Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ヒーローはぼくの心臓のなかにいる。


 歩道を覆う桜は僕になにかを思い出させようとしていた。ソメイヨシノ。なんだかつまらない大人になってしまったな、なんて後ろ向きに思いながら歩いていた僕は、赤信号で立ち止まり、そのとき初めて頭の上に広がるソメイヨシノに気がついた。花の薄紅と白が風に揺れ、まざり、融けていくさまは僕になにかを思い出させようとしていた。桜はなにかに似ていた。なにに似ているのか、すぐにはわからなかったけれど。


 信号が青に変わった。僕の脇を、どこからか現れた子供たちが駆け抜けていく。最後尾を駆けていく小さな男の子がいた。必死だった。僕もビリケツは嫌だった。男の子の小さな手のひらにはヒーローの人形が握られていた。そうか。僕は頭上にひろがるソメイヨシノをみた。紅と白の組み合わせはヒーローに似ていた。僕が、大好きだったヒーロー、ウルトラマンに。


 小さいころ、ウルトラマンになりたかった。憧れとかじゃなくて本気で〈ウルトラマンそのもの〉になりたかった。宇宙怪獣を倒すスーパーヒーロー。本当は女の子がみるようなアニメも好きだったけれど、幼児の直感でそれは隠蔽した。「魔法使いなんてくだらねーよ、バーカ」。遠足で手をつないだ女の子は、すぐに僕の手をふりほどいた。


「いい子にしていれば、お勉強していれば、ウルトラマンになれるよ」。誰かが言った。でも違った。新しい字を覚えるにつれ、ウルトラマンの足元に立ち並ぶビルがおもちゃにしか見えなくなっていった。足し算ができるようになると、ウルトラマンの背中にあるファスナーが見えるようになった。


 僕はウルトラマンを捨てました。


 僕は仮面ライダーを捨てました。


 ゴレンジャーとその一族を捨てました。


 僕らはいろいろなことを学び、手に入れ、荒野を開拓するように、不可能を可能にしているけれど、たぶん同時に、可能を不可能にしている。見えるものを見えなくしている。太陽の明るさが昼間から星を消し去ってしまったように。


 学生服を着たときにはもうスーパーなヒーローはいなかった。どこにも。リアリティを付加された限定的なヒーローはいた。〈ロックンロール〉。可能を不可能にしていくのが嫌だった僕はヘッドフォンでロックンロールを聴いていた。なにかを遮断するようにして。救済を求めるようにして。


 自分だけのヒーローでよかった。ハイポジテープにはフランク・ザッパ。クラスメートが知らないロックを僕は俺は知っている。僕は俺は軟弱な、イージーな音楽は聴かない。僕は俺は日本のヒットチャートに興味はない。誰も僕を見ていないのに、馬鹿だった。B面にはカーペンターズが吹き込んであった。あるいはデュランデュラン。ごくまれにCCB。女の子にはさっぱりもてなかった。


 大学に入った僕は…やめておこう。ケセラセラ


 青信号。横断歩道の途中、僕の目の前でビリケツの子の背中が転ぶ。横断歩道の縞にクロスするようにして手足が伸びる。僕は手を伸ばして起こしてやった。この一瞬だけ僕はヒーローになる。「ありがとうございます!」。張り裂けそうな声を出してビリケツの子は追いかけていく。僕に背中をむけて。遠ざかっていく。フルスピードで。今しかない。ヒーローの姿が見えているうちは追いかけ続けろ。


 今しかない。過去も、未来にも手は届かないから。僕はヒーローにはなれなかった。僕にはもうヒーローは見えない。けれど僕はあのころの自分に胸を張れる僕でありたい。ヒーローにはなれなかったけれど、ヒーローのスピリッツはたぶん僕のなかに、ある。大人になって、やっとわかった。後ろを向いている暇なんてないんだぜベイビー。腕時計をみる。ネクタイの結び目をきゅっとあげる。僕は今、サラリーマン。横断歩道を渡り終えると風、ひと吹き。桜が散る。花が舞う。薄紅と白。その姿は、怪獣にとどめを刺したウルトラマンが大空へ飛んでいく姿にすこしだけ似ていた。