Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

東北を悲しめないけれども

 病院の帰りに電車に乗る。次々と窓にあらわれては消えていく町がどれも同じ顔をしている。一卵性双生児のようだ。チェーン展開のファーストフード、ファミリーレストラン、居酒屋、ドラッグストア、コンビニ。それらが違う街のほぼ同様の位置にあるからだ。ずっと神奈川で暮らしている。街々が細胞を均一にするウイルスに侵食されるように同じ顔に変わっていくさまを見てきた。小学生の頃。近隣にチェーン店がやってくるたびに学校中が熱病にかかったような騒ぎだったのを思い出す。「おまえ西友いったか?」「西友すげーぞ」。熱病に対抗するワクチンの普及は早い。その後、街は発熱することなく迅速に着々とチェーン化は進んでいった。同じ顔をした街がふえていくなかでこの流れが本当に正しいのかという不安と原風景が否定されているような寂しさを感じることもある。だが、世の流れだ。実際に便利だ。一度に一ヶ所で用は済む。24時間買い物が出来る。センチメンタルで過去を振り返ることはあれども様々な恩恵を捨ててまで過去へ舞い戻ろうと人は思わない。春。東北でたくさんの町が流され喪われた。再生のなかで元通りになる街もあれば様変わりする街もあるだろう。僕が住む街と同じ顔に生まれ変わる街もあるだろう。その寂しさや不安は僕が感じたものの比ではないはずだ。センチメンタルも流されてしまったかもしれない。だが、僕は東北を悲しめない。人は自分の経験でしか物を語れない。誰かの立場になって身になって考えるという行為には限界がある。僕は誰かを演じられても誰かにはなれない。喪っていない僕には東北の人たちと同じように悲しむことができない。悲しいけれど悲しむことができない。けれども忘れないでいることはできる。僕は忘れないように生きていこうと思う。もし喪った人たちと僕が同じ顔をした街で生きているなら、僕の街のドラッグストアの屋根の上に東北の雪の積もる様を想うように、わずかでも、似た光景を、時間を分かち合えるかもしれない。コンビニやファミレスには繋がっている募金箱がある。募金箱に小銭が落ちるとチンという音が鳴る。その小さな音を僕が鳴らすたび、誰かが鳴らすのを耳にするたび思い出そう。冷静さと熱さをもって。僕はあなたと同じ顔の街で生きていく。忘れないでいく。募金箱が奏でる小さな音は希望の鐘だと信じていく。

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