渡部陽一「戦場カメラマンの仕事術」を読みました。
おそらく日本で一番有名な戦場カメラマン、渡部陽一さんが仕事の進め方にスポットをあてて書いた本。エッセイとジャーナリストとの対談集の二部構成。すごく面白かった。僕はもともと開高健さんの一連の戦場ルポタージュの大ファンでその理由は本当に戦場にいるような気分にさせてくれたからなのだけどこの本も同じくらいに戦場を感じさせてくれた。
銃弾が飛び交うなかをカメラを持って走り回るような記述があるわけではない。「現場で前線に入れるとしても、環境が整っていなければ入らない。入るか入らないかという線引きに、意識を向けるようになってきましたね」(168頁)とあるように、現地や国内における人脈作りや営業の仕方、心構えの大切さについて多く割かれている。ひとことでいえば準備論。だが、それが読者を戦場に連れてくるかのような開高健さんのルポとはまったく異なるやり方で戦場の厳しさを際立てている。
幸せの青い鳥は見つからない。
2008年1月4日という日を覚えているだろうか。覚えていない人が多いと思う。慌ただしすぎる毎日はどんなことでも風化させてしまうものだ。2008年1月4日。それは僕がナチュラルにスタンディングした最後の日だ。その日を境に僕はマイナスの方向に生まれ変わり、魔法の青い薬がなければダメな身体になってしまった。1月4日は僕のもうひとつの誕生日として永遠に記憶されるだろう。僕チンの変調との因果はわからないが2008年1月3日にバイナラした女性を僕は酷く憎んだ。具体的には先月末(2016年3月末)まで憎み続けた。大きな岩石のような憎しみは流れていく時間により砕かれ、削がれ、今は鋭利な刃物のようになっている。一方、バイナラした女性は共通の知人と結婚出産。その一連をフェイスブックという残酷なサービスにより僕は知ってしまった。「幸せを皆様にシェアしたい」と考える無邪気な残酷さは発信する側には一生わからないだろう。それでいい。僕もシェアする側になったら不幸な人の気持ちをイライラさせてみたいからだ。僕が魔法の青い薬で苦しみ続ける一方、幸せの青い鳥をゲットしている人間がいる。散るぞ悲しきとチルチルミチル。人生とはなんて不公平なのだろうか。そういう不公平を正そうとする姿は外からみれば滑稽でバカバカしいけれど、とても愛おしいものなのだよ、人間なんだよ、などと胡散臭いことは言いたくない。僕は資産家や一流芸能人の家に生まれたかった。そうすれば無駄な恋愛や転職活動でしくじり続ける苦労を知らずに済んだのだ。くっそー。僕は鋭利な刃物になった憎しみを彼女に向けようとは思わない。惨めで意味がないからだ。その怨念でつくられた刃物は自然に錆びることはない。己に向けて叩き折るしかない。真ん中の足への冷水、熱湯。SM用低温ろうそくは熱いだろうか、冷たいだろうか…。僕はこの際限ない憎しみが消えてくれる日を信じている。だが風呂場で股間をいじっているだけではダメなのだ。幸せにならないと。僕も幸せの青い鳥を見つけたい。その一心で、某インターネットサービスで「女子大生」「JD」という言葉で執拗に検索をかけ続けているが、まだ、見つからない。チルチルとミチルはどうやって幸せの青い鳥を見つけたのだろう…。そして僕は気づいてしまう。探していた幸せが既に手中にあることに。僕は見つけた。僕の手の平の上から罵詈雑言を浴びせ続けてくるツイッターの青い鳥を。(所要時間11分)