Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

新人を戦力にするために必要なことは何だろう。

隣の部署に在籍する新人君が仕事中に居眠りしてしまうことが問題から大問題となり部長会議のトピックになってボスから意見を求められたとき、完全に他人事と思っていた僕は「切るのは簡単ですけど彼にも素晴らしい個性や良いところもありますからねー。バッサリ切ってしまうのは僕ら大人の無責任と怠慢ですよ」ともっともらしいが無責任な意見を述べさせていただいた。そしたらボスが「そのとおり」と同意して環境を変えて様子をみることとなり、「じゃ、営業部で」とサクッと決められ、僕がその居眠り新人君の面倒をみるはめになった。2ヶ月の期間限定ではあるが、そのあいだに当該新人君の仕事に対する意識や態度を改めさせなければならない。

難しいのは「彼は営業部がぴったりだ。正式に営業部員になってもらう」という事態にならぬよう、改善をほどほどにおさえなければならないことである。だってそうだろう?入社早々、トイレの個室でイビキをかいている若者とは個人的にはお付き合いをしたくない。期間を終えたら速やかに、他の部署へどーぞどーぞするのがベターなのである。 

まず新人君と話をして、あらためて病院の診察を受けるように指示を出した。「しばらくは僕と一緒に仕事をしてもらうから」と言い、「居眠りする原因に君なりに心当たりはあるかい?」と、直球すぎるかな、ハラスメントにならないかな、とビビりつつ質問すると「もしかしたら、まったく眠くならないので毎晩深夜3時近くまでゲームで遊んでいるのが原因かもしれません」と豪速球が反ってきた。うん。原因それだね。ゲーム楽しいもんね。「せめてこれからは1時にはゲームやめようか」「やれたらやってみます」これは想像以上の難敵…と覚悟を決めたのはそのときである。

先日、外回り営業にも同行してもらった。「俺、運転しますよ」と言ってきたので運転を任せた。自信満々なのはレースゲームで腕に覚えありなのだろう。しかし数分走行したあたりから、あくびを連発しはじめ、僕が「信号青になったぞー」「黄色だっつーの」と大声で教えないとわからない状態になったので、途中で運転を替わった。そのまま助手席に移るのかと思いきや、ちょっと光が当たるとアレなのでつって後部座席に乗り込む新人君。なぜ、僕が運転手ポジで、彼が重役ポジなのか、納得できない。これでは後部座席で激務の合間に睡眠を取る若手実業家と年老いた専属運転手みたいではないか。僕は「2ヶ月、たった2ヶ月」と心の中で繰り返してやりすごした。

マンマークに近いかたちで仕事ぶりを観察しているので、彼がトイレの個室を半刻占拠するような露骨な居眠りはなくなったが、それでもデスクで大型船を漕いでいるときがある(任せた仕事はきちんとやってくれているけど)。営業部は日中、人が出払ってしまうので油断するのだろう。僕は駆け出し営業マン時代に先輩からの教わった営業心得を彼に伝えた。

「営業マンは同僚からも客からもナメられてはならない!飲み過ぎた次の朝は早めに出社しろ(二日酔いするべからず)!朝寝坊して遅刻しそうになったら午前休にしろ(遅刻するべからず) !仕事中に眠くなったら表に出て外で寝ろ!(居眠りするべからず)  」

というどうしようもない教えであるが、新人君は感銘を受けたらしく、以来デスクでうとうとする姿を見ていない。そのかわりに意味不明なショート外出が増えてしまった。きっと彼は猫なのだろう。猫は死ぬとき姿を消すと聞いたことがある。親友のまちゃき君のとこのポチも姿を消したしなぁ…と小学生時代を思い出していると新人君が帰ってくる。彼は生きているのだ。

「ゲームやってると眠くならないのか?」「なりません。集中しているので」「じゃあ仕事でも集中しようよ。何でもいいからさ、集中できる仕事を見つけていこう。2ヶ月間は僕も手助けするからさ」「ありがとうございます」僕の言葉が響いたのだろうね、営業にかかわるあらゆる仕事に興味をもって、挑戦する姿勢を見せてくれるようになった。良かった。彼が何かヒントをみつけてくれるといい。そして、あまり営業部に染まることなく2ヶ月を過ごしてくれればいい。

そんなふうに思っているそばで、先ほどから新人君が任せた仕事の合間に妙な行動を見せている。シャープペンの芯を、折らないよう最新の注意を払いながら、シャープペンのお尻ではなく先端からゆっくりと差し入れているのだ。作業が終わると芯を取り出して同じことを繰り返している。先端が気持ちいいのは否定しないけれど、まさか、これが、集中できる仕事、なの、か。きっつー。いや、彼は間違っていない。何でもいいと言ったのは僕だ。つまり悪いのは僕。まだ2ヶ月は始まったばかりだが、長い長い2ヶ月になりそうである。もし、彼が居眠りの兆候を見せたら子守唄を歌う準備は出来ている。今、僕は彼の漕ぐ船に乗っている。だが一緒に沈むほどの義理はない。船を選ぶ権利は誰にでもあるのだ。(所要時間24分)

『空母いぶき』炎上でツラい記憶が蘇った。

「空母いぶき」という新作映画に首相役で出演している俳優さんが、現職総理を貶めるようにキャラクターを変更したと発言して大炎上していた。おこづかいが少なすぎて、すでにコナン君とピカチュウ君の探偵映画2本を鑑賞してしまった僕に、当該映画を観に行ける余裕がなく、どのように貶めているのか、自分の目で確認できないのが残念でならない。そういう事情があるので、あまり人の病気を揶揄するのは感心しないなあ、という薄い感想を持つだけである。薄口すぎて、激烈な反感を覚えた人には申し訳ないくらいだ。

それでも、反感を持ったり、強い怒りを持つ人の気持ちはよくわかる。原作の設定にどれほど意味があるのかわからないが、愛着を持っている人からしてみれば、首相というキャラクターを腹くだしキャラクターへと変えられるのは、「改悪された!絶対に許せない!」となるだろう。正義感の強い人からみれば、たとえ現職総理のやることなすことアベノミクスや消費税増税が気に入らなくても、「病気(潰瘍性大腸炎)で苦しんでいる人を揶揄するのは間違っている!絶対に許せない!」ということになるだろう。

僕は現職総理の苦労が少しわかる気がする。彼が患っていた病気とは少々違うが、僕も胃腸では人並み以上に苦労したからだ。子供の頃、僕はよく腹を下していた。毎朝「飲まないと大きくなれないよ!」と親に言われて飲まされていた牛乳が体質的に合わなかったのだ。腹がピーゴロゴロになってもトイレへ駈け込めばいい。だが、草野球で守備についているとき、あるいは攻撃時にランナーで塁に出ているときにピーゴロゴロになってしまうと大ピンチになる。フォアボールで一塁に出塁したときにピーゴロゴロに襲われたことがある。ピーゴロゴロのゲリピーなのでリードが出来ない。味方からは「なんでリーしねえんだよ!」敵からは「ランナーびびってる!」野次られる。問われるケツ筋力。流れる脂汗。そこへ人の苦労も知らずに、味方がピッチャーゴロを打つものだから、二塁へ走りだした瞬間に、僕はピーゴロゴロを漏らしてしまった。それからしばらくの間、当時中日ドラゴンズに在籍していた助っ人の応援歌でバカにされる日々がつづいた。ゲーリー!ゲーリー!ホームランー!あの屈辱の時間が僕の人格を歪めたのは間違いない。この経験がなかったら、「空母いぶき」で総理役を演じた俳優さんの発言に対して何の感想を持たなかっただろう。人間は、自分で経験したことだけしか、正確に想像できない生き物だからね。人の苦労がわかるというのは、わかったつもりなだけなのである。

「空母いぶき」の炎上現象で、個人的に興味深いのは、ツイッターで「うわ!こんな非常識な発言をする俳優が出演する映画は観たくありません!」「原作に興味があったので観るつもりでいましたが、観ないこと決定!」と映画を鑑賞しないとわざわざ表明する人である。僕が知るかぎり、彼らのツイートを辿っていっても「空母いぶき」鑑賞表明をしている人はいなかった。鑑賞を表明していないのに「観るつもりだったけれど私は観ません!」と意思表明されても、本当に見るつもりがあったのかわからないし、抗議の意味で鑑賞しない意思を表明されても、もともと観るつもりのなかった人が鑑賞しなくなるだけなのであまり興行成績には関係がないのではないかな、と意地悪に思った次第である。ちなみに僕はこの炎上騒ぎがなければ映画の存在に気付かなかった派。まあ、件の俳優さんの発言は受け止め方によっては、それなりの批判を受けても仕方ないよなーとは思う。それだけ。(所要時間16分)

とある飲食店の緩やかで幸せな終焉

「違う、違う。そうじゃ。そうじゃない」とどこかで聞き覚えのあるフレーズで、提案を却下されてしまった。言葉の主は、個人で飲食店を数店経営しているオーナーさん(推定70才オーバー)である。仕事関係から、相談にのって欲しいといわれ、紹介された案件。オーナーさんからは「飲食店の経営が火の車なので、なんとかしてほしい」といわれた。最初に、知り合いの士業の人を入れて、個人でやっている店にありがちな、どんぶり勘定を改善させた。あわせて、勘に頼った食材仕入れと在庫管理をウチの会社のノウハウで正常なものにさせた。「海ぶどう定食」や「のりのりラーメン」のような1年以上も提供された形跡のないメニューもあったので、すみやかに廃止した。

 最大の問題は、集客がうまくいっておらず、1店舗だけでも苦しいのに、3店舗運営していることだった。そのうえ3店舗とも人が入らないランチ運営をやっており、深夜、閉店するまで毎日スナック形態で営業。慢性的な人不足もあって、シフトをうめるのにも苦労していた。売上は右肩下がりで、労務費は増える一方、グループ全体で赤字を計上していた。このままでは近いうちに潰れるような状況だった。

 活路はあった。3店舗中、閑古鳥がカーカー鳴く頻度の高い2店舗を閉店し、1店舗にしぼって運営すれば、人不足も改善され、客のいない時間帯に店をあけているようなムリムダムラがなくなり、ギリギリでいけるのかな、と。それでもダメならランチ運営もやめて、申し訳ないけど従業員のおばちゃんには辞めてもらって、夜の運営に絞ってやればいい。面白みはまったくないが、確実に成果の出るやり方だと思った。今のスタイルで店を続けるためにはこれしかない、という自信があった。提案にまとめてプレゼンした。その結果が、違う、違う、そうじゃ、そうじゃないであった。

 「これじゃね。意味がないんだよ」と彼は言った。「どういうことでしょう。確実にお店は守れますよ」「それはわかるけどさ、意味がないんだよ。そういう守り方はちがうんだよ」意味が分からないのはこちらである。「どういうことでしょうか」と質問すると「このやり方ではウチの店の存在価値がないんだよ」と教えてくれた。オーナーの言いたいことは以下のとおりである。

《ウチは地元の人たちに支えれている店である。何十年もお世話になってきた。苦しいときは助けられた。確かに夜の営業も人が入らなくなってきているし、ランチタイムなんかはまったく客が入らない日もある。実際、そういう日は増えている。だが、地元の人の拠り所をなくすわけにはいかない。お客は年寄りが多い。もし、店を閉めてしまったら、その人たちはどうなる?そりゃ、儲かれば嬉しいけれど、金がすべてじゃないんだよ》

何とかしてほしいという依頼であった。僕はてっきり経営の立て直しという意味だと解釈したけれど、彼は経営の立て直しを望んでいるわけではなかった。彼が望んでいるのは、今の体制を出来る限り維持すること、つまり、緩やかな店の死であった。

僕は営業という仕事をしている。お客のニーズに応えるのが仕事だ。お客に投資以上の満足感を得てもらうことであり、投資以上に儲けさせること。それが僕の仕事だ。だから、お客の利益と相反する、失血をおさえて出来る限り赤字経営を続けさせ、緩やかな死を迎えさせるというニーズに応えるのは、ひとりの営業マンとして正しいのだろうか。オーナーの意思が変わることはなかった。僕は、3店舗が出来るだけ延命できるようなプランをつくった。売れ筋メニューに限定。営業時間の短縮。商材仕入はウチの会社で取引している業者にお願いして、特別価格で納品してもらえるようにした。ウチの会社で前に働いていた人を紹介するなどしてシフトを埋める手伝いもした。そんなものは付け焼刃だとわかっていた。虚しい仕事だった。

それが去年の夏の終わりのことで、平成31年4月30日、平成最後の日にその店は閉店した。あとにはオーナー氏の大きな負債と通っていた人たちのささやかな満足感だけが残った。オーナー氏が「よくやってくれたよ」と褒めてくれたのが救いだった。彼は70才をこえていて、失礼ながら見かけからは、資産家にはとても見えない。いつも同じような服を来て、店にはボロボロの軽自動車でやってくる。きっつー。彼のこれからが心配でならない。もっと強く説得して、相談を受けたときに、店を畳ませたほうがよかったのではないか、という後悔はしばらく消えないだろう。人が望むものは、その人じゃないとわからない。それだけが本物のニーズであり、本人以外の誰かが、あの人はこんなことを望んでいるにちがいないと想像するニーズは、どれだけ理にかなっていたとしても、偽物にすぎないのだ。そんなことを思った。仕事って難しいね。(所要時間24分)

「弊社は派遣社員の方を正社員と同様に扱っております」が全然フェアじゃなくて驚いた。

フェアとアンフェアの違いって何だろう?今日、取引先の担当者の口から「仕事はフェアにやらないといけない」というフレーズが出たとき、そんなふうに思った。

数年前、某企業の工場の社員食堂リニューアルに携わったときも、当時の担当者から似たようなフレーズを聞いた。「弊社では、派遣で来て働いていただいている方も、社員と同じ1人のスタッフとして大切に扱っております」と彼は言った。だから社員食堂も工場で働く人全員に開放しているのだと。工場見学の際、3~4社の作業着を見かけた。あれは派遣スタッフだったのだろう。依頼された仕事は、生産ライン拡張にともなって予想される増員に対応した食堂リニューアル・プランの作成である。何回かの打ち合わせを経て、概案がまとまってきた段階で、精算方法をどうするかになった。そちらの工場では現金と各種カード対応の券売機を使っていた。券売機で発行された食券を提供カウンターで食事と引き換える、昔ながらの方法だ。

「最近はもう券売機方式は古いですね。社員カードを利用して、提供カウンターに設置した端末で精算する方法が主流ですよ」と話をした。「それだと社員しか使えなくなりますよね」「ですね。社員以外には別のカードを発行することになります」「あーダメダメ」彼は即座に却下した。「派遣の方々や協力会社の方々も社員と同じでないと。フェアが大原則ですから。それにシステムを変えるのは今回のリニューアルでは想定していませんから」実に素晴らしい会社だと思った。そのときは。「 なるほど、それならこれまでと同じように利用者全員がフェアに券売機を使うやり方ですね」と僕が言うと「そこでちょっと相談があるのですが」と彼は切り出してきた。その相談とやらに僕は驚いてしまった。次のような内容だ。券売機はメニュー拡張に伴って新規導入をするが、その際、二重価格を設定できないか?というものである。意味がわからなかったので質問すると、社員とその他スタッフとで価格を変えたいとのこと。「社員と派遣社員には合理的な理由があるので福利厚生で差をつけています」と彼は「フェア」を強調した。何が合理的なのか今でもよくわからない。要するに、派遣スタッフには社員より高い価格設定をして、社員との差額を委託管理費から差し引いて欲しいという依頼であった。たとえば社員は300円だが派遣社員は500円というふうに。実際に社員と社外とで価格差をつけている企業は多い。社員カードで決済すると社員価格が適用されるようなカタチで行われる。もちろん、それは派遣で働くスタッフにオープンにされている。とはいえ派遣社員は経済的に厳しいので、価格差をつけている、とある企業の社員食堂で、派遣で働いている人たちは自宅から持ち込んだ弁当を食べていたのを見たことがある。

だが、彼の依頼は価格差をつけるというだけではない点が特殊であった。《今までのやり方を変えずに価格差をつけたい。価格差はつけるが派遣スタッフの気持ちに配慮して、社員が社員価格で食券を購入しているのを知られないような方法を考えて欲しい》というものだったからだ。きっつー。僕は、苦し紛れで、同一メニューに社員とその他で二重価格ボタン設定する「別ボタン方式」、社員とその他とで違う場所に設置した券売機を使う「券売機自体を分ける方式」を提案したが、いずれも「フェアでないから」という理由で却下。結局、社員だけにキーカードを発行して、そのカードを券売機に差しているあいだだけ社員価格のボタンが液晶に表示される方式が採用された。怪しまれないように「キーカードは社員の食堂利用率データを取るためです。総務部」というポスターがご丁寧に貼られた。その仕事の後すぐに会社を辞めてしまったので、確かなことは言えないけど、変わっていなければ今もあの工場で働く派遣社員たちは、正社員の倍近い価格を同じ食事に支払っているのを知らずに社員食堂を使っているはずである。

 打合せの終わりに、担当者の人が「私もこんなことはやりたくないのですけどね」と言った。同調して「これがフェアなんですかね」と思わず呟いてしまった。それから二人で、うーん、と首を傾げたのを今でも覚えている。「でもね、アンフェアだからこそ見た目だけでもフェアでないと」と彼は言った。だったら社員と派遣も差別なくフェアに扱うなんて言わなきゃいいのに、とは口が裂けても言えなかった。やり方はフェアかもしれないが、見方を変えたら派遣社員の人から搾取した金で、社員食堂運営を楽にしてるようなものだからだ。恩恵を受けるのは会社、そして正社員。

フェアにアンフェアをやるなら、それはフェアじゃないのではないか。僕には何がフェアなのかわからなくなってしまった。今はフェアにフェアな仕事をやりたいと強く思っている。言ってみればそれが僕の軸だ。もちろん、仕事なのできれいごとばかりは言っていられない、アンフェアなことをやらなかえればならないときもある。だからこそ、自分が戻っていける場所として《なるべくフェアでありたい》という軸が欲しいのだ。そういう強い軸を持ち続けることが、もしかしたら仕事にかぎらず人生においていちばん大事かもしれない。ま、ああいう仕事は楽しくないからなるべくやりたくない。悪事の手伝いしてるようで、きっついし。(所要時間25分)

僕の子供が宿題拒否不登校ユーチューバーになったら。

「不登校は不幸じゃない」10歳のユーチューバー 沖縄から世界に発信「ハイサイまいど!」(琉球新報) - Yahoo!ニュース
宿題拒否不登校ユーチューバー(沖縄在住/10才)が物議を醸しているけれど、別にいいんじゃないか、というのが僕の感想である。これは「いろいろな生き方があること」「今の世の中に感情のはけ口があること」に対しての限定された「いいんじゃないか」である。プラスでも、マイナスでもない。もし、彼が自分の子供だったら「もっと賢いやり方があるだろう」と助言くらいはする。知人の子供だったら「申し訳ないけど僕に近づけないでくれ」とお願いする。だいたい、僕の子供ならば彼よりもずっと賢…いや、僕の子供時代に近い思考と性格と能力を持っているであろうから、かつての僕がやったように宿題をちゃちゃちゃっと瞬殺して学校で友達と遊んでいるはずであるが。

そもそも、他人の子供、それも僕の住む神奈川県から遠く離れた都道府県で暮らす小学生が、どのような生き方を選ぼうが僕には関係ないのである。人生が交差しそうなときに対応を考えればいい。それよりも「学校へは行った方がいい」「人生ナメてる」「親にコントロールされすぎ」などと人生において彼と交差することのないであろう人たちが本気で熱くなっている事態に驚いている。その優しさに感動している。皮肉ではなく、世の中、捨てたものではないと思った。この優しさが彼に対する心配から生まれたものであって、「責任を取らなくていい奴だからTwitterで言いたいことだけ言っておこう。優しくて正しいアッピールになるからね」という、いい加減な気持ちから発生したものではないと信じたい。

僕は彼の生き方を否定できない。なぜなら僕にも、一秒ほど血迷って「宿題やりたくないから学校へ行きたくない」と思ったことが小学生時代にあったような気がするからだ。多くの人は一瞬くらいはそう思ったことがあるのではないか。だが、ほとんどのボンクラ小学生は母ちゃんから「バカ言っていないで宿題をやれ」と一喝され、「何バカなこと言っていたんだろう?可能性を広げるために算数ドリルを広げよう」と我にかえって机に向かうものだ。もし、そういう普通の親がいなければ、算数ドリルの入ったランドセルを捨てて、ユーチューブへ向かっても仕方ない。僕らには普通な親がいた、それだけのことである。

彼の動画も拝聴させていただいた。残念ながら45才の僕には響かなかったけれど、小学生なら響くものがあるのだろう。20年くらい同じような動画を放ち続ければ、世の中は変わるかもしれない。ただ、宿題を拒否して不登校をするのは彼の人生だからオッケーだけど、なぜ、周りを巻き込むように不登校を呼びかけるのかが引っ掛かった。一人でやれよ、と。もちろんイジメを受けている子供たちはガンガン逃げるべきだ。イジメをするようなバカから、そういうバカを野放しにする学校から。だが、宿題拒否という彼にとっては大真面目でも周りからみればバカな理由で不登校を推奨する動画をつくられて、これだけ話題になったら、イジメられてナイーブになっている子供たちが、「あんな宿題拒否の人と一緒にされたくない」といってかえって学校から逃げられなくなってしまうのではないかと心配になってしまった。大人であれ子供であれ、自由に生きるのは大変結構だけれども、その自由には責任がともなうのを忘れてはならない。

動画の評価を見る限り、彼の活動に対して世の中の大人はマイナスの評価を下しているようだ。それは我々大人が生きてきた人生や社会を、宿題拒否というふざけた理由で否定しているように感じるからだ。ナメられているように思えるからだ。ひとことでいえば「なんかムカつく」。ムカつくは非常に強い感情であり、一度、ムカついてしまうと彼の考えや行動だけでなく、動画における顔面や態度まですべてがムカついてくる。ムカムカムカー!覚えていてほしい。ムカついたからといって彼を否定するとき、あなたは宿題にムカついた彼そのものだということを。まあ、冷静になろうぜ。

僕はイキっている若者を観察して「ムカつくなあ」といいながらお茶をすするのを老後の楽しみにしている。僕の老後のために、ムカつくからという理由で彼のような逸材を潰さないでいただきたいものである。(所要時間25分)