僕は食品会社の営業部長。某NPO法人との商談はクライマックスを迎えた。相手は代表者Aと副代表者Bである。先方の本部を訪れて面談室に通され、いよいよ見積書の提示である。そのNPOは生活に困窮している人に食事を無償提供する事業を行っていた。「私たちに出来ることは温かい食事を提供することぐらいです。正直、厳しいですが私たちを待っている人たちのために頑張りたいです」「ご協力いただける企業様には感謝しかありません」とABブラザーズは言うと、事業の意義を僕に伝えた。確かに、この世知辛い世の中で素晴らしい事業を行っていた。特に感想はなかったが感想を求めるような顔で圧をかけてくるので「感銘を受けました」とひとこと感想を述べた。
で、見積書の提示である。当該NPOの事業で使用する食材なので、出来るかぎりの金額を提示させていただいた。一昔前の言い回しなら「勉強させていただいた」金額である。見積額を見たABブラザーズは「迅速なご対応、ありがとうございます」と謝意を述べると、「この金額には利益や手数料が入っていますか?」と聞いてきた。日本の教育の敗北でしょうか。売価に利益が入っているのは当たり前ではないか。僕は「当社としては出来るかぎりの価格設定をさせていただきました」と説明して相手の意図を聞き出そうとした。しかしABブラザーズははっきりと要望を口にせず「私たちはこの事業を無償で行っています」「困窮している人からお金を取れません」「私たちの事業は命をつなぐ事業だと自負しています」「スタッフのなかには自腹を切っている人もいるのです」的なことを繰り返した。
彼らの言いたいことがうっすら見えてきたが、あえて気づかないふりをしてビジネスに徹した。なぜならウチは中小企業だから。月200万レベルの取引を「オッケーいいっすよ」とライト感覚で、無償でおこなう体力はないのである。ABブラザーズは事業の意義を語っているうちにこちらが折れるのを待つ戦法である。交わらない戦い。冷戦だ。話がまとまらないのではっきりと要望を教えてほしいと告げるとABブラザーズは「率直に言わせていただきますと、利益を取らずにギリギリの値段でお願いできませんか」と言った。「無理です」正直に言った。すると、彼らは事業の意義、崇高な使命、賛同する名誉、といったマネーにつながらない話を繰り返した。なぜ寄付を求めないのかと質問すると毎月寄付を求めるのは精神的にしんどいしウザがられるからという理屈だった。それでもめげずに懇切丁寧に意義を説明するのが貴方たちの仕事なのでは?と思ったが僕は彼らの親でも教師でもないので言わなかった。
いずれにせよ、利益のない商取引はありえないし継続できないと当社の立場を丁寧に説明しても、「私たちは利益を得ていません」といって澄んだ目で見つめてくるABブラザーズ。悪質なたかり行為を受けているのは僕なのに、なぜか申し訳ないような気持ちと罪の意識を感じてしまう。一方で、なぜかABブラザーズは悪質なたかり行為をしているのに被害を受けている善良な市民のような顔をしていた。おかしい。僕は右の壁に目をそらした。そこには炊き出しのシーンを撮影した写真が飾られていて、すかさずABブラザーズが「それは去年の冬の炊き出しの様子ですね。とても寒い日でしたが、皆さん美味しそうに豚汁を召し上がっていましたよ。もちろん無償で提供しました」と説明。左に目を逸らすとそこにも写真があって「それは農家から無償で提供された芋をつかった焼き芋会の模様ですね。もちろん無償で提供しました」とすかさず説明が入ってきて、無償無償無償で僕を追い詰めてきた。きっつー。無性に帰りたくなってきた。適正な利益を確保しなければ事業は継続できない。僕は提出した見積額を引き下げなかった。ABブラザーズは「御社の方針が変わったらご連絡ください」とポジティブなことを言っていた。しぶとい。永久に変わらねーよ。
当該NPOが利益を得ていないのは素晴らしい。だがそれを取引業者に求めるのはちと違うでしょ。私たちは素晴らしいことをしているからあなたたちも協力しなさいは強引すぎる。なお、当社は寄付行為も行っている。僕もこども食堂や福祉施設への寄付に関わっている。真正面から寄付を求められて説明を受けてこちらから寄付を申し出たのだ。「ものをただで寄こせ」とは全然違うのである。善意というのは強制されるものではないのだ。数時間後、予想通り商談打ち切りの連絡が入ったのは言うまでもない。(所要時間28分)