Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

人間は会社のためではなく恋と革命のために生まれて来たのだ。


 昼、蕎麦屋でカレーうどんを一くち、ぐじゃっと吸って部長が、「ンあ!?」 と奇怪な叫び声をお挙げになった。「どうかしましたか?」おうどんに何か、部長の好物の虫の死骸でも入っていたのかしら、と思った。「いや」 部長は、何事も無かったように、またぐじゃっと一口、カレーうどんをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、隣のテーブルに座るOLを足首から頭のてっぺんまで舐めまわすように見、そうしてお顔を横に向けたまま、またぐじゃっと一くち、カレーうどんをだらしないタラコ唇のあいだに滑り込ませた。


 ぐじゃっ、という形容は、部長の場合、決して誇張では無い。普通のお食事のいただき方などとは、てんでまるで、違っていらっしゃる。単に、汚い。部長のいただき方は、汚い。食後はもっと、汚い。ほんものの乞食の図です。マクドナルドでビッグマックをいただいたとき、ひとあしはやく食べ終えた部長は、指を一本、一本くちゃくちゃ音を立てながら舐め、これがどういうことだかわかるか、などと私に訊きました。私がもごもご躊躇していると、ふん、と鼻でわらい、出来る男は紙をつかわない、エコだ、などといってべろんと舌を出すのです。スナックのママに、お茶目、とおだてられて以来の得意のお顔。舌に生えた苔、臭い。


 「あ」と私が言った。「なんだ?」とこんどは、部長のほうでたずねる。部長のシャツにカレー色の水玉。「それで客先に行くのですか」「なんのことだ」「いえ」部長は「上司に文句を言うような奴は」と言いかけて、私の視線の先を追い、それから、「お前に指摘されなくてもシャツは変えるつもりだった。出来る男はシャツを変える」とおっしゃった。シャツ。夏のあいだワイシャツを着ずにタンクトップだけで仕事をこなしている部長のお姿しか私のこころにはございませんでした。


 部長と同行、それだけで、同僚たちは、皆、かげで、部長にはもうついていけないでござるよ、と言っておりますが、つくづく私も、部長の言動に接していると、絶望みたいなものをさえ感じる事がある。このあいだ、ひと気のない公園に車で差し掛かったとき、つまらない説教を垂れ流していた部長が突然、「おえええ車を停めろ」と絶叫して外へ飛び出していった。私も息が詰まっていましたので、車から降り、背中を伸ばす運動をしていました。


 しげみの奥へおはいりになった部長は、しげみの上から、お顔をお出しになって、両手を万歳の要領でお挙げになって、いやらしい笑みをうかべ、「おい。俺が今何をしているか当ててみろ」とおっしゃった。さっさと万引きかなにかで捕まればいいのに、と思いつつも、声のトーンをあげて、「ジャイアンツの優勝を喜んでいるのですか」というと、洞察力と想像力のない駄目な奴だ、とぎりぎり聞き取れるような声で嘲笑し、「ションベンだ!」と絶叫したあとでお得意の舌ぺろり。ちっとも持っていらっしゃらないないのには驚きましたが、けれども、私などにはとても真似られない、しんから楽しんでいる感じがあって、それが、なおさら、私の絶望を強いものにしました。


銭闘、開始。

 いつまでも、嘆いているわけにもいられなかった。私には、是非とも、戦いとらなければならぬものがあった。新しい顧客。いいえ、そう言っても偽善めく。金。それだけだ。蕎麦屋を出た足で紳士服売り場へ。部長に新しいシャツを買わせ、着替えさせる。私には、それしかない。高級なものでなくてもいい、そもそも、部長にボタンのついた着物なんて、過ぎたるものだ。一番安いやつでいいんだ。あった。1980円、白。私が声を掛けようとして、部長のほうをみると、店員となにか話しているのが目に入りました。


銭闘、開始。

 部長は大人しそうな店員と話をしていました。就職活動向けの、シャツ、ネクタイなど五点で一万円のセットを指して、これをくれ、いえこれは、などと店員とやりとりしている。「このセットをバラで売ってくれ」「これは特別セットでして…単品ですと割高に」部長は話を聞きません。店員の声をさえぎり、「五点で一万円か…俺はシャツだけあればいい。それなら…シャツは特別価格で5百円だな」店員絶句。漢字が出来ないだけでなく加減乗除も知らないなんて、私は唖然としながら、二人の間に入り、その場をおさめ、1,980円のシャツを買わせるよう仕向け、レジへ向かいました。


銭闘、開始。

 アポの時間が迫っていました。部長は悠然と経費で落とすために領収書を書かせたうえ、店の会員になるための帳面をレジで書いていました。ああ?俺の住所、なんだっけ、と部長。頭に浮かばないのは老化でしょうか、住所不定だからでしょうか、私にはもう推し量る精神が残ってはいませんでした。時間を確認するために携帯電話をみやると一刻の猶予も残されてはいませんでした。部長は会員になったらこれだけ特典があって情報満載なダイレクトメールも送られてきますよ、とあとで聞けばいいことを、そうか、なるほど、といって頷いてきいていました。私にはモビルスーツ・ザクの形をした携帯ストラップだけがこの世の味方におもえ、それを握り締めながら、敢えて言おう、カスであると!、などと無関係のことを敢えてひとりごちていました。そうか、他にはなにか得になるのか、ほう、スーツにはパンツが二本つくのか、エコだな、部長の声が聞こえます。私はもういちど携帯電話で時刻を確認しました。刻の涙がみえました。


***


部長。
あんただめだ。今後、客のところにはひとりで行くよ。さようなら。ゆうべのお酒の酔いは、すっかり醒めています。僕は、素面で言うんです。あんただめだ。社会人、いや、人間失格だ。もういちど、さようなら。


部長。
あなたはいつも会社で僕のことを、のんきに笑っていて楽しそうでいいな、と言ってましたね。信じてください。友人などに部長の話をすると、面白い人間じゃないか、と一様に言われるのですが、僕は少しも楽しくなかったのです。快楽のインポテンツなのかもしれません。僕は部長がなにを言っているのか、それが全然わからないのです。面白い人だけが、面白がればよい。楽しむどころか、僕は会社で病気になってしまいました。


部長。
たった一度だけ書かせて下さい。
……ED。
僕の病名です。


部長。
ボタンをするのが面倒臭いといって、結局、シャツを着てくれませんでしたね。タンクトップの上に直接スーツを羽織る、いつものスタイルでお客のところに行きましたね。結果、新しい仕事を得ることはできましたが、そういう問題ではないのです。モラル。マナー。ルール。プライド。K-1。キックボクシング。ジャン=クロード=ヴァンダム。ガンダム。シャア・アズナブルシャルロット・ゲンズブール。ぜんぶ、あなたには洋菓子の名前にしかみえないのでしょうね。


部長。
あなたは、契約が成ったあと、得意げに、僕に、お前は次長代理なんだ、いいかげん小難しいことを言うな、俺のように客の立場になってものを考えよ、そうおっしゃいましたね。一つ、とてもてれくさいお願いがあります。あの着なかったワイシャツ。着ないのならあれを僕にください。不思議なことにいくら残業をして働いても、役職が上になっていくだけで、部下はつかないし、それに、まったく、残業代が入らないのです。たまには、新しいシャツ、僕、着たかったんです。さようなら。


部長。


僕は、課長です。