Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ディアトロフ峠事件の真相に迫る『死に山』は、失われた冒険心に火をつけてくれる魂の一冊だからみんな読んで。

「死に山」は、僕が今年読んだ本のなかで最高に面白い一冊のひとつである。だから多くの人に読んでもらいたいと思っている。一方で、最初にいってしまうと、ノンフィクションとしては不出来な面もある。なぜならこの本で明かされる真相について、客観的な検証がなされていないからだ(あるいは足りない)。それを踏まえ、この本の面白さを、ひとことで語ろうとすると「川口浩探検隊」となる。つまり、オチなんてどうでもよくなる、冒険心に火がつくような体験と途中経過の面白さである。

「死に山」は、約60年前に旧ソ連で起きた怪事件「ディアトロフ峠事件」の真相に迫るアメリカ人ジャーナリスト、ドニー・アイカー渾身のノンフィクション本だ。大学生を中心とした登山グループが真冬のウラル山脈の一角で、9人全員が謎の死を遂げた事件である。旧ソ連、上からの圧力による捜査打ち切り、捜査当局の出した結論「抗いがたい自然の力」、目撃された謎の発光体、内側から切られたテント、靴をはかず薄着の遺体、舌の喪失、遺体から検出された放射能。それらの謎が謎をよび、陰謀説やUFO説などあらゆる説が唱えられた未解決事件である。ディアトロフ峠事件 - Wikipedia

帯カバーにあるような「世界的未解決遭難怪死事件」かどうかは知らないが、僕は、小学生の頃からこの事件の概要は知っていた。UFO関係の話で取り上げられていたような、かすかな記憶はあるが、遭難事件というよりはオカルト事件のひとつとして取り上げられていたのは間違いない。「死に山」において著者が辿り着いたディアトロフ事件の真相が明らかにされていはいるが、それが真相かどうかはわからない。きっと永遠に解明されないだろう。ただ、ひとついえることは、この「死に山」が辿り着いた真相が、オチとしては地味ではあるもののの、「もっともらしい」のは間違いない。そのあたりは川口浩探検隊が「ホニャララは実在した!!」とタイトルばかりは勢いがあるけれども、最終的には地味なもやもやで終わってしまったのと少し似ている。

 「死に山」で描かれている冒険は3つある。ひとつめとふたつめは1950年代。ディアトロフ峠事件に巻き込まれてしまった登山グループの冒険と彼らを捜索するグループの冒険。そしてもうひとつは2010年代。事件を追う1人のジャーナリストの冒険である。1950年代のふたつの冒険のパートは、遭難する登山グループがごくごく普通の大学生のグループであったことを示す数々の写真とまるで冒険小説のように活き活きとした描写でぐいぐい読ませるが、それよりも僕が魅かれたのは事件の真相へ迫ろうとする2010年代の冒険である。

アメリカ人の著者は極寒の事件現場へ赴いていく。冬山装備を揃え、同じように事件を追い事件を風化させまいと活動している奇特なロシア人の家に泊まり、準備を整えていく。僕が好きなエピソードは、登山グループの生き残りとの邂逅だ。生き残りの老人は、事件を旧ソ連の陰謀として当時の体制に対して批判的でありながらも、一方で、旧ソビエトの体制と当時の生活へ愛着を見せる。一個人の中でロシアと旧ソビエトへの愛憎がごちゃごちゃになっているのだ。そして脇にいる通訳が旧ソビエト時代の話に露骨に嫌な顔を見せる、大きな変化のあった国に生きる複雑な人間の心を垣間見るようなエピソードだ。

アメリカに住むジャーナリストが60年近く前のソビエトの事件に興味を持ち、貯金とクレジットを使い果たしてまでのめり込むのか。なぜ、彼が妊娠中の恋人や生まれたばかりの子供を家に置いてまでして、ディアトロフ峠へ向かわなければならなかったのか。その、クエスチョンに本書(著者)は明確な答えを用意していない。我々読者たちも同じだ。おそらく読者は60年前のミステリアスな事件にドラマチックな解決があるとは思ってはいない。なぜなら、もし、このような世界的な事件に、明快な解決があるならば、すでに情報として流れているからだ。それなのになぜ、この事件に係る本書を読むのか。この冒険に引き込まれてしまうのか。ロマンなどもうこの時代には残されていないのに!

そのクエスチョンに対する答えは、誰もがそれぞれのディアトロフ峠事件を持っているからだと思う。ある人にとっては子供の頃に見たはずのUFOかもしれない。突然切れだす人や煽り運転をするバカの内心、また別のある人にとっては、日常生活における些細な引っ掛かりかもしれない。僕らは忙しい毎日の中でそれを見て見ぬふりをして流しがちだ。そういう生活の上で解明する必要のないミステリー、つまりディアトロフ峠事件に突き進んでいく著者に僕らはどこかで憧れを抱き、自分自身を重ねてしまうのではないか。少なくとも僕はそうだった。

僕は冒頭で「死に山」が辿り着いた真相を、オチとしては地味、と述べた。確かにその真相を単体で見てしまうとそう見えるだろう。だが、事件から60年後の現代から事件をアプローチして、現場に赴き、客観的に陰謀説等々の無理矢理さを排除していくくだりは派手ではないが知的でスリリングだ。そのオチを見たまま地味ととらえるか、研ぎ澄まされたソリッドな真実ととらえるかは、読む人に委ねられているのだ。本当に面白いから読んだ方がいい。おすすめ(所要時間27分) 

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

 

 

私は老害になりたい。

最近、「老害」といわれることが多くなった。44歳、人生の黄昏である。もし、僕に対する悪口のつもりで「老害じゃん…」「老害になりそう」と仰っているのなら、残念ながら逆効果である。忌避されると喜んでしまう、好戦的な性格と厄介な性癖が、僕にはあるからだ。そして、なにより、僕自身が老害になりたいと考えているからだ。それも一刻も早くに。

なぜか。自分の考えを持っていれば、誰でも老害になりうると気付いたからだ。つまり、老害は自分固有の考えや価値観を持っている証拠ともいえる。自分の考えや価値観が他の世代と合わなければ、結果的に老害扱いされる。たったそれだけのことだからだ。実際、僕の人生において糧になっている先人の方々を振り返ると、本当に尊敬できる人生の先輩数人をのぞけば、老害と呼べる人ばかりだ。「アホかよ」「こんなバカにはなりたくない」という反面教師的であったが。老害とまではいかなくても、部活やサークルのOBが現役世代にあれこれ言ってくると、たとえそれが正論であってもウザがられるものだ。

 そもそも老害とは何だろう。老害という言葉から僕が連想する人物は、某大新聞トップW氏、元東京都知事兼作家I氏、元総理兼東京五輪組織委員長のM氏、元上司のK氏である。シンプルにまとめてしまうと、「自分の考えを曲げず聞く耳を持たない、それでいて現役世代に対して相応の影響力を持っている(持っていた)老人」。現実を見ていない、現実についていけていない、という批判を受けているのも要素のひとつだろう。だが、余程のバカでないかぎり、人は、年齢や経験を重ねて、自分の考えや価値観を、数多の修正と変更を経て、補強し強固にしていく生き物ではないか。子供の頃と同じレベルで柔軟性を発揮して考えをコロコロ変えられるのは、記憶力の皆無のアホか天才くらいだ。つまり程度の差こそあれ、誰もが老害になる。そして、強固な考えを持った年長者が下の世代からウザがられるのは人類の歴史と部活OBが証明するように、仕方ないことなのだ。

 下の世代からみれば年長者の考えというのは、少なからずウザいものである。それが正当なものであってもウザいし、間違っていればなおのことだ。たとえば、エレベータを待っているときに、見知らぬ老人から昇降ボタンを押せと強めに言われたとき、どう感じるだろうか。一般的に、昇降ボタンを押すのは先に待っている者の役割なので、老人の言っていることは正しい。それはわかる。だが、なんでそんな強めに言われなきゃならんのだ、ちょっと人生の先輩なだけのくせにウガ―!と思うのではないだろうか。「この老害!」と心の中で叫ぶ人もいるだろう。先に年長者がウザがられるのは仕方ないと述べたが、下の世代がウザがるのもこれまた仕方のないことなのだ。自分の考えや価値観を補強するために、老害という仮想敵を設定するのは極めて有効な手段だからだ。「老人は凝りに固まった考えしかできないけれど、フレッシュな僕らならまるで柔軟剤で柔らかくしたようなアイデアが湯水のように出てくるよ!」みたいな。つまり年長者を老害とみなし、けなすことで自分の考えを補強してアイデンチチーを確立しているのである。

 自分の考えを「補強」した結果、年長者は老害になり、若い世代も自分の考えを「補強」した結果、老害を貶しているのだ。非常によく似ていると思う。ここから導きだされるのは「世代は超えられない」という諦めに近い認識を持つべきということだ。わかりあえないということをわかりあうべきなのだ。ときどき、意識が少々高い30代の「いい大人」が、若者サイドに立って「自分たちは若い世代、老害は去れ」などとウザいことを仰っているのを見かけるが、世代という概念にとらわれているかぎり、かなり高い確率で当人が老害になると僕は見ている。

僕は自分の考え方が凝り固まっていると自覚している。レッツ・ゴー・老害は免れられないだろう。今は、一刻も早く名実ともに兼ね揃えた老害になりたいとさえ思っている。どうせ老害になるのなら、立派な老害になりたい。ところで、いい老害とは何だろうか。「金は出すが口はださない年長者」が最高の老害とすれば、「金は出さないうえ口も出す年長者」は最悪のそれになるだろう。僕はせめて「金も出すが口も出す」立派な老害になりたいと思っている。金を払うのは「文句言い料金」のつもりだ。

かのマッカーサー将軍の有名な演説「老兵は死なず、ただ消え行くのみ」。素晴らしい心境だと思うが、消えゆくのみなんて、僕はイヤなのである。実につまらない。将軍はフィリピン奪還作戦を「アイシャルリターン」という言葉をかかげてド派手にやり遂げた経歴があるから、ただ消え行くのみという心境に達しても、あの人はデカいことをやったからね…と思える。だが、人生においてアイシャルリターン的なことを何も成し遂げていない平凡な僕らが、ただ消えていったら、ガチに消えるだけだ。寂しいかぎりでははないか。

若い世代に疎まれるのを極度におそれて、考え方に変更を加えたり、発言を控えるような人生にだけはしたくはない。それで老害と言われても僕は構わないし、言われるくらいでちょうどいいとさえ思っている。老害を突き詰めていって、「ただ消え行くのみ」の域に到達できたら、いい。はやく立派な老害になりたい。(所要時間28分)

44歳のオッサンがひとりでディズニーランドへ行ってきたよ。

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風邪をこじらせた妻の代わりにディズニーランドへ行ってきた。男44才、実に11年ぶり2回目のひとりディズニーランドである。(11年前/2007年9月一人でディズニーランドに行ったよ - Everything you've ever Dreamed)僕に与えられたミッションは、クリスマス限定グッズの購入と、イベントや飾り付けの模様を撮影してくること。意味が分からない。なぜ、行かねばならないのか。妻「高額なチケットが無駄になります」。日付変えて行けばいいやん、という意見は、年内は予定がいっぱいです、期間限定のグッズを入手できなかったらどうするの、とえらい剣幕で退けられた。「行かないとどうなるの?」「おそろしい災厄に見舞われます…」。だそうです。妻からは詳細な工程と付箋を貼ったガイド本を渡された。「このとおりに巡って買って撮ればオーケーです」と妻は仰っていた。そんな決定権がお前にあるのか!と反論したいのをグッと堪えてひとこと「御意」と言った。耐え難きを耐えるのも大事なのである。

もともと休みを取るつもりだった。部下に休暇の予定を質問されたので、正直に、「ひとりでTDLへ行く」と言った。するとその部下は、心から落胆したような溜息をつき、「僕らに気を使って遊び人を装わなくてもいいんですよ…」と言いました。きっつー。妻のプランは開場最低1時間半前に現着が必須となっていた。「何時開場?」「朝8時」「ジーザス!」妻の言葉を信じて朝5時に家を出て6時半に現地に到着したけれど、11月30日は特別に朝9時開場でした。舞浜に神はいない。結局、僕は朝6時半から夜9時半までひとりでディズニーに滞在した。管理職にとって、15時間の長さの時間は貴重だというのに。妻の求めるイベントやパレードの撮影、グッズ購入をほぼ完璧にこなした。

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▲当日は、35周年とクリスマス・イベントでした。

それだけでなく妻が組んでいた工程通りに行動し、アトラクションにも搭乗してきたので褒めてほしい。アトラクションから降りたところで心優しい人に声をかけ撮影していただいた画像を時系列に沿って貼っておく。

よく、ひとりディズニーといって、浮かれてしまう輩を見かけるが、一緒にしないでほしい。淡々と仕事をこなす、プロの仕事ぶりを見てもらいたい。

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1.モンスターズインク(9:37)  楽しかった。テロリストじゃないぞ。

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2.ホーンテッドマンション(10:57) クリスマスバージョンが可愛かった。テロリストじゃないからね。

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3.バズライトイヤー(11:17) 手に汗握った。光線銃当てるの難しい。テロリストじゃないからね。

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4.カリブの海賊(11:42) 最初どーんと落ちるの失念して焦った。テロリストじゃないから!

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5.スターツアーズ(12:29) 油断してたら少し酔った。テロリストっぽいな。

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6.スペースマウンテン(12:56) ぐるぐる回った。説明にあった急停止はどこいった。日常に戻ったテロリストっぽい。

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7.ジャングル・クルーズ(14:36) 船長さんトーク面白いね。任務完了したテロリスト。

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8.イッツ・ア・スモールワールド(16:08) リニューアルしてポップになった。世界はひとつを唄うアトラクションで世界分断を誓うテロリスト。

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9.スティッチ・エンカウンター(17:41) スティッチよくしゃべる。よくできている。スペース・テロリスト。

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10.ウエスタンリバー鉄道(19:05) 乗ったのは小学生以来かも。鉄道施設を爆破するために闇にまぎれるテロリストじゃないから。

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11.番外編 シンデレラ城をバックに。目が暗い。
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▲当日の格好(インスタグラムより)


どれも同じカッコで申し訳ない。髪ぼさぼさ、髭ボーボー、隠すための格好だったのだが、よくいえばテロリスト、悪くいえば変質者にしか見えなかったかも…。でも、ほんの少しの勇気とタフさがあれば、オッサンでもディズニーは楽しめるとだけは言いたい。オッサンズ・ビー・アンビシャスだよ。夜11時に帰宅してお土産とデータを納めたら、妻から「大儀…」のひとことと、欲しくて欲しくてしかたなかったニンテンドースイッチを頂戴したので良かったです。

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 (所要時間約16時間)

 

優しすぎる妻の優しくない現実

元貴乃花夫妻の離婚はショックだった。仕事環境の変化。たびたびの別居。年齢差。僕が直面している問題と少なからず似ているからだ。たとえば、変化についていうと、妻が別居先のご実家から帰還してから2週間、どうも様子がおかしい。別人のように優しいのだ。「今日は風が冷たいから風邪をひかないように」「枕カバーが臭う前に洗いましょう」…そういう慈しみが妻の言葉から感じられるのだ。以前なら、僕が風邪を引いたり、僕の枕カバーが臭い出したりしたら、妻から「バイキンマンにバイバイキーン!」「汚物は消毒!」と罵声を浴びせられ、ファブリーズをかけられていたので、こうした変貌を素直に受け入れるのはなかなか難しい。別居中に、彼女の人生観や言動を変えるような出来事があったのだろうか。想像妊娠。肉親の死。あるいは別の何か。だが、親族の不幸は確認できていないし、「ソーゾー妊娠してる?」と彼女に訊く勇気も僕は持ち合わせていない。そもそも僕の理解が間違っているのかもしれない。別人のように、ではなく、別人かも。一人焼肉から僕が帰ってくれば「食べすぎ注意」と気遣いの言葉をくれるし、たった12桁のマイナンバーを訊いても「わかりません」の一点張りで答えられないし、受けたはずの魔女検定の存在をすっかり忘れているようだし、僕と妻の洗濯物をドラム式洗濯機で一緒に洗っても平然としているし、真夜中に泥酔して米津玄師さんの「フラミンゴ」の物マネ、手足クネクネ、フラフラフラ~ってやっても何も言わないし…、別人としか思えないが、「近い人間が別人になっている」と疑う前に、大人なら、まず己のカプグラ症候群、ソジーの錯覚を疑って、強い意志をもって医師の診察を受けるべきだろう。だが、僕の誕生日を間違って答える妻の姿を見たとき、僕は妻が別の何かと入れ替わっていることを確信した。妻になりすましているのは宇宙人か、あるいは、見た目がそっくりな義理の妹。確かめるにはどうすればいいだろう。義理の妹には着信拒否されている。すごく無粋で荒っぽい手段になるが、僕の自信の源である股間のパオーンを開示すれば、本人かどうか判断できる気はする。いや。無理だ。パオーンは識別ツールとして無効であることを僕はすでに知っている。20年も昔に、ジョン・ウーの「フェイス・オフ」という映画が教えてくれたではないか。「フェイス・オフ」は、FBI捜査官とテロリストが顔を入れ替えるというアホ設定で、FBI捜査官の顔になったテロリストに捜査官の嫁さんが気付かない、つまり、夜の生活、いくら頑張って腰を振っても、股間のパオーンで人間は識別できない、という悲しい現実を僕に教えてくれた…。

つー感じで僕は、目の前にある現実を、妻が何かと入れ替わっているという物語へ、強引に落とし込もうとしている。

なぜか。

いいかえれば、変わってしまったこととは、何かが終わってしまったことでもある。終わってしまったことを、受け入れ、認めるのは、なかなか難しいときもあるのだ。妻は、箱職人の義父のもとで修行している。夏のある日、実家から帰ってきたとき「何か見つけたかもしれません」と妻は言っていた。そのとき、僕は、ふーんそーなんだー、よかったねー、と軽く受け流し、妻も「キミはいつもそんな感じだよね」といってごくありふれた日常の一部に閉じ込めてしまったけれど、今は、あれは流してはいけない、悟りや開眼をあらわす言葉だった気がしてならない。高校生の頃、一緒にメタリカを聴いていたアホが、東大、ハーバードを経て、ハイパーな人生を送っているのを後日知ったときに覚えた、高いステージに上がっていく人間に置いていかれる感。少々汚物扱いされているとはいえ、ほぼ同じ高さの目線で話が出来ていた存在から、どうでもいい存在にランクダウンされる感。そういう感じをごまかし、妻を同じ高さに置いておくために、僕は「妻が別人」説を持ち出し、信じようとしていたのだろう。いってみれば、これは妻の人間的成長を喜べない、僕の矮小な人格の証拠なのだ。きっつー。もう少し時間が経って、新しい世界を見つけて成長していく妻を素直に喜べたら、いい。こうして、自分なりに最近の妻との関係性を総括したつもりだが、優しくなった妻が、告知も前振りも予感めいたものもなく、ニンテンドースイッチを僕のために買ってきてくれたら、これまでのちっぽけな自尊心や拘泥や方針など放棄して、僕は心の底から妻と妻の成長を祝福できるだろう。僕はその程度の人間なのだ。そして、今朝、食卓で耳にした「キミはいつもそんな感じだよね…」という妻の口癖が、前とは違う意味を持っているように今の僕には思える。(所要時間22分)

とあるブロガーたちへの鎮魂歌

「最初は、小銭が稼げればいい、それくらいの軽い気持ちだった。だから、始めたきっかけも忘れてしまった。ある日、僕は自分の身の回りや会社での出来事をただ綴っているだけのブログに広告を貼った。思ったよりカネになった。そのことをブログやツイッターに書くと、スゴい羨ましいと言われた。嬉しかった。より目立つところに、より大きな広告を貼った。もっと大きなカネになった。会社で働くのがバカバカしくなった。ツイッターやブログで収益を発表すると、より多くの人がスゴいと褒めたたえてくれた。超嬉しかった。金額が多くなれば多くなるほど褒めてくれる人は増えた。スゴいスゴいスゴい。勉強やスポーツでもパッとしなかった青春。学校や会社での、うだつのあがらない人生。成功者たちを指を咥えて眺めているだけの時間。アイキャンフライ!そんな今までの僕に別れを告げるときが来たのだ。雑記ブログといういい加減な言葉を免罪符に、いかに広告を見せ、踏んでもらうかに注力した記事を書いた。何を書いたかは覚えていない。その頃には、主要コンテンツは記事でななく、広告へと変わっていたからだ。これもカネになった。スゴいスゴいの声は多くなるばかりで嬉しかった。金融商品や仮想通貨をブログで勧めた。一介の会社員にすぎない僕の勧める投資や金融を信じる人がいるとは想定外だったが、カネになった。「カネになる」「カネを稼いだ」は、内容がなくても、それ自体が、一部の読み手にとってはコンテンツになると気づいた。既存のブログサービスは退会した。《商売気丸出しの怪しげなコンテンツを載せてはならぬ》という規約に抵触していたから、という本音は、《自由なフィールドでブログを武器に戦ってみたい》という綺麗事で隠した。それすらもスゴい流石っすね、と褒められ、カネになった。すでに会社は辞めている。「会社を辞める」がコンテンツになると気づくのに時間は要らなかった。たいして苦しくもない、社畜でもブラックでもない環境下の会社生活であった。だが、あえて会社を仮想敵にすることで、コンテンツを単純化・訴求力あるものにした。これもカネになった。より多くの人がスゴいと褒めてくれた。ブログブログブログ!社畜社畜社畜!ブラックブラックブラック!稼いだ稼いだ稼いだ!ベイビーアイムアブログスター!ブログで稼ぐこと自体がコンテンツなので、僕が僕であるために稼ぎ続けなければならない。カルビが特上カルビになった。行きたくもないが旅に出た。飲んだことのない高い酒を飲んだ。やりたくもないパーティーを開いた。ツイート、ツイート、ツイート。リツイート、リツイート、リツイート。PV、PV、PV!!!ブログを読んでくれる人から直接カネを徴収することにした。クローズな課金制の媒体で、ブログの書き方という内容の薄い記事を書いた。これも売れた。薄いだけの内容が、初心者向けで分かりやすいという感想に謎変換され、褒められた。課金と閉鎖性は魔法だ。読む人と書いてあることが同じでもブログとは違う場所で書くと違うものに見えるのだから。同じような出自のブロガーとお互いのコンテンツを購入し褒め合うことで見た目の売上と宣伝効果を狙った。また、会社を辞めたコンテンツを、特にドラマチックでもなかった退職劇しかない、僕が一人で書き続けるのはしんどいので、有志を集い、自由な言論の場を与えるという名目で記事を書いてもらうことにした。これもカネになった。もはや会社員時代には考えられない額。もうあの頃のしょぼい自分には戻りたくない。ブログで紹介した仮想通貨や金融商品についてはご利用は自己責任という逃げ道をつくってある。読んでくれた人が損をしても僕に罪はない。だいいち、夢にリスクはつきものだろ?そう、僕は夢を売っている。ブログで稼ぐという夢を。この夢は僕だけのものではないのだ。雑記を掲げたブログでは、もうカネのことしか書いていない。それで構わない。カネのことしか書けないのだから。「会社辞めた」も「カネを稼いだ」も全部カネのためなのだから。後戻りは出来ない。今宵もブログ初心者のために、彼らに夢を見させるために、いや僕のカネのために、カネを生み出すブログの書き方を、薄く、小出しにしよう。小金持ちアッピールをツイッターでするのも忘れないようにしないと…、あっ!そろそろ年末なので、ブログ収益とPVの記事を書かなければなるまい。ブロガーと己の夢とカネのために!自由を生きているステキな僕らのために!更新が苦しいときは僕を見てほしい。ブログで人生は変えられるよ!稼いだ稼いだ稼いだ!カネカネカネ!贅沢贅沢贅沢!ベイビーアイムアブログスター!」


こんなブロガーにだけはなりたくないと思いながら、細々とブログを続けている。おかげさまで、ブロガーとしての僕は自由だ。自由に使えるカネが大きくなっても、カネに縛られて自由を失ったら社畜と変わらない、無意味だ。他人を騙さず、己の自由を守りながら、ブログで稼ごうとするなら正攻法でマトモなコンテンツを書き続けるしかないと僕は考えている。(所要時間25分)