Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ファイトクラブはじめました


 呑んでホロ酔いひとり愉快。ギンギラギンにさりげなく、ダイアルまわして手を止めた、って歌謡曲のサビを歌いながら夜道をぐんぐん歩いて帰るのが最近唯一の娯楽だったのだけれど、先月末、突如現れた真夜中の不審者にその楽しみは奪われた。夜道のマザーファッカー。奴を恐れたわけじゃないが昨今若者の無差別襲撃は極めて恐ろしく、息を潜めて小路を走り抜けたり、或いは小路を避けタクシーを賃走したりと臆病者と誤解されかねない行動をとり続けたおかげで、大好きな、歌ってぐんぐんが出来なくなってしまったのだ。


 なぜ僕が歌い出したかといえば、目くそを取るときに力の入れ具合を誤りマブタの裏を爪でぎびゃっと引っ掻いて負傷するわ、鮮血で充ちた左眼球にコンタクトをいれられず眼鏡を強いられるわ、眼鏡ストレスで鼻に真っ赤な吹き出物ができてホンワカパッパなドラえもんのようだわの、はは、ははは、なに、この、歌うしかない苦行、というごくごく自然な流れ。


 で、先日、夜の公民館、平均年齢60才オーバーの青年会会議は不審者の話題で大騒ぎ。不審者狩りだあぎゃあぎゃあと意味不明前後不覚に騒ぐ更年期たちを机に肘をつき眺めていると隣にいた薄毛でいかにも涼しげなオッサンが、ほっほっファイトクラブみたいですな、とクールな風情でくだらないことを言ってくるのでこれを黙殺し、「ファイトクラブ→ブラッド・ピットと額の広い神経質そうな男主演のハリウッド映画→そういや試写会で故・筑紫哲也が女子アナ軍団を引き連れてきた→結局金と権力かと鬱屈した暗い過去→筋はどんなだっけ→お姉ちゃんと観るような映画だったか→夢遊病で真夜中は別の顔を持つ鬱屈した男が工場で夜な夜な石鹸を作る話→プロレタリアだ→つーと蟹工船だ→お、それでタイトルが『闘う、蟹』=『ファイトクラブ』なのか」と黙想しているうちに会議は界隈にそそり立つ掲示板に不審者への警戒を呼び掛ける貼り紙をすることを決定。


 不審者許せないだあ、息の根を止めてやるだあ、鼻息を荒げていた更年期たちが、いざ、貼り紙をする人間を決める段階になるとぴたり静まりかえり一同微動だにしない。なにがやりたいんだ更年期。埒があかないので仕方ねえ、徐に右手を挙げて立候補すると、あなたにしか出来ない仕事だ、勇敢だ、さすがだ、という声がわあわあ方々からあがった。そんないきさつで休日の昼間、缶ビールを飲みながら貼り紙の四隅を錆びた画鋲でとめるクリエイティブな作業を一人やりとげたのだった。


 貼り紙を貼った途端、効果てきめん、不審者ハイ消えた。はは。小心者のチンカスめ。ははは。目の傷の癒えた僕が会社の帰りに悠然と掲示板を眺め勝利に浸っていると、あの薄毛でいかにも涼しげなオッサンが物陰から現れたので「ぱたりと現れなくなりましたね〜」「本当によかった〜」と心の入っていない会話をした。話が切れても涼しげな頭で立ち去ろうとしせずに笑っている。話題もないので不審者のことを訊くと「私が聞いた話だと不審者といってもたいしたことしてないんですよ、その人。真夜中に酔っ払って大声で歌っていただけです。大騒ぎしすぎですよ」。たら〜んそれ僕じゃん。


 「そ、そうですか…」「迷惑男は三十代から四十代の男性で、黒ブチ眼鏡にスーツ姿の普通体型。あ、そういえば下着を盗まれた人もいるという話ですよ…」。ががーんそれは僕じゃない…。「下着…」「ええ、煙草屋のおばちゃんの下着、つまりパンツです」。おばちゃんのアダ名はヨーダ。「嘘…!?あのおばちゃんまだ生きてたんすか…」「もう九十近いはずですが…」。うわ…老婆のパンツ…興味ナッシング。「あのおばちゃんホラ吹きの変人すよね…」「確かに…」「今日は仕事で疲れました。失礼します…」「顔色悪いですよ。お疲れさまです」部屋に戻った僕は眼鏡を机の引き出しに入れて鍵をかけ、これからは部屋で歌おうとかたく誓った。不審者はたぶん僕だ。真夜中は別の顔、午前二時はワイルドなブラピになるの僕チン、つって謝罪したいが冤罪で下着ドロにされかねない。謝りたい、でも出来ない。そんなジレンマに悩みに悩み、今朝の枕には大量の抜け毛。