Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

時代が変わっても芽生えてくる生きづらさの蕾について

平成から令和になった瞬間、世間ではお祭り騒ぎをしている方々もいたようだが、我が家は就寝中であった。奥様はガチ寝。僕はウソ寝。なぜ僕がウソ寝をしていたのか。平成最後の夜に、平成という時代を自分なりに総括しておきたかったのだ。奥様は「元号が変わるだけでしょう。あたしはあたしだから」などと化粧品のCMのようなことを言っていた。僕は、時代の変化に対して不感症な奥様に合わせて、布団に入っただけである。本当は渋谷で若者たちと「平成!女子大SAY!令和!東洋英和!」と大騒ぎしたかった。

僕にとって平成は生きにくい時代だった。僕だけではない。平成を通じて、多かれ少なかれ生きにくさを感じていた人は多いのではないか。平成の30年間で、世の中は便利になる一方であったはずなのに、なぜ、僕らは生きにくさを感じてしまうのだろうか。そして生きにくさのつぼみは、日々芽生えているように見える。令和は皆にとって、生きにくさのつぼみを刈り取る時代であって欲しい。

そんな願いを込めながら、隣室から聞こえる妻のイビキをバックミュージックに、僕は平成を総括していた。数多の女性にお世話になったけれど、平成という時代、もっともお世話になったのは、つぼみさんである。ヘッドフォンを耳にあて、ズボンとパンティーを脱ぎ捨て、彼女のDVDを再生。クライマックスまでチャプターを飛ばした。気持ちはエキサイティンしたが、エキサイティンはパオーンに伝染しなかった。

昭和時代は無差別テロ的にパオーンしたのに、平成になると次第にパオーンが思い通りにイカなくなった。そして平成20年に僕のパオーンは完全に絶滅危惧種に…。画面では、綺麗にお化粧したつぼみさんが可憐に微笑んでいた。一方、僕は相変わらずのイケないルージュマジックである。平成という時代、僕を悩ませ続けたイキにくさを抱いて僕は時代を越えた。令和が少しでもイキやすい時代であればいい。そう祈っている。(所要時間8分)

天皇陛下のカレーライス

   こんなツイートが話題になっていた。話題になったのは、陛下の食に対するスタンスに感銘を受けたから、そして「どれだけ不味いカレーライスなのか」「そこまでカレーが不味くなるのか」という不味いカレーライスに対する興味からだろう。はっきりいってカレーは、素人でも不味く作るほうが難しい。普通に作れば、そこそこのものが出来る。プロの調理師のいる学食ならなおさらである。さいわい、僕も学生のときに食べられないレベルのカレーライスには出会ったことはない。ただ、学食ならではの事情で不味くなりうるのもカレーライスなのである。当時の学習院大学学食がどういう運営をされているのかわからないので、なぜ学食のカレーは不味くなるのか、僕の経験から考えてみる。実は、前職の研修で学食の厨房に2週間ほど入ったことがある(東海地方の大学学食)。毎日提供されるカレーライスがどのように作られ提供されているか見てきた経験から学食のカレーライスが不味くなる理由について考察してみよう。


大前提にあるのは一般的に学食の運営はどこも厳しいということ。学食専門で受託運営している給食会社が倒産したニュースも記憶に新しい。

元給食営業マンが話題の大学学食倒産を考察してみた。 - Everything you've ever Dreamed

学校サイドから(委託費/運営費)補助がない場合、運営はかなり厳しいものになる(あっても厳しいけど)。売上が少ないからだ。基本的に(一般開放されていても)対象者は限定されているし、運営期間も短いからだ。年間180日もあればいいほうではないだろうか。
①「学食カレーライスの厳しすぎるコスト」 というわけでカレーライスにも学食運営の厳しさは反映される。僕が研修で入っていた学食のカレーライスは原価120円だった(販売価格は250円だった…はず)。原価におさめるために食材は格安なものになる。学食はお米のランクは低いものを使用。肉は少なめで見つけられたらラッキーなレベル。野菜は安いものを使用、じゃがいも、人参、玉ねぎがごく少々。それでもカレーライス単体でのコスト的に厳しいので、前日に炊いた白米をふかしたものを使う。カレールウをかけてしまえばごまかせる。カレールウ自体も前日に具材を入れて仕上げたものを使う。既製品のルウは薄める。ボソボソになったライスにしゃばしゃばになった野菜の入ったルウで美味しいカレーライスになるわけがない。
②「学食カレーライスの値段」 他にもメニューがあるのにカレーライスが犠牲になるのは学食のカレーライスが安いからだ。一般的に他のメニューより安く設定されていて、利益が確保できない。お金がない学生に人気があるので、メニューから削ることも許されない。学食を任されている業者が力を入れる意味がない。
③「学食カレーライスは手抜きができる」 カレーは手抜きができるというのも要因だろう。学食カレーライスのサンプルを思い出してもらいたい。いたって普通であるはずだ。食器に盛り付けられたごはんにカレールウがかけられている。日替わり定食は見た目でわかるような手抜きができない。たとえば先月のから揚げ定食には5個ついていたから揚げが今月は3個にするようなことは許されない。即クレームになるからだ。ちなみにルウをライスにかける理由については以前書いた。

不味いカレーライスは1秒見れば分かる。 - Everything you've ever Dreamed

学食のカレーライスが不味くなるのは上記3つの理由が大きい。調理師にカレーに対して妙なこだわりがあって、偏った味覚と趣向から奇天烈なオリジナル学食カレーライスを作ってしまった実例を知っているけれども、それは例外だろう。

学食カレーライスが不味くなる理由はおわかりいただけたと思う。でも学食のカレーライスがずっと不味いままである理由にはなっていない。それにプロだったら、美味しいものを提供しなければならないのではないかと思うのが一般的だ。でも、学食の不味いカレーライスはプロだからこそなのだ。あえて、美味しくないカレーライスにしているのだ。僕が研修で入った現場では、カレーライスを美味しくしてはいかん、という空気が確かにあった。

学食のカレーライスは安い。カレーライスは国民食といわれることもあるように、嫌いな人も少ない。もし、美味しく作ってしまって、学生の人気が集中してしまったら、利益が確保出来ずに、その学生食堂の運営は圧迫される。だから、あえて美味しくつくらない。あえて不味いカレーライスを提供し続けることによって、定食などの他の価格の高いメニューに人を流す。「それがプロだ」と研修先の現場責任者が教えてくれた。陛下が食べられていた学食のカレーライスも、あえて不味いままにされていたのではないか。つまり「学食の」カレーライスならではの事情から不味いものになっていたのだと僕は推測する。国民的人気のあるカレーライスゆえの悲劇である。

もっとも、これは15年も前の話だ。当時と比べると顧客重視になって、現在の学生食堂は充実したものになっている。カレーライスも専門店に負けないくらいのものを提供しているところもある。もし、今陛下が学食でカレーライスを食されたら、米一粒も残さない、ではなく、おかわりをお願いしたくなるのではないかな。そういう美味しすぎる学食のカレーライスが増えてくれることを、食品業界の片隅に身を置くものとして願うばかりである。(所要時間25分)

大型連休中に出勤して会社の闇を見つけてしまった。

世間は絶賛大型連休中、僕が勤めている会社も原則10連休だ。原則というのは残酷な言葉で、なぜ残酷かと申し上げると、その陰には原則でない哀しい存在が予感されるからである。中間管理職の僕は、部下を休ませるために出勤していた。孤独ではない。僕と同じような管理職と、どうしても休めない数名の社員が出勤していたからだ。「家よりも会社にいたほうが気楽でいい」と仰る猛者もいたが、彼は、医者に心身、弁護士に家庭を診てもらった方がいいだろう。中間管理職は部下を休ませるため、その他は連休中に片づけなければないことがあるため、それぞれの仕事のために出勤していた。仕事があるから休日出勤!例外もいる。スタッフの仕事ぶりを監視監督する者だ。彼らは、眉間に皺をよせ、時に鞭をふるい、時に無知をふるい、下々の者を監視監督して働かせる。工場のラインに入るでも、デスクで書類を作るでもなく、ただ監視しているので誤解されがちだが、彼らの監視監督もまた仕事である。つまり、仕事がどんなものであれ、仕事がなければ連休中に出勤する人はいない、ということ。社会人になって20数年、今日まで僕もそのように認識していた。だが、その認識を改めなければならないときが来たみたいだ。それは朝早くに現れ、気付かれないように動き、風のように去っていった。休日のオフィス、人はまばらで、それぞれがデスクに座り、パソコンの画面を見つめている。会話は聞こえない。誰もがそれぞれに与えられた仕事に集中することで、大型連休を忘れようとしているように見えた。僕がそれに気がついたのは、たまたまである。たまたま、コーヒーを淹れようとして、ひとり給湯室のポットでお湯を沸かしていたので、音もなく移動するそれに気付いた。それは赤と白のボーダーのシャツとジーンズというカジュアルな出で立ち。「ウォーリーをさがせ!」に酷似したコーデに、僕は、それの絶対に見つからないという強い意志を見た。それは、経理部門のベテラン女性社員であった。あだ名はヌシ。その由来については皆さまのご想像にお任せするが、ま、そういうお方である。オフィスの入口から顔を伸ばして中を観察していた。僕は見てはいけないものを見てしまった気がしていたので、スルーしようかと思ったが、給湯室でコーヒーを入れている姿を目撃されている可能性があり、もしスルーして、後日「なぜ私の姿を見かけたのに声をかけないのか。私が若くないからか」と心当たりのないセクシャルハラスメントで訴えられて部長職を追われるのもいやなので、声をかけた。「今日はお休みじゃないのですか」するとヌシは「お休みをいただいています」と答えた。「急な用事でも出来ましたか」「違います」「え?」「もう用は済んだので帰ります」「え?」戸惑う僕に彼女は「私は休みですけれど、今日、誰が出勤しているのか確認するために来ました」と切り出し、それから意味不明の理屈を続けた。僕なりにまとめると、彼女は休日であり、やらなければならない仕事もない、管理職でもない、だが誰が出勤しているか個人的に興味がある、特に女子社員や若手社員が出ているのか個人的に強い興味がある、だから個人的にチェックに来た、個人で所有する手帳に書き記しておく、というものであった。ハラスメントになるのを恐れずにいえば、きっつー、である。ヌシは個人的に休日に出勤する者をチェックしている…そんな人間を他に知らない。それから彼女は何事もなかったようにエレベーターに乗って帰っていった。休日のたびにやっている行動なのか、なぜ隠密行動なのか、そもそも何のためなのか。数々の疑問も、仕事ではなく個人的な趣味のために、わざわざ休日会社に同僚チェックにやってくる存在の不気味さを前にすれば小さいことであった。何より、あのウォーリーが探しているものを知ってしまったら、元の自分には戻れないような気がしたのだ。恐いよー。(所要時間20分)

リストラを打ち出している企業グループの末端が悲惨すぎて言葉を失った。

前職で大変お世話になっていた会社が廃業した。当時の担当者と会うことになったのは、「頼みごとがある」と連絡があったからだ。10年前、食堂リニューアルの際、僕は、コンサル的な立場を任されていた。久々に訪れたその会社はラインが止められていて静かだった。正門の警備員詰め所は閉鎖されていた。頻繁に訪れていた頃は、構内をフォークリフトが頻繁に行きかっていてボケーとしていると危なかったが、注意を払う必要もなくなっていた。

会議室に通されるまでに、椅子、空調、あらゆる備品に青と赤の紙が貼ってあるのに気が付いた。マジックで売却と書いてある。青が多い。赤はときどき見かける程度。会議室も、デスクやソファーや壁掛け時計などの実用品だけでなく、よくわからない絵の入った額縁や、意味不明なオブジェにも売却の紙が貼ってあった。社内コンペの写真入った写真立てや、ボロボロのフロアマットまで売っていた。処分する金がないのだろうか。

担当者の彼が明るくて安心した。もし、青白い顔をしていたり、仕事を斡旋してくれと泣きつかれてもどうしようもないからだ。「まいった。まいった」と彼は言った。「大変でしたね」僕も応じた。彼の話によれば事業終了してからも、10数人は残って、残務をこなしているそうである。「まあ、今やってる仕事に未来はまったくないんだけどね」という彼は、リストラに応じて田舎に帰るそうだ。親会社は45才以上リストラを打ち出している大企業である。

「本体を生き残すために、手足はばっさりだよ」と彼はいった。「え?ばっさりなんですか。ある年齢未満もですか?」と尋ねると、45才未満で本体に戻れるのは本体から出向してきている人材と、特に有望な人材だけで、「その他は…」と言った。その他…の先を聞く気にはなれなかった。パート、派遣は全員雇止め。45才以上は、残ろうと思えば残れるけれど、縁もゆかりもない地方へ飛ばされるか、まったく違う仕事をやらされるか、の地獄の二択。45才未満も同じだった。本体に残れる一部を除けば身の振り方を考えなければならなくなった。退職を選んだ若者もいるらしい。

彼は、本体はまだましだよ、といった。「グループで何人て言い方するでしょ。そうすると本体が厳しいリストラをしてるように見えるけれど、実際、ばっさり切られているのはウチみたいな末端なんだよね。ウチでも本体から来ている上の人間はトシがいってても本体に復帰できてるわけだから」という彼の顔は清々しかった。もう吹っ切れたのだろう。僕はかけるべき言葉が見つけられなかった。用件を尋ねると、備品を買い取ってもらえないか、という話であった。僕は、懇意にしている買い取り業者をいくつか紹介すると約束した。うまくいってくれるといい。

仕事の話が終わって、例の売却の貼り紙に話を振った。赤と青の紙だ。僕の座っている椅子にも貼ってあった。「全部、売却ですか」「そうだね」「見たところほとんど売却済みですね」「全然売れてなくて困っているんだよ」「え?」「よく見てよ。青いのは売却予定。赤いのは売却済み。赤だけ買い手の名前が書いてあるでしょ」売却済みは贔屓目にいっても1割くらいに見えた。「会社の土地も買い手も見つけないと。頭痛いよ」「いやいや目途は立ってるでしょ」「さっき、逃げられたとこ」

会議室の中で、売却の紙が貼っていないモノに気が付いた。それは「我が社の製品」と記されたプレートとともに棚に並べられた小さな金属パーツ。用途がわからない。担当者の彼は「それに売却済みの紙が貼られてれば、こんなことにはならなかったんだけどなあー。引っ越ししなくて済んだのになあ」と言った。きっつー。こんなときなんて言えばいいのよ。それから彼は、しばらく頭から離れなくなりそうな強烈な言葉をつづけた。「買い手のつかない人間はどうすりゃいいのよ」 僕は売れなかった小さく金属パーツを手に取って聞えないふりをした。僕にはそうすることしか出来なかったのだ。(所要時間20分)

令和を生きる若者をモザイク越しに見守りたい。

令和を生きる若者は大変だ。迷ったり、試行錯誤する時間や機会が奪われているように見えるからだ。あらためてそう思ったのは、仕事でしくじった若手が、50代後半のベテラン社員から「ネットでちゃんと調べたのか!俺の若い頃はさー!」と叱責されているのを見たからだ。《調べれば簡単に答えがわかるのになぜ調べないの?》という理屈で叱られていた。確かに怠慢だ。だが、叱られる若者の姿の向こうにある、ネットで調べれば、どんなものであれ、ある程度まで答えがわかってしまう「楽な」時代を生きる不幸が僕には見えた気がした。

今の若者は、何かやりたいことが出来ても、インターネットで調べてしまえば、必要な準備、取り掛かる方法、その結果と効果、やらない方がいい理由まで、一瞬でわかってしまう。愚直に取り組み、トライ&エラーをやってたら「調べればわかるのになんであんなことやっているのか」とバカ扱いされてしまう。「調べれば簡単」という理屈で、余裕や隙間が殺されて結果ばかりが求められてもいる。

たとえば、今の営業マンはサボることも難しい。スマホやPCを持たされているので、上司から逃げられない。僕が新人だった頃は、携帯電話がそれほど普及していないこともあって(ポケベルは渡されていた)、会社の管理から逃れる術、サボる方法はいくらでもあった。余裕や隙間があって、息抜きができたのだ。実際、外回りはみんなサボっていた。喫茶店はサボリーマンで満席だった。そういう時代を見てきたので、今を生きる若者は、休み時間もツイッターで仕事に役立つ知識をリツイートしていて、マジメすぎるように見える。

振りかえってみると、たくさん失敗出来たのが大きかった。営業職で働きはじめたとき、失敗ばかりであった。はじめての契約書。はじめての交渉。どれも思い出すのが恥ずかしいほど酷いものだった。その恥ずかしさが「次は絶対に失敗したくない」という強い気持ちとなり、次に繋がった。己の血肉になった。当時は「仕事は失敗して覚える」という風潮が強く残っていた。実際、失敗して覚えることの方がうまくいったときよりも多かった。今のように「ネットで調べれば簡単」という時代ではなかったからこそ、失敗が許された。

今はそれが許されない。誤解を恐れずにいえば、失敗の価値が下がった。「それネットに載ってたよ」のひとことが失敗の価値を下げたのだ。失敗が許されず、ストレートに結果へ向かうことが求められがちになった。今の若者は大変だと本当に思う。僕はボンクラ学生の頃、モザイク越しに異性の性器を想像した。夜空の星々を結んで星座にするように、アワビかな、水餃子かな、つって想像の羽根を無限に伸ばせた。今なら、ネットで一発、モロ画像。どちらが夢があるだろう?

令和を生きる若者の不幸は、調べれば答えがわかってしまうから。そして、僕のような上の世代が若者に余裕を与えていないから。調べれば答えがわかる、わかるのになぜ出来ない、というのは残酷だろう。答えを知っても、それは他人の知識だ。自分の血肉になっていない。誰でも、知っていても出来ないこと、使えないことはあるのだろう?かつての僕らがそうだったように。

答えがわかってしまう不幸な時代だからこそ、あえてストレートに答えに向かわず、試行錯誤して、他人の知識を己の血肉に変えられる者が、最後には往き残るのではないか、と僕は思う。僕ら上の世代は、彼らに猶予を与える余裕が求められるのだ。まあ、モザイク越しのアレみたいにもどかしくはあるけれどね。(所要時間18分)