Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「私を病人扱いすると問題になりますよ?」と部下に言われた。

仕事中に居眠りしてしまう新人君を預かって一か月になる。居眠りというかガチ寝。彼は隣の部署(管理部門)の人間なのだが、ボスの「環境を変えれば、改善するかもしれない」という思いつきの一言により我が営業部に研修という名目で期間限定で在籍している。期限の7月末までが長い。長すぎる。居眠り新人君こと眠狂四郎には、営業事務と企画立案をやってもらっているのだけれど、かなり仕事が出来る人間であることがわかった。書類作成も迅速で無駄がなく、企画案も予算と目的をとらえたきっちりしたものを拵えてくる。「もしかしたらこれはとんでもない逸材かも…」と認識を改めている。

車で外出する際は、眠狂四郎にハンドルを任せると必殺居眠り運転を繰り出してかなり危険なので、僕が運転をするようになった。眠狂四郎は出かける際、ホワイトボードに行先を書き、それから車のキーを僕のもとに持ってきてくれるのだが、何も言わずに僕のデスクにベン!と置くのが「さあ、運転しろよ。おっさん」と言われているようで少々むかつく。「運転オナシャース」くらいの愛想があってもよいのではないか。そういう小さなことをいちいち注意すると器の小さな男と思われるので、しない。そのかわり、査定にはきっちり反映させる。それが僕の流儀だ。
眠狂四郎が居眠りすることはなくなった。僕の指導が良かったのだろう。トイレの個室を占拠することはなくなったし、仕事中、突然、活動限界に達したエヴァンゲリオンのように首をガクンと落として眠るようなこともなくなった。大きな進歩である。ぼうっとしているときもあることはあるが、眠気と戦っているのだと、あえて注意せずに見守っている。眠狂四郎は、ぼうっとしはじめると、意を決したような表情を浮かべて、デスクワークを中断すると、目を「カッ!」っと大きく見開いて、数分間虚空を見つめているときがある。眠狂四郎と眠気との戦争だと僕は思った。彼なりのやり方で眠気に耐え、戦っているのだ、と。

その認識は間違っておりました。ある日、僕は彼に声をかけた。「最近は眠くならないのかい。頑張っているじゃないか」激励のつもりだった。「なんとか頑張っています」という答えを期待していた。眠狂四郎は真の逸材であった。彼は「ありがとうございます。短時間なら目を開けたまま眠れるようになりました」と言ってのけたのである。ちがーう。そのとき僕に出来ることは動揺を隠すように「そっか」と素っ気ない態度を取り、人間の可能性に感動することだけであった。眠狂四郎はレベルを上げて、目を開けたまま眠れるようになっていた(開眼睡眠)。以来、眠狂四郎が目をあけたまま静止している姿、あるいは、目を開いたまま適当に手を動かしている姿を目撃するたびに、起きているのか、寝ているのか、見た目で判断することの難しさに苦悩している。

僕は管理職だ。目の前で部下が寝ているのを黙って見過ごすわけにはいかない。先日、座ったまま動きの止まった眠狂四郎に気付かれないよう、彼の席の後ろに立つと、すーすーという寝息が聞こえた。横から覗くと鼻の穴に密生した鼻毛が風に揺れていた。「よし、こいつは寝ている」確信した僕は「今、寝てたよね。仕事しよっか」と声をかけた。すると彼は「気が付かなくてすみません。今、仕事に集中してゾーンに入ってました…」といって眠っていたのを認めようとしなかった。このような神経戦を毎日、眠狂四郎と繰り広げている。周りから睡眠障害の疑いが指摘されたこともあり、病院で診察を受けるよう執拗に言い続けてきた。僕は彼のためを思ってそう言ってきたつもりである。眠狂四郎も僕からしつこく言われてストレスだったのだろう。ついに、昨日「仕事はきっちりやっているので、病人扱いしないでください。大丈夫ですか?そういうの今、問題になりますよ?」と円月殺法で返り討ちにされたでござるよ。くやしー。(所要時間20分)

あの夏、ダメになりかけていた僕は迷うことを決めた。

15年前、30才の夏、大卒で入った会社をただ何となく辞めた。辞める理由はなかった。会社員にとって、会社を辞めるというのは、そこそこ大きな決断だ。背中を押してくれるものが必要になる。それが成長のための新しい環境であったり、今勤めている会社では実現できない目標であったりするのだけれど、そういうものは一切なかった。勤めていた会社に大きな不満や問題はなかったのだ。だから、些細な問題をひとつひとつ取り上げて、会社を辞める理由を無理矢理こしらえなければならなかった。同僚たちに「え?そんなことで辞めるの?」という顔をされたので「個人的な問題ですから」といって誤魔化した。「それは逃げだ」と言われ、そんなことはない、と反論したけれど自分が敵前逃亡しているのは僕自身がいちばん分かっていた。

15年経った今でも、その会社に対して悪いイメージはない。当時の同僚とも数年に一度の頻度で酒を飲んでいる。あの夏、辞めなければ、今でもそこで働いている気がする。ただ、当時の僕からは、あの場所で、空いた穴ひとつひとつを丁寧に埋めていくような仕事をする根気が失われていたのも事実だ。理由はなかったけれども、疲れていたのだ。心も体も。

 会社を辞めたときには何もなかった。僕の手に残されたのは、数年間の会社員生活を送れば誰でも身に付く程度の社会常識くらいのもの。具体的な目標とか叶えたい夢があれば、何もないのを武器にして足を踏み出せるが、何もなかったので最初の一歩をどちら側へ踏み出せばいいのかさえわからなかった。踏み出す方向がわからない状態ははじめてだった。学校を卒業すれば次の学校があった。学校を終えれば就職があった。選択を迫られたときに、道がいくつかあり、消去法であれ何であれ、どれかを選べば迷うことはなかったのだ。何もなく辞めた僕にはその道がまったく見えなかった。会社を辞めたときの唯一の武器だった「なんとかなる」という根拠のない自信が、根拠の無さばかり増幅して不安へ姿を変えるのに、それほど時間は必要なかった。

近所の公園のベンチで煙草を吸いながら昼寝をした。パチスロで並ばない7にイライラして川に向かって石を投げた。太宰の「人間失格」を古本屋で買ってきて読んだ。誰かが見ているわけではないのに、誰かの目を意識して、将来に迷っているふりをした。このままではダメになる。自分の身の振り方をしっかり決めないといけない。わかっていたけれど、何も出来なかった。僕には何もなかったからだ。夢や希望。不満でさえも。そういったものがあればトライできたかもしれない。何もないは何も生み出さない。だから僕は迷っているふりをして、一歩を踏み出すまで、決断の期限を引き延ばそうとしていたのだ。

ハローワークからも、逃げ出してしまった。職員の人からは希望や職歴について質問をされて、正直に「希望はありません」と答えると、おいおい、という顔をされるのがムカついたし(当たり前だ)、職歴を答えたら前と同じような仕事へ導かれてしまうような気がしたからだ。そのとき僕は気づいた。自分の人生を決めてしまうことから僕は逃げたかったのだと。

30才。若い頃僕を追い立て、駆り立て、悩ませていた何かは既になくなっていた。それで僕は、迷うことが許されない年齢に足を踏み入れたと勝手に思い込んでいた。そんなことはなかった。勝手に自分で自分の人生を、そういうもの、と決めてしまっていた。生き方を決められないのではなく、決めてしまっていたのだ。何も決まっていないなら、それでいいじゃないか、そういうふうに考えて、前の会社とはまったく異なる食品業界に飛び込んだ。食品業界を希望して選んだのではなく、違う場所に行けば違う自分になれるかもしれないという希望を僕は選んだのだ。

スパっと決められる羨ましい素質を持っている人もいれば、なかなか決められない人もいる。そして迷いはネガティブにとらわれがちである。けれど、見方を変えれば、人生なんて迷いと決断の連続じゃないか。そして迷いのターンの方が決断のそれよりもずっと長いはずだ。だから迷ってもいい。全然いい。迷うことは生きることなのだから。僕は迷うことを決めたのだ。

あれから15年、あいかわらず迷いまくりだけれど、食品業界の端っこにまだ僕はいる。僕はこれからもおおいに迷い続けるだろう。あの夏、そう決めたんだよ。(所要時間26分)

「無敵の人」とどう付き合えばいいのか。

川崎市登戸で起こった痛ましい事件は、テロだと僕は考えている。被疑者のプロフィールには興味はない。ただの人殺しであり、それ以上でもそれ以下でもない。僕らに出来ることは犠牲になられた方とご遺族に哀悼の祈りを捧げること、そしてテロ対策のように予防策と起こってしまったときの安全確保について考えていくことである。いちばんよろしくないのは、こんな凶行は防ぎようがない、と諦めてしまうこと。途方に暮れて諦めたくなるけれども、諦めたら何も変えられない。ゲームセットだ。事件直後から被疑者を「無敵の人」と評したり、「自殺するなら一人で死ね」という意見をインターネットで多く見かけた。僕は父を自死でなくしている。相当のショックを受けた。だから「自殺するなら一人で死ね」という感情は理解出来るけれども、自死は良くないと考えてきたこれまでの自分との間で少々抵抗を感じてしまう。また「一人で死ね」は、被疑者と同じような状態にある「無敵の人」を刺激する可能性があるから控えた方がいい、という文章もいくつか読んだ。今回の事件のように、社会から断絶した状態の人間を作らない、そして断絶した人間の復帰が容易に出来る、社会に変えていくことがこのような事件を起こさないためには必要なのではないか、という意見である。つまり「無敵の人」=失うものがない人を生み出さないようにしていくことが大事という考え方である。素晴らしい考え方だと思う。でも少々性善説に寄りすぎではないか。はたして、環境さえ整えれば、人は道を外さないようになるのだろうか。

今回の事件の被疑者の情報が入ってきたとき、僕は自分の友人を連想せずにはいられなかった(もちろん彼は凶行に走ったりはしない)。その友人は新卒で入った会社で心身を壊して20年以上も部屋に閉じこもってしまった。久々に彼に再会したとき、今でも昔の人間関係への強いこだわりと、20年社会を生きぬいてきた僕やその他の人間への劣等感の強さに驚いてしまった。実際、経験や技術的なものではなく、そういったものが復帰への最大の障害になっている。要するに、社会から断絶してしまった人間の中には、復帰への環境を整えて、部屋から出しても、適応するのが難しくて、より深い底に落ちてしまうような人もいるのだ。当初、僕も友人に復帰してもらいたいと思っていた。でも今はそうは考えていない。別に部屋にとじこもっていてもいいじゃないか。そんなふうに考えが変わってしまった。これが正しいとはまったく思っていない。ただ、環境を整えて、部屋から出て来てもうまくやれない人もいるのではないか、というクエスチョンに対する僕なりの答えにすぎない。無敵の人がすべてを失ってしまった、これ以上失うものがない人であるなら、しかるべき人生を提示したらそのギャップに絶望してしまうのではないかと愚考する次第なのである。

それならば無敵の人の人生にもまだ失われていないものがたくさんあるのだと評価して実感させたほうが暴発は防げるのではないか。たとえば、「引きこもりや閉じこもりは全然恥ずかしいことじゃないからガンガンやろうぜ(もっとうまい文句があるはず)」といって、まだすべてを失っていないように感じてもらえばいい。正しい生き方を教えるだけでなく、ちょっとズレた生き方を認めることも、無敵の人を武装解除できる方法だと僕は信じている。残酷なことを言っているのはわかっている。下手をすると一人の人間を部屋の中に、塩漬けにして閉じ込め続けてしまいかねないからだ。でもね、それでも誰かが死ぬよりはずっとマシだと僕は思うのだ。(所要時間25分)

「『劇的』は数値化できない価値観です」と営業マンは言った。

飛び込み営業はすべてお断りしていた。電話一本。メール一通。それだけの手間を惜しんでやってきて「御社のために」と話す営業マンを信じられないからだ。方針転換をしたのは、人生の折り返し地点を過ぎ、終活を意識し、「天国へ行きたい」と強く願うようになったからだ。これまでのパッとしない人生。だが、今からでも善行を重ねれば、天国へ行けるかもしれない。そんな淡い希望から、あらためて自分に出来ることを考えてみたとき、飛び込み営業マンたちの必死な「一分でいいですから」「名刺交換だけでも」に応えようと決めたのだ。飛び込み営業は僕もさんざんやらされた。基本的に法人相手の飛び込み営業は歓迎されない。受付で「申し訳ございませんがアポのないお客様は…」と断られ、申し訳ないと思うのなら会わせてくれればいいのに、と恨み節をこぼしながら退散するのである。飛び込み営業を拒絶しないようにしたのは、彼らのしょぼ~んな後ろ姿に自分の若いころを重ねたからかもしれない。

飛び込みでやってきた営業マンは若かった。二十代半ばくらいか。彼は名乗りながら名刺を突き出してきた。目を合わせようとしない。初々しい。僕にもこんな時代があった。名刺交換を済ませると「貴重なお時間をありがとうございます。あっ。部長さんですか。すみません。ありがとうございます」と語尾を下げた。なぜテンションを下げるのだろう。飛び込みでそれなりの役職者に会えたらラッキー!ととらえないと厳しいと思った。僕にはこんな時代はなかった。

 名刺に記された洋風の社名からは、何の商売をやっている会社なのか見当がつかなかったので、「何をしている会社?」と質問。彼は、胸を張って「お客様の事業のお手伝いをしております」と当たり前の文句を口にした。答えになっていない。「そらそうだろ。お客さんの足を引っ張る会社がある?」と意地悪を言いたくなるが、天国へ行くための試練とこらえ「なるほど。どうぞ続けて」とうながした。きっと質問の答えは次にある。結果を急いだ自分を恥じた。

答えはありませんでした。「御社はどういう事業をなされているのですか?」と彼は質問してきたのだ。厳しすぎる突っ込みを入れたら天国が遠くなる。「あの」と切り出す。「はい?」「弊社が何の事業をしているのか知らずに来たの?」「すみません。飛び込みで来たので」「なるほど」飛び込みだから仕方ないよねってアホか。飛び込み前にスマホでサクっとチェックすればいいのに。そしてなぜか「ウチは食品事業をやっている会社です。業務用食材の販売と外食事業がメインで(中略)今後は関東圏以外への展開も視野に入れています。もしご協力できることがあればお気軽にどうぞー!」などと営業を受けているはずの僕が営業をかけている。
その流れを遮って「お客様の事業にかかわらず業績を伸ばせるのが弊社の特徴です」と彼は言った。返せ僕の営業トークと言いたくなるのを抑えて「それはすごいね。どうするの?」と尋ねると、方法を尋ねているのに「弊社は2003年の創業以来…ウンタラカンタラ」などと会社案内をはじめた。コンサル的な業務をやっている会社であった。駆け出しの営業マンにありがちだが、彼は相手と会話をしていない。自分の話したいことを話しているだけだ。
「わかりました。御社のやり方は後回しにしましょう。とりあえずオタクとお付き合いしてウチが受けるメリットをわかりやすく教えてください」と僕は言った。「業績を劇的に伸ばせます」と彼は答えた。わかんねーよ。「劇的とはすごいね。もう少し具体的に教えてくれないかな」「激変します。いい方向へ」言い方マイナーチェンジされても困る。「うーん。わかりにくいなあ。たとえば近々の実績があるでしょう」「お取引いただいている企業様からは喜びの声をいただいております」おーい。「わかりました。あなたのいう『劇的』を数字で教えて。%でも額でもいいから。ざっくりでいいからさ」すると彼は困り果てたような様子で「申し訳ありません」と切り出し、

「劇的は数値化出来ません。我々の仕事は数値化できない価値観をお客様に提供することですから」

と意味不明な言葉を口にしたので「わかりました。次の予定が控えているので、お引き取りください。あと、ある程度数字で示してくれないと判断できません。それが出来ないなら、今後、来なくてよろしい」といって出入り禁止を申し渡して、交渉を打ち切った。きっつー。

彼はいったい何しに来たのだろう。営業なら、自分の扱っているサービス(商品)と、それを導入することで相手にどのようなメリットがあるのかくらいは頭に入れてきてほしい。おそらく上司から「劇的といっておけば、数値が出ないときに言い逃れが出来る」と言われていたのだろう。ざっくり話を切ったはずなのに彼は「貴重なお時間をありがとうございました。来月は事前にアポを取ってから参ります」と安堵した様子であった。つーか出入り禁止つってんの。天国への階段の勾配がこんなに厳しいものだとはね。(所要時間30分)

「子供が欲しいから離婚してくれ」に正義はあるのか。

女性タレントが二十歳以上も年下の旦那との離婚を自身が出演しているテレビ番組で発表した。離婚の決め手になった理由は、旦那さんが「自分の子供が欲しいから」だそうである。子供が欲しいのであれば養子縁組などの方法もあること、女性タレントは50代なので、出産を考えるのは現実的には難しいこと、関係が冷めて、それらを承知したうえでの「自分の子供が欲しいから」は、離婚の理由としては、関係修復の可能性を否定する以上に、ひたすら重いだけで、ひどく残酷に思えた。

僕も子供がいない。今、45才で生殖能力の問題もあるので、養子をもらうようなことがないかぎり、自分の子供を持つことはないだろう。女性タレントの旦那が血の繋がった自分の子供が欲しがる気持ちはなんとなくわかる。オスの本能なのかな、何も残さずに死んでいくのは、ちょっと寂しいものがあるからだ。知人友人たちの多くはインスタやフェイスブックに子供との楽しそうな瞬間を切り取った画像をアップしている、それらを見るときは、単純に「楽しそう!」と思いながら、自分にもこういう楽しい可能性はあったかもしれないのだな、とぼんやり考えてしまうときもある。自分で決めた人生なので後悔をしているわけではない。なんとなく「こうだったかもな~」とやってこなかった自分の未来を想うだけだ。この問題は僕の中では既に解決済みなのだ。

だが、世の中には血のつながった子を持つことに何よりも価値があると考える人間もいる。そういう思想を持つのは個人の自由なので、僕の知らないところで生きて死んでくれればいいだけのことなのだけども、どういうわけか他人にその考えを押し付けてくるから厄介だ。それも「あなたのことを本気で心配しているから言っているのよ」というお節介というカタチで。ときどき「お子さんは?」と質問される。「いません」と答えると、相手が「ああマズい質問しちゃったな」「可哀想なこと聞いちゃったな」と言わんばかりの表情をすることがある。なかには「ごめんなさい」と謝ってくる人までいる。そういう人は、薄っすらと子供は持つべきという思想を持っているから、そういう対応をするのだ。ごめんなさいと言われる方が悪いことをしているような気がして少し傷つくというのに。ウチの奥様にもそういう思想が見られる。僕の弟夫婦は生殖能力が極めて高くて子だくさんなんだけど、彼らとの会話の流れの中でもときどき「あ。ウチは子供がいないから…」とか言い、なんとなく気おくれしているような様子が見せるのだ。また、養子をもらえばいいじゃないか、と言ってくる人も同様で、余計なお世話である。

「子供がいようがいまいが関係ない。それぞれがそれぞれの人生を生きればいいのだ」と言いながらも、もし僕が「子供が欲しいから離婚してくれ」と言われたらどうだろう?「子供がいない人生もサイコーだぜ!」といって拒否できるだろうか。無理だ。出来ないと思う。正義の有無とか、正しいとか間違っているとか、そういう客観的な判断など関係なく、通達した側に「子供が欲しい」という大義名分があって、応じられない負い目がこちらにあったら、抗うのは難しい。「子供が欲しいから離婚してくれ」の残酷性は、抗うチャンスすら与えていない点にあるのだ。(所要時間17分)