の片隅にいる僕が「飲食店アルバイト不適切動画」問題について全部話す。

またアホがやらかしたのか、という感想しかないけれども、飲食店やコンビニのアルバイトスタッフによる不適切動画が話題になっている。法的な措置を取るところも出てきている。問題への反応も、立場によって「なんでこんなことやるんだ」というモラルの欠如、「口に入れるものなのに汚い!」という衛生管理問題、「アルバイト頼みの歪んだ職場環境のせいだ!即刻非正規スタッフを正規雇用へ!」という労働問題、「こういうことでしか表現できない…むしろ彼らは被害者です…」という心の闇問題、等々、さまざまで興味深い。僕が興味深いのは、いろいろな立場の人が、問題を解決するというよりは、自身のフィールドに落とし込み、かねてからの主張の材料にしているようにしか見えないところである。


僕は食品業界に身を置いている。いつ、このような不適切動画の当事者になるかわからない立場だ。だから、仕事と思って比較的冷静に不適切動画を見ることができている。そこで気付いた点を簡単に話してみたい。話題になった飲食店アルバイト不適切動画をいくつか見ると、驚くほど似ていることがわかる。接客や調理を任された(高度な技術を求められる調理ではない)複数の若いスタッフ(おそらく学生アルバイト)による行為であること。そして、暇を持てあましているように見えること。後者にフォーカスしてみる。「暇だ」「退屈だ」「ねえ何か面白いことないかなー」「店にはないね」「じゃあ」「僕たち」「私たちは」「面白くない」「職場で」「面白いものを」「創造します」「創造しまーす」。そういう思考でアホな行為に至ったのは容易に想像できる。それをSNSにアップする心理を想像するとアホが伝染しそうなのであえて触れない。

ではなぜ、暇なのか。退屈してしまうのか。繁忙期ではないから。深夜帯で客足が途絶えがちだから。確かにそうだ。でも暇なのはそれだけではない。僕は工程の確認をするために、アルバイトに混じってホールに立ち接客業務をすることがある。店舗立て直しの一環だ。立て直しをしなければならないような、非繁盛店。当然、客足がばったりと途絶える時間帯がある。与えられている仕事は接客。マニュアルには手洗いなどの衛生ルールや接客やオーダーのルールは定められている。手の空いたときにも、補充や清掃などの仕事が与えられている。それらを終えてしまうと途端にやることがなくなる。仮に、料理の道で生きていく、将来は自分の店を持ちたい、と考えている人間ならば、その空き時間に先輩調理師の指導を仰いだり、自主練習をしたりすればいい。その空いた時間、暇を価値に転換することができる。

だが、接客や調理補助アルバイトはどうだろう。時間給で働いているので、その時間がどれほど空虚であれ、そこにいなければならない。将来はロックスターになると夢想しているアルバイトスタッフが、暇な時間を費やして豚の捌き方を真剣に学ぶことがあるだろうか。ない。もしかしたら将来メタルバンド・ライブで豚の頭部を掲げてシャウトする可能性も僅かにあるだろうが、基本的にない。手が空いたらやっておくべき業務を終え、客足が途絶えた暇な店内で、ボンクラな僕が一瞬、考えたのは、不適切動画を取った若者たちと同じような行為である。恥をしのんでカミングアウトするならば、僕は股間のパオーンをパンで挟んで、ホットドッグをこしらえてみようかな、と考えたのだ。実行に移さなかったのは、「マスタードが染みたらイヤだなあ」という肉体的な痛みを想像できるだけの想像力と、人並みの知性があったから、そして、失うものの大きさに気付いたから、それだけのことなのだ。アホだったら、僕を押しとどめたものを容易に越えてしまうだろうことは容易に想像できる。

僕は、非適切動画問題を、暇を価値に転換できないアルバイトと企業の悲劇だと考えている。端的にいえば、使用者がアルバイトに適当な仕事を与えていないことが原因なのだ。飲食チェーンのアルバイトのマニュアルは効率化が進められている。それは最小限の人数で、最大限の仕事をこなすための仕組みである。それは間違っていない。だが、その仕組みは、閑散期や客足が途絶えがちな深夜のような時間帯に、アルバイトスタッフが暇を持てあまさないような、退屈を覚えないような仕事を与えるようには考えられていない。せいぜい、手が空いたらこれをやっておこう、くらいのものでしかない。通常の業務マニュアルに加えて、閑散状態、手待ち時間マニュアルがみたいなものがあったとしても、そこに定められているのは、基本的に片手間で出来る軽作業であり、導入についても、時間帯で区切るのか、それとも客足の状況で区切るのか、一長一短で難しい。

不適切動画を撮影してネットにアップするような輩に、それなりの処罰を与えることに異論はない。それなりの抑止力はあるだろう。だが悲しいかな、不適切動画は、絶対に特定されないような工夫をするなど、別の形で復活するだろう。必要なのは、発想をかえて、暇な時間に、調理コンテストをやるとか、企画立案の仕事を与えるとか、飲食店アルバイトの《暇を価値に転換できるような、退屈させないような仕事》を会社サイドが考えることだ。かつての僕みたいなボンクラに、不適切動画を撮る隙を与えないようにすればいい。きっつー。そんなことまで会社が考えなければならないのかと嘆きたい気持はよくわかる。でも罰を与えるだけでは、飲食店アルバイトの不適切動画問題はいつまでも、「やった」「注意した」のイタチゴッコになるだけだ。いや、実際そうなっているだろ?(所要時間38分)

「会社から酷い扱いを受けている」と訴える嘱託社員の知人に生きる希望を与えてきた。

「相談したいことがある」と言ってくる人のほとんどは、「私は正しいよね」「間違っているのは向こうに決まってる」という具合に、己の意見や考えの正しさを後押ししてもらいたいだけである。だから、そういう誘いを受けたとき、僕は気持ちのスイッチを切って、生ビールを飲みながら「だよねー」と言うにとどめるようにしている。もちろん親しい友人に対しては、そのような対応はしない。友人たちは冷静かつ優秀な人たちなので、己の考えを客観的にとらえ、僕の意見、それが否定的なものであっても受け入れてくれるからだ。それ以外の、それほど親しくもない、どうでもいい方々たちは、こちらが本気で親身になって「それは違うんじゃないかな」「間違っているよ」「もしかしてバカなのか?」と指摘すると、なぜそんなふうにいうのだ、ヒトデナシ!と声を荒げるからたまらない。場が凍り付いてビールが不味くなるのは御免被るし、そもそも親しくもない人がご自身の正しさを過信して身を滅ぼそうと僕の知ったことではないのだ。

一昨日、前の会社の同僚が「聞いてもらいたいことがある」というので安居酒屋で酒を飲んだ。特に親しかったわけでも、仕事で世話になったわけでも、金銭の授受があるわけでもない、性格や趣味もあわない人物。なぜそのような人と酒を飲みに行くのか?ひとつは僕の親しい友人たちは全員、地元を離れてしまっているため、気軽に飲みに行ける人がいないこと。ふたつめは先に述べたように、相談したいことがある人の話は、だよねー、かもねかもねそうかもねー、と適当に聞き流していればいいので極めて気楽であること。みっつめはもっとも重要なのだが、僕ひとりでは食べきれない料理を残さず食べてもらうため。食べ物を残すのは良くないからね。その人は70才手前くらいのオッサンで、転職を繰り返して定年退職、今は嘱託社員として働いている。何をしているのか知らない。本人は、教えてもいいけどお~、などと体をクネクネさせて勿体ぶっているのが気持ち悪かった。尻の穴でもかゆいのか。ギョウチュウのイメージが頭に浮かんでビールが不味くなった気がした。

聞いてほしいこととは、「現在の職場でのありえない待遇」についてであった。予想通りであった。スイッチ・オフ。「それは…大変でしたね…」と、いかにも感情を押し殺しているみたいに聞こえるよう、一語一語を一期一会のように言った。すると彼は、嘱託社員になったとたん、会社からひどい扱いを受けている。同じ仕事をしている正社員と異なる扱いをしてはいけないと働き方改革は掲げているのに、おかしいではないか、と言った。ですよね…と相槌を打ち、直後に湧きたってきた、こいつまだこんなことを言っているのか、そんな苛立ちを生ビールで押し流した。《自分の不遇は、全部、世の中のせい》。これが彼の、人生をかけて証明したいものである。そんな証明の養分になるのは御免なので、だよねーだよねー、適当に流し続けた。俺は間違っていない。だよね…。会社が悪い。だよね…。世の中が悪い。だよね…。政府が悪い。だよね…。景気が悪い。だよね…。俺は見た目が悪い。ホントそのとおりだよね!

彼の主張を簡単にまとめるとこうである。《ある一定の年齢に達したときに、嘱託社員になった。嘱託として働くことが出来ていることには感謝している。だが、正社員とほぼ同じ仕事をしているのに、給与や手当などの待遇が違いすぎる。働き方改革なんて嘘ではないか。俺のように弱い立場の労働者の環境は何もかわらない》彼は言った。「正社員と差別してはダメだと法律に決められている!」「法律って?」と意地悪に尋ねると「よく知らないけど憲法じゃねえか?」と彼は答えた。そんなんで会社と戦うつもりなのか、世に訴えるつもりなのか。悲しかった。彼は本当に会社からひどい扱いを受けているかどうかはどうでもいいが、話が長くなりそうなので、僕は彼にもわかるように説明して切り上げることにした。山盛りポテトフライの皿もカラになったし。

「労働契約法というのがあってですね、条文はあなたには難しいのでざっくりと説明すると、そこでは正社員と非正規の労働条件に《相違があってはならない》とはしてないんすよ。《不合理な相違があってはならない》としているだけ」「意味がわかんねえよ」「まあ不合理かどうかは、1.労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度
2.職務の内容及び配置の変更の範囲 3.その他の事情という判断要素があるけれども、ここでキモなのは、不合理が禁止されているだけであって、合理的であるとは求められていないこと。要するに、明らかに間違っている労働条件でなければよいということ」「意味がわかんねえよ」「で、新聞には出ていたので、平均レベルの知能があって、ご自分の問題ととらえているなら、万が一見落としていたら猿以下ということになるのですが、この件では最近最高裁で判決が出ていて、職務内容が同じ正社員(無期契約)と契約社員・嘱託社員ならば、賃金の総額ではなく、賃金項目を個別に考慮して不合理かどうか判断するとしております。手当のことですね。では今、正社員よりも低い手当は何がありますか?」「住宅手当!」「残念~。必ずしも不合理ではないっすねえ。定年退職後の嘱託社員は老齢厚生年金が支給されますし、若い正社員と比べれば補助を出す根拠は乏しいですからね。特にあなたは持ち家で独身ですからね。ブブー!」「皆勤手当!」「ピンポーン。これは正社員と嘱託で皆勤を奨励する必要に違いはないので不合理になりますね。ちなみに皆勤なんですか?ああ。休みがち。じゃ意味ないですね。残念~。事実上ブブー!」「給料自体が2割下がったぞ」「残念~」「え、なんで」「気持ちはわからないでもないですが、退職後の継続雇用で定年退職時より給与を引き下げること自体は『不合理であるとはいえない』とされとります。2割くらいは致し方なしみたいな感じです。まあ、会社側からみれば賃金コストが際限なく増えるのは困りますからね」「なんだよ。それじゃ泣き寝入りするしか…」と彼は言った。

なんだか憐れになってきた。僕は彼の生きる希望になれば、と助言を与えることにした。「政治家のいう《正規と非正規も一緒!》みたいな気持ちいいフレーズにニタニタして、そーだ!そーだ!と何も考えずに同調していると騙されますよ。何事にも裏があると疑わないと搾取され続けるだけですよ。そういえばフリーターブームのとき、すでに中年だったのにあなたはフリーターをやっていたと仰ってましたよね…。世間の労働問題とご自身を重ねるのは勝手ですが、戦う前にもう少し勉強されたほうがいい。勝てるものも負けてしまいますよ。もう負けているのかもしれませんが」彼は何も言わなくなってしまった。僕は最後の生ビールを飲みながら、彼がこの世知辛い時代を生き抜いてくれることを祈った。頑張ってほしい。彼が倒れたら山盛りポテトフライが頼めなくなる。それは僕にとってとても悲しいことだから。(所要時間35分)

元給食営業マンが「ファミマこども食堂」のスゴさを考察してみた。

コンビニチェーンのファミリーマート(ファミマ)がこども食堂運営に乗り出すらしい。「ファミマこども食堂」を全国で展開 |ニュースリリース|ファミリーマート「大企業」「全国2000店舗」というスケール感は従来のボランティアに支えられたこども食堂にはなかったものだ。この件について、僕は「スゴイ!物好きだなー!」というポジティブな第一印象を持ったのだけど、世の中は賛否両論みたいだ。賛否はそれぞれの考えや立場からのものだから別にいいのだけれども、「大企業」「営利」「こども食堂の運営きっつー」というぼんやりしたイメージで意見をいっている人が多いように見えた。ひどいものになると助成金目当てではないかという声も見かけた。企業ガー!ボランティアガー!理念ガー!意見をぶつけあうのは大変時間と精神に余裕があって結構だが、その議論が、こども食堂運営にかかる数字を把握しないでなされているものであったら意味がないのではないだろうか。
実は数年前、当時勤めていた会社でこども食堂への参入を考えたことがある。きっかけは夕刻のママさんパート確保に難儀していたからだ。様々な要因があったけど「小学生の子供を育てているから」という声が多く、それなら、こども食堂をやったろうという単純な動機からである。貧困対策や地域貢献という本来のこども食堂の理念からではなく、ひたすらマイナーな一企業の雇用問題からであった。
役所にこども食堂の要件を問い合わせた。1年以上運営する能力、毎月1回以上開催、毎回10食以上提供。食品衛生責任者の設置。各自治体で多少の違いはあったけれど要件はだいたいこんなものだった。そこで【平日夕刻の3時間運営/10人規模/利用料1回100円】こども食堂のコスト試算をした。商売の基本は「ヒト」「モノ」「カネ」である。

まずヒト。人件費として時給1000円パート(毎日4時間20日勤務)を想定し1,000円×4時間×20日×付加率20%として月額96,000円。スタッフは1人でいいのか?4時間は短くないか?という疑問はとりあえず棚上げしておく。
つづいてモノ。場所代、什器備品は寄付や協力を前提にゼロ円とした。水光熱費はざっくり月1万円。食材はワンプレートを想定して1食当たり250円(例/コロッケカレー130円:サラダ70円:副菜40円:汁物10円)とし10名分×20日運営なので月額50,000円。月コストは人件費96,000円と光熱費10,000円と食材費50,000円で計156,000円(1回当たり7,800円、この数字あとで使います)。利用者から1回100円もらって10名利用20日運営で収入20,000円。ざっくりだが「こども食堂」一ヵ月当たりマイナス136,000円となる。

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 この試算(かなり甘く条件を設定してても)で「こども食堂単体では飲食ビジネスとしては成立しない」ことがお分かり頂けると思う。それゆえ助成金頼みとなる。時に「助成金ビジネス」と揶揄されるが、その助成金があればこども食堂の運営は成り立つのか。答えは否である。助成金もきっつー、なのだ。
各自治体のこども食堂事業者への助成金(ホームページに掲載されている)を調べてみる。大和市(神奈川)は初期投資10万円 運営費81.6万円

大和市/こども食堂の運営団体に補助金を交付します

池田市(大阪)はそれぞれ同15万、15万

池田市こども食堂開設支援補助金/池田市ホームページ

板橋区(東京)は1回当たりで1万円(最高年24万円)である。

子ども食堂への補助金について | 板橋区

いろいろな自治体のホームページを確認したが、だいたい数十万の助成金を設定している。例にあげた中で一番助成金が高い大和市で816,000円。さきほどの試算で運営コストは156,000円。「やはり助成金ビジネスではないか!」と仰る方は落ち着いて欲しい。助成金816,000円は年額である。つまり月額に換算すると68,000円。156,000円のコストから引いても毎月88,000円のマイナスとなる(月利用料20,000円を加味しても毎月68,000円のマイナス)。比較的条件のいい自治体でこの状況なのでその他はより厳しい状況が考えられる。このように「こども食堂は助成金ビジネスとして成立しない」のである。

「こども食堂」では助成金があっても、ボランティアや寄付や協力が不可欠なのだ。善意の無償ボランティアと協賛者の協力、そして助成金があってはじめて運営ができるともいえる。だが善意は素晴らしいけれども脆い。もし善意の無償ボランティアが病気になったり辞めてしまったとき善意の後任は見つかるのか?見つからなかったら閉店でいいのか?そもそもボランティアだから無償でいいの?

ここでファミマのこども食堂をざっくり試算してみる。全国2千店舗で10人規模、利用料は1回100円。開催頻度がわからないので月2回と仮定。先ほど試算したこども食堂の1日1店舗あたり7800円を流用して試算すると、年間コストは7800円×月2回×12月×2千店舗で374,400,000円(3億7千400万円)。対して利用料収入は100円×10人×月2回開催×12月×2千店舗で4800万円である。 マイナス326,400,000円。マイナス約3億2千600万円!ファミマスゲエ。

もちろんファミマレベルのパワーがあれば、スケールメリットで食材コストはぐぐっと下げられるだろうし、既存施設とスタッフをそのまま利用するのでコストもここまでにはならない。そもそも普通の食堂の試算を大手コンビニチェーンに持ち込むのはいかにも乱暴だ。だが、それでも莫大なマネーが必要となるのは間違いない。実は僕がいた会社はマイナス試算でも「こども食堂」開設に進んでいた。だが断念した。それは営利を追及する団体には助成金は交付しないという条件に当たってしまったからだ。ファミマも同様の理由で助成金は無理だろう。そもそも前述のとおり助成金ビジネスは成り立たないのだけど。

子供食堂の理念や理想は大事だ。草の根ボランティア運営のこども食堂でしか提供できないものもあるだろう。だが、こども食堂としてそれなりのサービスを提供されるのなら、ファミマのような大企業が利益を度外視して参入することはいいことなのではないか。そこに営利(宣伝効果)や売名があったとしても。皆さんもお気づきだと思うが僕はこの文章で意図的にかなり大袈裟で雑な試算をしているが、こども食堂の運営の厳しさはわかっていただけたと思う。こども食堂運営の問題は、その運営母体が何であるかよりも、《助成金なければ1食堂当たり月136,000円の赤字》《無償ボランティアと協力・寄付に依存せざるをえない》この実態を僕らがどうとらえるか、なのである。ファミマに続く企業があらわれ、助成金が増額されて、ファミマのような企業型、有償ボランティアにより運営される従来型、二種類のこども食堂が棲み分けして両立するのがいいのではないか。「こども食堂助成金増額…そういう税金の使い方なら納得できるのだけどね…」と綺麗ごとを吐きつつ、実際に「こども食堂増税」なるものが実施されることになったら真っ先に反対してしまう、心の汚れた僕なのである。(所要時間37分)

弊社業務改革の目玉である事務業務自動化(RPA)が管理職クラスからも猛反発されている。

「ロボットによる業務自動化(RPA)」導入が頓挫するのは、技術的なものやコスト的なものではなく、人間のどうしようもない性質が大きいみたいだ。先日、弊社の業務改革の一環で事務仕事の一部をロボット化(RPA)へ代行させはじめたこと、事務職の人たちの仕事を奪われるという危機意識の大きさについて、ここで書いた。

「来年からあなたの仕事をRPA化します」と事務スタッフに告げたら猛反発された。 - Everything you've ever Dreamed

今、僕は部下に、これがボスの意向の会社方針であること、世の中の働き方の流れであり会社が生き残るためには必要であること、給与や待遇は維持すること、を丁寧に説明して、同意を得ているところである。

だが、今度は、業務改革を推し進める立場である管理部門の役職者たちが、おそらくRPAについて多少学習したのだろうね、反発をはじめた。「人事、総務、経理といった部門長としての仕事が奪われる!」というのが各部長たちの主張だ。そもそも、「仕事を奪われる」という認識が間違っていて、ロボができないこと、ロボに何をさせるかを考えること、といった人間にしか出来ない仕事に変わるだけのことなのだ。つまりルーチンのようないわば受け身の仕事ではなく、毎日、社内改革をしていくようなアクティブな仕事になるということ。反発する管理部門の部長たちは、RPA導入で己の仕事が楽になるのではなく、大変になることに気づいたらしい。ある意味では、楽な仕事を機械が、キツイ仕事を人間がやるというディストピアへの扉が開いたともいえるが、それも世の流れだから仕方ないではないか。

はっきり「仕事がキツくなるのはイヤだ!」と言っていただければ、僕も、一ミリくらいは同情するのだけれども、「会社のために反対する!」とカッコつけるから同情する気も失せてしまう。「ロボット検討ミーティング」という、ロボコンなネーミングの打ち合わせで、彼らが反対の根拠としたのが、コストの高さ、であった。業者から取り寄せた見積書を錦の御旗に、「ゼロが一つ多い。あまりにも高すぎる!」「コストに見合わない!」と彼らは言った。部長クラスが集まりながら、何かを生み出しているようにはとても見えないロボコン会議は、彼らのいうコストに見合うものらしい。面白いね。僕と推進派の同僚が、投資ですから、会社が生き残るための先行投資ですから、と言っても彼らは聞く耳を持たなかった。そして、最も失敗につながる言葉を言い放った。それは「別に、今でなくても」である。前職で、離職者が目立ち始めたとき、その現象を知りながら「今でなくても」思考で、手を打たず、気が付いたときには人材は慢性的な不足、埋めるべき人材も見つからず、という手遅れになっていた。これは万事に通じることだと僕は考えているのだが、「今」を失ったら二度とその「今」はやってこないのだ。簡単なことだ。なぜ、こんな簡単なことを、あえて見逃してしまうのか。それは今いる場所から動きたくない、という考え方にあるのではないか。

彼らは「もう少し待てば、もっといい商品やサービスが出るのではないか?どうなんだ?」「来年になれば、同じ商品がより安く導入できるのではないか?どうなんだ?」と続けた。ドーナンダ?ドーナンダ?って、そんな簡単なことすらわからないアナタガタこそバカなのか。とは名誉棄損にあたるので言えないので、ドーナンダ?って感じである。彼らは普通に仕事が出来る人たちである。そのはずだが、なぜ、この件については思考停止しておバカさんになってしまうのだろう。時間が経てばより良い商品やサービス、がより安価に提供されるのは、当たり前のことではないか。質問するまでもないことだ。今、やるから「投資」なのだ。同業他社より先んじてやることに意義があるのだ。先に取り掛かるのだからコストが掛かってしまうのは仕方のないことで、掛かったものより得るものが大きければいいだけのこと。

どうなんだ?に対する答えは決まっている。ひとつしかない。そのたったひとつの答えは「近い将来、もっと良くて安くなるでしょうね」だ。このように答えが決まっている質問は、質問ではない。「そうだろう!」「我々の指摘は間違ってないだろう!」などと相手を踏み台にし、吊るし上げにする、ただの宣戦布告なのだ。こんな相手を補強するような答え、ひとつしかない答えを口にしたくない。吊るし上げに遭いたくない。妙案や奇策が降りてくるよう、心のなかでまじないを唱えた。おみやげみっつタコみっつ…おみやげみっつタコみっつ…。「どうなんだ?」「答えられないのですか?」「我々はキミの見通しが聞きたい」と言われているうちに、ちょうど4回目のタコのあたりかな、そこで天使と悪魔が同時に降りてきた。待望の、相手の望む答えを提示しつつ、逆転サヨナラホームランを決める妙案である。

「現在、導入を検討しているRPAシステムより、優れたもの、リーズナブルなものが近い将来、市場に出てくるのは間違いありません」と僕は切り出した。「だろ?」「やっぱり!」盛り上がる空気を無視して僕はこう続けた。「しかし数年後に登場するであろうシステムはより高度なものになり、単純な事務仕事だけではなくその管理業務もできるようになるでしょう。たとえば会社の方針に反するような生産性のない打合せをしているような管理職は、その『立場』を奪われてしまうでしょうね。機械にはミスもムダもありませんから。いいんですか?それで。現在我が社が導入を検討しているシステムには管理業務を任せられるほどの能力はありませんが…」 聞くべき反論はなく、仕方ないか…、先行投資だと思えば…、という声が多くなり、ロボコン会議は終わった。こうして弊社の業務改革はまた一歩進んだ。

人間というのは、どれだけ優秀であっても、自分の居場所を守る傾向があり、そのため、場合によっては、どこまでも愚かになってしまうものなのである。現場の人間がRPA化により「仕事」が奪われる危機感をもったのと同じように、「我々は関係ない」と高をくくっていた管理職連中も、その「立場」を奪われるという危機感をどこかで持っている。僕はわずかばかりの延命策を提示して、その立場を守って差し上げただけである。仕事が居場所である人もいれば、立場や肩書が居場所である人もいる。誰もが居場所を守ろうとしている。もちろん僕も同じだ。ただボスから業務改革を進めるよう言われ、己の居場所を守るために動いているだけのこと。事務業務のロボット化(RPA)最大の障害は、コストでも、技術面でも、労働問題でもなく、こういった人間のどうしようもない性質なのだ。僕だってもっとヒューマンでハートフルな世界で働きたかった…。きっつー。こんなロボットばかりで、世知辛い世の中を生き抜くために大事なのは、時の流れだから仕方ないよな…と笑いながら、世の中の変化にしつこく、諦めず、投げ出さずにアジャストし続けていくことで、それだけあればなんとかなるとさえ、僕は考えている。(所要時間33分)

20年間営業畑で生きてきた僕が、営業で本当に大事なこと全部話す。

営業は、誰でもできる仕事だ。特別な資格や難しい技術は、必要ない。経験がなくても、なんとかなってしまう。そんな仕事だ。たとえば、営業職でない人たち、あるいは営業に携わったことのない人たちが「ウチは営業が弱い」「営業が仕事を取ってこないから」と営業について話すのも、「営業は誰でもできる」という認識が多かれ少なかれあるからだろう。悔しいが、その認識は正しい。20数年間営業という仕事を続けている僕からみても、営業は「誰でもできる仕事」だからだ。ただし、「誰もが続けられる仕事」ではない。営業という仕事を続けていくためには、心身を壊さずに、継続的に成果を出していかなければならないからだ。そして、そのためにはある種の覚悟が必要となる。前置きは長くなってしまったが、この文章はその覚悟についてのものだ。

営業人生の中で、営業という仕事を辞めてしまう人を何人も見てきた。性格が営業に不向きでギブアップする人や、待遇に不満があって転職する人を別にすれば、営業を辞めていく人の理由のほとんどが「継続して成果(結果)を出せないから」あるいは「成果を出し続けることに疲れたから」だった。特別な資格も難しい技術も必要のないはずの営業という仕事で、なぜ、継続的に成果を出せないのか?消耗してしまうのか?僕は営業における成果を取り違えているからだと考えている。営業の成果とは、売上ノルマを達成することだけではない。ノルマだけを成果とするから、消耗するのだ。

そもそも営業(新規開発)とはどういう仕事なのだろう。端的にいえば、課せられたノルマ達成と顧客の満足を両立させながら会社の売上と利益に貢献する仕事、だろう。セールスマンという言葉もあるように、一般的にも、営業の仕事イコール売ることと認識されているのではないか。トップ営業マンにはセールスに長けた、とにかく売ること、ノルマを達成することに注力しているタイプがいる。また、営業関係のビジネス本が紹介している各テクニックも、「どうすれば顧客の心をつかめるのか」「テレアポ必勝法」のような売ることにフォーカスしたものが多い。商品やサービスを売ること、それは営業という仕事のベースである。だが、売ることが営業の仕事の全てではない。つまりノルマ達成のみが成果ではない。「営業=売ること」という認識が継続的に成果を出すことの弊害になりうると僕は考えている。

僕の考えてる営業の仕事は、ひとことでいうと相手を知ることだ。知る対象は見込み客やクライアント、取扱う商品やサービスはもちろんのこと、自分の会社や関係部署や現場の状況も対象になる。大ざっぱに分類すると、自分、会社、客。営業の仕事とは、この3者を知り、橋渡しをすることだ。イメージとしては結婚コンサルタントに近いかもしれない。つまり、僕の考える営業の成果とは、この橋渡しがうまくいき良好な関係が築けることである。売上はその関係に必要な一要因にすぎない。誤解を恐れずにいえば、よほど酷い商品やサービスでないかぎり、売ること自体はそれほど難しくない。 それこそ、誰でもできる仕事だ。単純な足し算だからだ。正しいアプローチで、積み上げていれば、個人差はあるけれども、売れる。成果を出し続けることの難しさは、売ることが、橋渡しになるとは限らないこと、売り続けることが、必ずしも成果の継続性につながらないこと、以上2点に集約される。

たとえば、売上ノルマのみを成果とし、それを達成するために、社内コンセンサスもなく、無理無理な納期の案件を取ってくることは橋渡しがうまくいったことにはならない。良好な関係が築けなければ案件の継続も難しく、消耗することになるだろう。「営業の成果=関係者の良好な関係の構築」とするならば、そういった案件を断ることも営業の仕事となる。営業の仕事で難しいのは、仕事を断ることである。なぜ難しいのか。それは積み上げてきたものをゼロにすることだからである。労力・時間をかけた分実質はマイナスになってしまうからだ。残酷だけれども、営業は評価されなければ無である。それゆえ、積み上げたものをゼロにするのを営業マンはもっとも嫌う。評価に繋がらないからだ。

「会社のためにプラスにならない仕事を断るのは当たり前だろ」というのは営業をやったことのない意見だ。あっさり仕事を断れる営業マンはおどろくほど少ない。営業マンになったつもりで想像してみてほしい。「期末にノルマ達成が掛かっている瀬戸際で案件を断れるか?」「何度も足を運んで関係を築き、~ちゃん付けで呼び合う仲になった見込み客を土壇場で『サーセン、やっぱウチはウケられないっす』とひっくり返せるか?」「すでに取引のある企業からカネにならない仕事を持ちかけられたとき、断り切れるか?」どのケースも、受けても同僚から非難轟々、断れば上司からノルマ未達で吊るし上げの地獄が待っている。それに加えて、僕の経験からいうと、仕事を断ったとき、何度も裏切り者扱いされた。ハンパな気持ちでは出来ない。そう。仕事を断るときに必要となるのは、ある種の覚悟が必要だ。積み上げてきたものを無にする覚悟だ。言い換えれば、積み上げたものをゼロにしても、また更に積み重ね続けていく、強さ、しぶとさ、である。先に売ることは営業のベースだと述べた。それは、仕事を断るためには、カバーするための売上をあげていることが必要があるからに他ならない。営業の仕事では、売上ノルマを追求するともに、プラスにならない仕事を断ることも大事なのだ。

社内的な事情ばかり考えていたら、売上ノルマ達成はかなわない、という反論もあるだろう。短期的にはそうかもしれない。だが中長期的にはどうか。仕事を断ることで、社内的に関係部署や現場と良好な関係と余裕が構築できていれば、中長期的にはプラスになるはずだ。僕の経験からいって、「営業ノルマやべえ」と悩んでいたときに救いの手を差し伸べてくれるのは、営業部の同僚ではなく、いつも、良い関係にあった他部署の同僚であった。「ちょっと納期キツイけど、やってみようよ」という言葉に救われたのは一度や二度ではない。そのとき僕は自分の考えが間違っていなかったと確信出来た。このように、仕事を断ることが中長期的な視点でみれば、成果につながっていくことも少なくない(確実にとは言えないけれど)。

駆け出しの営業マン時代に、「仕事を選べ」と世話になった先輩に言われたことがある。若かりし僕は、それを「営業サイコー!もうメンド~な客のところには行かなくていいのだ。それを補填する数値さえ上げればいいのだ」と短絡的にとらえていた。数か月の結果の出ない時期を経て、自分の間違えに気づいた。先輩のいう「仕事を選べ」は、会社にプラスになる仕事だけを選び、そうでない仕事は切り捨てる覚悟を持て、という意味だった。そこで求められている覚悟とは、時には、自分のノルマや評価を捨てることも辞さないという強いものであった。その覚悟が多少なりともあったからこそ、僕は、20数年間、営業という仕事で食べてこられたのだと思っている。もちろん、僕も弱い人間なので、営業ノルマ達成のために、「会社にプラスにならない仕事を取ってやる!現場がどうなろうと知らん、僕は仕事マシンなんだー!」という気分になってしまうときも時々あるが…。

長くなってしまった。営業という仕事を続けるためには成果をあげ続けなければならない、成果とは関係者の橋渡しをして良い関係性を築くことである、良い関係性は継続的な成果につながる、良い関係を構築するためには仕事を断ることも必要である、仕事を断るには積み上げてきたものを無にすることを辞さない覚悟が必要となる、仕事を断るには、その分をカバーする売上をあげなければならない。僕の言いたいことをまとめると、営業の仕事は、売上や仕事を会社にもたらすだけではない、時には断腸の思いで、育ててきた案件を断ることも必要、それだけなのだ。今、管理職になった僕は、会社にとってプラスにならないような仕事を断るような、数字にあらわれない営業マンの仕事をどう評価するか頭を悩ませているところだ。営業とは誰でもやれる仕事である。覚悟さえあれば、誰でもできる、実は楽しい仕事なのである。(所要時間43分)