Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

営業マンのスピーチ


 金曜PM6:40。ぶるるる帰宅中の僕のワイシャツの胸ポケットの携帯がふるえた。部長だった。午後七時から緊急営業会議をおこなうとのこと。仕方なく社に戻る。PM7:30。会議室の空気は帰宅していた者、酒を飲んでいた者、パチンコに興じていた者の不満で充満していた。部長のガラ声がよみがえる。「いきなりの呼び出しをやらなくなったら俺じゃないだろう?デキる営業マンは365日360度24時間1秒たりとも無駄にしない…」。すでに1,800秒の無駄な時間が流れていた。

 PM7:45。扉が乱暴にひらいた。部長だ。部長は部屋中を一瞥してから着席し「全員集まっているな…」とつぶやいてから【広域で暴力を行使する団体構成員が愛用しそうな】ブルガリの腕時計を確認し「午後七時半か…まあいい…全員集まっていることが重要だ…」と凄んでから、多少申し訳なかったのだろうか、いつもなら「ててて、てて、て定刻になりましたたたので、会議をはじめる…」というふうに重厚な雰囲気で話を始めるのだが、今日は、「何も言わずに集まってくれてサンキュ…」とどこかドリームズ・カム・トュルーなイントロダクションであった。


 部長はいった。「今度、会長社長と共に取引銀行の重役の前で営業を束ねる責任者として話をしなければいけない…絶対にしくじってはいけないスピーチだ…」。なにが言いたいんだ?当惑する一同をよそに部長はつづけた。「俺だけでも乗り越えられるが俺はヒトラーではない…民主主義だ…。そこでだ…今日はお前たちの浅知恵を借りてやる」。一緒に考えてくれと言えないのだろうか。つーかひとりでやれよ…。


 誰かがいった。「伝えたいこと、ふだん考えていることを素直に伝えればいいのでは?」。他の誰かがいった。「たくさんあるのなら書き出していってはどうでしょうか?」。部長が応えた。「伝えたいこと、考えていることか…特段、ないっ!」。えーっ!と驚いているとみんな僕をみていた。『課長ナントカシテクレ』というような目。「グリーングリーン」を歌っているような澄んだ眼。ファック。「いやいやひとつひとつ挙げていきましょうよ」僕はいった。早く帰りたかった。


 PM8:00。「ひとつひとつ書いていきましょう。部長」僕はホワイトボードに書くよう部長に勧めた。部長はペンを取り、書き殴った。無駄に綺麗な丸ゴシック体で。【何を伝えるか?伸ばす・死守、理念、作る氷魚 リビングに24時間風呂 巨人/4番/ラミレス】…ファック。やる気あるのか?とブチ切れている僕に、部長、やり遂げた感丸出しのうっとり顔で「頭に浮かんだことを書き留めた…」。糞、先が思いやられる。「部長、普段、我々におっしゃっていることを書いてみては?」


 「お、おおお。なるへそ。それなら楽チンだ〜」部長はふたたび書きはじめた。【相手の首をしめあげてイエスといわせろ】【得意先を木っ端微塵】【目をみるな。吸い込まれる】【騙せ】【ノルマ達成できない奴は去れ】【理由や分析はいらない】とても外に出せない文字列が列挙された。当然没。ファック。


 手の施しようがないので「もっと簡単に考えてはいかがですか?」というと部長は「フン…お前らのレベルに合わせてやるか…」と言い返してきたので憤怒のあまり幼児退行を起こしたぼくはそのときほんきでおうちにかえってげーむをやりたいなとおもったけれどやぱりぼくはおとなだからがまんしてかいしゃにいました。ホワイトボードに書き足された文字は悲惨のひとことであった。【クライアントわがまま】【オンリーマネー】【会社は俺だけが変えられる】【NOフラストレーション】【入浴】…ファック。どうして微妙にBOOWYテイストなのだろう。部長には無理だ。でも、せめて挨拶だけはしっかりさせよう。


 部長、挨拶からはじめましょう。「おお、そうだ。はじめよければ終わりよし…」。さあ、どうぞ。本番のように。「えええ、ほほ、本日は。あん?本日は変か、当日は明後日だからな。俺は細かいところにこだわる男だ…」。いいからもういちど、噛まないように。「それでは、えええ、本日は、まあこの本日が指し示すのはあさささ明後日のことなのですが」ファック。無理だ。助けて。続けて。「散々たる皆様にお話するききき奇怪をいた、い頂き」。散々じゃなくて錚々たるです。さんさんたる。さんたるちーあー。もういちど。「曹操たる皆様とにお話させていたたたたたただく奇っ怪を」。シット。【き(っ)かい】ではなく【きかい】です。「機会をいたたたただき…厚〜く御礼申し上げます。」伸ばさない。「わたくしも誠にびびじょく微力ながら…」「今後もたいだなるご協力、おちんから添えを」このような調子でスピーチの練習は遅くまでつづいた。


「…邁進する所存です。」PM10:30。営業部員の時間と忍耐と消費して部長のスピーチの練習は終わった。猛練習の結果、部長はどもり、噛みまくるけれども、それなりに普通のスピーチができるようになったはずだ。これでもう誰も、もう何も、傷つかなくていい。お願いだから、あと二日、あと二日間だけ、今日のこと忘れないでいてほしい。


 部長が僕に100円硬貨をわたしてきた。「なんですかこれは?」「年末に飲み物を買う際に借りた金だ…借りはつくりたくない…」ヘルシア緑茶のペットボトル100円じゃ買えないんだけど…、いいやもう。それから部長は胸をはり、一同を不安にさせる閉会の言葉を、独特なビートで話し出した。「えええ、本日のしょしょしょ諸君からの自発的、かつ、代償をもとめない、誠に微力なお力添えにはまままま誠に感謝している…」


 緊急営業会議はこうして不安を残して終わったのである。で、会議室を出る際。


 「部長、最後の挨拶もいろいろ問題はありますが『誠に微力な力添え』っていうのは本番では絶対に使っては駄目ですからね。【誠に微力ながら】と【多大なお力添え】はきちんとつかってくださいよ」「フン…口のききかたに気をつけろ…お前らはもう俺の先生ではない、ひとりの部下だ…。お前らの力を微力といわなかったら、この時間だ…」部長は腕時計をみた。PM10:45。「お前らの力を微力といわなかったら寝ぼけているお前らには俺の挨拶だとわからないだろう?それに実際、お前らは実際…微力だった…」シット!ファック!