Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

上司びんびん物語

 その日、僕の住む街は夏日だった。気温が高くなって夏の気配が空気を充たしだすと、理由はよくわからないのだけれど決まって僕の気分は沈んでしまう。夏が来るたびに沈んでしまうんだ。


 僕は沈んでいた。仕事や将来についていろいろと考えて。キーボードをカタカタと叩いていると、なんだかその音に吸い込まれて自分自身がなくなってしまいそうな、そんな感じがした。僕のやりたい仕事って何だっけ?とか考えていると、沈むってもの。


 夕刻、そんな僕の異変に気付くとはとても思えない上司から飲みに誘われた。僕の口数が少ないと飲みニケーションで解決しようとするのが彼のお決まりのパターン。断る気力もなかったので30分後にはいつもの居酒屋で形だけの乾杯をしていた。乾杯?何に対して?と卑屈な目で眺めながら。


 いつものように、上司の話は適当に相槌を打ちながら流した。今日の板わさは桃色の部分がないんだね、どうしてだろう?とかつまらないことを考えながら。そうしていると、ふいに上司が「お前、今悩んでいるだろう」と言ってきた。皿と箸の遊戯から目をあげると仕事中には見せない真剣な瞳が二つ、目の前にあった。僕は何も言わなかった。言わないことで彼を試そうとしたんだ。僕の悩みが本当にお前、わかっているのか、と。


 彼は一方的に続けた。僕は終始無言。「お前くらいの年齢になると仕事とか人生について考えるよな。悩むよな」「俺も同じだった」「今のお前の年代のころはこのままでいいのかと悩んだものさ。男として」「おおいに悩め」「そうやって太くたくましくなるんだよ、男は」「よし、そのジョッキを空けたら今夜はあがろう。お前にいいものをやる」「悩みはこれで解決だ。よかったな、早めにお前の悩みに俺が気付いて」「俺のときにはこんな上役はいなかった…。お前は恵まれている」「本当に恵まれている。今はわからないだろうがな…そのうちわかる…」そういって彼がテーブルの上に置いたものを見て、思わず天を仰いだ。


 天井にはスプリンクラーの噴出孔があった。僕の怒りの炎をおさめてよ、スプリンクラー。彼とテーブルの上に置かれたものをどこか遠くへ押し流してよ、スプリンクラー。当たり前だけれどスプリンクラーは応えなかった。でもそんな無機物に救いを求めるほどに僕はそのとき混乱していたんだ。現実は僕の目の前にある。視線を天井から戻して目の前に置かれたもの、現実を確認した。やはり、間違いなく、それは目の前にあった。


 



バイアグラだ…」彼は得意げな顔をして言った…。「バイアグラだ…」笑った。笑うしかなかった。とんだ傑作だ。わはは。上司がバイアグラを服用していること。彼が僕の悩みの種をまったくわかっていないこと。もう、笑うしかなかった。「そんなに嬉しいのか」と言ってきたので睨んだら「コワイ顔をするな。もちろんタダでいい」と言ってきた。やっぱり僕には笑うしかなかった。ワハハ。なんていうか誰かに抱きしめてTONIGHT。抱きしめてもらいたい夜だった。朝になればきっと、薬なんかなくたって、僕だって、オッパイさえあれば。もう、会社で彼の顔をまともに見れそうもない。今はそれが悩みだ。