Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

僕らのゆるやかなカーブ

□金曜の夜に月曜からの借り物の日々が坂を下るように終わる。ほとんどがうまくいかないことの積み重ねで、部屋に戻り、一人になると、俺はときどき「なにをやっているんだ」と自分を殴りたくなる。先ずテレビ、次に暖房のスイッチを入れる。暗闇のなかに青白い四角形の光が浮かぶ。コートは脱がない。マフラーも解かない。部屋が暖まるまで俺は「外」の空気を持ち込み、ゆっくりと自分の部屋の空気と中和させていく。深く呼吸をして馴染ませていく。切り替えていく。肺から。身体を。そして俺が観るテレビはいつも、人の営みの残骸だ。


 夜のテレビは人の営みの残骸だ。おいしい料理屋。動物園の人気者。知られざる面白スポット。ささやかな幸せは、儚い華やぎは、きまって昼に現れて、夜が更けるとともに悲しいニュースに散り散りに流されてしまう。殺人。傷害。悲しいニュースの大半は人間同士のトラブルだ。人間が自分と同じ血の流れる人間をキズつける。そんなニュースばかりで俺は悲しくなる。安易な俺は、俺自身のしょぼい日常とニュースを繋げてしまう。本当は人間は一人ぼっちで、誰ともわかりあえやしないのではないか。俺も。誰とも。俺は俺の悲しみをなんとかしなくてはいけない。だが俺は屈服したくはないから、絶対に泣いたりはしない。


◇総務ガールは何かと戦っている。何かに怒っている。いっつも。何に、ってそれがわかったら、ねえ、苦労しない、こないだは、大学ノートの在庫が合わないことに、怒り心頭だったけれど、今朝は、Aカップの神かなんかに対してじゃねえの?知らないけど、って、オッサンにはオッサンの意地、ってかしょうもないプライドがあるから、歩みよる、ていうのも、ね、出来ないわけで、朝なんか、こっちは低血圧で、眼は辛うじて開いていても、頭は寝てる、ていうのに、「ウンチ出して」なんて言われたらさ、判断もクソもないわけで、だって、あんた、ウンチですよウンチ、ウンコじゃなくてウンチ、ウ、ン、チ。


 キッスはおろか、手も握ってないのに、突然、あの、その、ウンチでいいわけ?もっとさ、ステップバイステップ、っての?確実にさ、階段を、登ったほうがいいんじゃないの?、そりゃ、将来的には、スカパラダイスもありなのかもしれないけど、なんて、いや、ビビってるとか、そういうわけじゃなくて、さ、なんて、言うか言うまいか、もごもごしていたら、ぴしゃっと、「検便!早く出す!」と言い残し去っていった彼女が何と戦い、何に怒っているのか、さっぱりわからねえ。


○心も体もバラバラな僕らが分かり合うのは至難なことで、どれほどの時間、労力、気持ちを費やしたところでわかりあえない相手もいる。パーフェクトにお互いを分かり合える相手がいるなら、それは奇跡だ。五十億分の一の確率の奇跡だ。僕はその奇跡の時間が続いて欲しい。その奇跡が少しずつ波及していってほしい。それは言葉によって綴られ語られ受け継がれていく。言葉は僕らを結びつけ、時間や空間を伸縮自在に操り、不可能を可能に、虚構を現実のなかに立ち上げる。


 一方で、言葉は古今東西の神がそうであるように、時に僕らを玩び、時に僕らを引き裂く。言葉は絶対でも完全でもない。だから僕らは言葉を使っては誤解を生み、互いに傷つけあい、憎しみあったりもする。バラバラな僕らは独自の磁場を持った球みたいなもので、ちっぽけなエリアのなかでそれぞれがくっつき、反発し、群れをなし、分裂し、ひとつの世界を形成している。言葉を使って。そして悲しいけれどそれぞれすべての人間がうまく関係を作れないのも事実だ。僕にだって苦手な人や嫌いな人はいるし、逆に、僕を嫌いな人や憎んでいる人もいるだろう。もしかしたら僕に殺意を抱いている人もいるかもしれない。


 ただ、それぞれが分かり合えなくても、理解できなくても、うまくいかなくても、僕らを包んでいる世界を好きになることはできる。それから本気で、ハードコアに愛し合い、憎み合えばいい。分かり合えなくたってちっとも構わない。僕らを囲んでいる、乳房のような、大きく、緩やかな弧を信じられれば、世界を好きになれれば、誰かを傷つけてしまいそうなときにブレーキが掛かると思うのだ。カーブの外に切り離されてしまう恐怖を心のなかに描くことで。僕はそう思う。すべてを包んでいるカーブを信じていられれば、とりあえずオーケーだ。過去や今、分かり合えない人とも、明日は分かり合えるかもしれないのだから。そうだ。僕らは、明日を、明日は、愛することが出来る。僕はそう信じている。